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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

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2013-05-02

寝る前

カテゴリー: 日記
寝る前に落語をかけながらというのが日課になってしまった。
しまった、というほどごたいそうなことではないのだけれど。

まだまだにわかファンなので、いろんな噺をききたい。
柳家喬太郎の新作落語でその自由さに衝撃を受けたものの、楽屋落ちやパロディがわからないと悔しいわたしは、より新作をたのしむために必死で古典を聴いているところ。
けど、どうも偏ってしまうのはどういうわけかしら。
春風亭一之輔の不動坊ばっかりもう何十回も聴いたりとかして。

お付き合いしていたひとの影響ですっかりはまってしまったので、もしも関係が終わってしまったら、きっとこのマイブームもすっと過ぎ去るんだろうなとぼんやりとおもっていたのだけれど、なんてことはなく別れ話をしてがっくりと肩を落として帰ってきた夜も、馬生の笠碁なんかかけて眠ったのでした。
2013-05-04

かわいいひと

カテゴリー: 日記
だいたいはひとがなにをしていてもかまわないほうなんだけれど、わたしはけっこうなやきもち焼きではある。

かといってずっとどこまでも自分だけをみてなきゃ殺す、などと情念とバイオレンスでできているわけではなくて、やきもちやきをプレイとして楽しんでるとこがあるんだろうな、とおもいます。

泥沼の恋愛にはまって阿部定ばりの情念深さを出してしまったこともありましたが、そういうのはもう疲れちゃいました。

おつきあいの在り方によって変わってくるのでしょうが、メールも電話も基本、用事がないとしないしね。

アメリカンな方々が臆面もなくパートナーを褒めちぎるのをみて、うらやましいなとおもったりします。うちのワイフのチェリーパイは最高さ。ファーストレディにゃ作れない味だぜ、なんてね。

だから落語なんか聴いてると、あー男むかつく!とかおもうことがあるわけです。多々。

たとえば「替り目」、これは五代目志ん生師の改作なのですか?おかみさんを買い物に出したあとに、いないとおもって夫は好き勝手にいろいろ感謝を述べますが、そんなふうにおもってんなら直接言いなさいよ!あとおでんぐらい自分で買いに行きなさいよ!って。

そんなわたしが、あこがれというか、かわいいなとおもうのが「夢の酒」に出てくるおかみさんです。若旦那がうたたねのなかでみたちょっと艶っぽい夢に嫉妬して大旦那を巻き込んで大騒ぎ。

そーゆー夢を見るってことはそーゆー願望があるってことなんですよ!
おとうさま、夢のなかの女に二度と若旦那に手を出さぬよう言ってきてくださいまし!

なんて、なかなか言えないですものね。
めんどくさい女ではあるんでしょうけど、それくらいストレートな愛情表現をしてみたいなっておもってます。
2013-05-09

それもあり

カテゴリー: 日記
10年ほど会っていなかった母方のいとこと食事をしてきた。

56歳になったという彼女は昔からずいぶんエキセントリックというか底の抜けたというか、まあひらたくいうとなんかあたまのおかしい人だった。

ものすごく自然におっそろしい暴言を吐いたりというのを何度か見ていたので、できればあまり関わりたくない気もしていたが、両親の余命が知れてきたころから頻繁にメールがくるようになりわたしもそれに返信するようになった。
他愛もない季節のあいさつが、写真や絵文字、デコメでにぎやかに彩られている。母が亡くなったときのお悔やみメールに、ちびまる子ちゃんに出てくるヒデじいだっけか、花輪くんの執事みたいなじいさんでデコられていたときは意外性こそなかったがそこはかとない狂気を感じた。

わたしの親族やわたし自身にも若干こころあたりがないわけではない脳や精神のなんらかのなにか、そこに血筋が関係しているとしたらまちがいなく母方だろうとおもわずにいられないほど象徴的なひとだ。

パスタが大好きというのでわたしがたまに行く中野のパスタ屋で、互いの近況報告や思い出話などをした。すごい速さで食べながら、食べている最中もものすごい早口でしゃべり続けて空いた皿はすぐさま店員を呼び下げさせる。そのつど店員に親しげに話しかける大きな声が広くはない店内に響く。うしろの席についた客がさりげなく別の席へ移動した。いまにも泣き出しそうな表情で彼女の叔母であるわたしの母の話をしたかと思ったら突然えげつないdisが入る。そういうところが相変わらずだったというか。

10年前、胃がんで亡くなった伯父の通夜に行ったときのこと、母は受付にいた彼女を見つけると小走りで駆け寄って抱きしめ、「辛かったね、よくがんばったね」と泣きながら言った。彼女も「ねえちゃんありがとう」といってふたり強く抱き合って泣いていた。わたしもそれを見てもらい泣きしそうになったのだが、その直後に母が彼女の140cmに満たない小さな後ろ姿をみながら「あいつのあれは発育障害だわ」とさらっとわたしに言ったのだった。つまり、そういう人たちなのだ。わたしもまたよく似た傾向をもっている。

ただ、昔よりもすごく生き生きとしていた。それをことさらに強調する彼女本人の語り口のせいもあるのだろうけれど。子どもが好きで、子どもが欲しくて見合い結婚をしたが授からず、さらに相手からのDVもあったようで離婚したと聞いた(ちなみにその件について母は当時、焦って相手選ばないからああいうことになるんだ、もっともあの性格と器量じゃいい男なんか捕まえられないだろうけどと言っていた。何度もいうがそういう人間なのだ)。

40歳のときに保育士の資格をとり、いまは大好きな子どもたちに囲まれて働いている。3LDKのマンションにひとり暮らしだから遊びに来て、だけど貧乏暇なしだから派遣で保育の仕事をしている他に家庭教師や障害を持つ子どものお世話もしているのよあとねダンスもやってんのそんで子どもたちに教えてねエキスパートなんだから、sちゃん(本名)いいかい結婚だけがしあわせじゃないよあたしはこの歳でやっと青春だよほんとうに毎日がたのしい、と矢継ぎ早に話す彼女をみて純粋に、うらやましいなとおもった。

以前ほど思いつめることはなくなったけれど、結婚や出産はやっぱりしてみたい気がする。してみたいとおもうと少なからず焦りがでてくる。でもわたしは疑ってばかりで、確約のないものに焦ったあげくみじめな思いをするのがもう嫌だとおもう。

ご縁とタイミングがあれば、などと言ってはいるがその言葉に逃げているところもある。そういう状態でいるいま、彼女のような存在とそのことばはとても励みになるし、目標にしたいとおもう。どんなに望んでも手に入れられなかったものへの未練で世界を恨んだり卑屈になることなく全力で自分の生活を楽しんでいるのはほんとうに素敵で、彼女の話に引きこまれた。

わたしもそんなふうに生きていけるだろうか。わたしはずっと迷っていて、いまも迷いのなかにいることを知ってか知らずか彼女は、sちゃん、いい大人になったね。それだけできてれば上出来だよ、自分の思うように、やりたいことをして生きていけばいいよ、なんだってできるよ、と何度も言ってくれた。そして、わたしも今がほんとうにしあわせ、と何度も言って、最後に聖教新聞をくれた。

あらなるほど。
2013-05-10

やってしもうた

カテゴリー: 日記
あんまりこういうネガティブキャンペーンをすると、殿方はきっと引いてしまうのだろうなとおもいつつ。

正直なとこわたくし、私生活で諸事情ありましていまものっすごい気が滅入ってる状態で。
ボロい一軒家でいまどき木製の雨戸を閉めきって、昼も夜もない暮らしをしたりして、とことんまでおのれの感覚を落としてます。

もちろん仕事はしてますよ!
そりゃもういい大人ですから、オンオフをしっかり切り替えるために、オフのときにじっとしておるわけです。
もともとはりきって予定を詰め込むタイプでもないですしね。

だからわたしのなかではこれが本寸法。

で、そうこうしながらそっからそのうち上がっていくのは経験則というか、本能的にきっとわかってるんですよね。

動物って、調子がわるいと暗いところでじっとしてるでしょう?
あんな感じ。

だってそれでも、こちらのサイトでプロフィールなんか書きなおしたり写真差し替えたりなんかして、日記だって狂ったようにいっぱい書いて。

メッセージもたくさんいただいて
(ちょっとたくさんいただき過ぎちゃって、お返事が追いつかないです。ごめんなさいね)
趣味のお話なんかもできちゃって。充実のひきこもりです。

外とつながろうって気持ちがあるうちは、そんでもって実際つながれることがなんとなくたのしいうちは。

だからまあ、いいんですそんな過ごし方も。


でもね、今日っていうかついたったいま、やっちゃいました。
ヤフオクで衝動買い。

古谷三敏の「寄席芸人伝」文庫版全8巻ポチッと入札!

なんで急にそんな? ってのもたいしたことない理由がありまして。
まあ、ついさっきまでかの名作「ダメおやじ」を読んでたんで。つい。

しかしあれです、コンビニのペーパーバック版はどうもダメおやじが自分の生き方を見つけていく、アウトドアにはまっていくうんちくの章が中心で、オニババもどんどんやさしくなっていくしでちょっと物足りないです。
知床に栄転という名ばかりの左遷をくらったダメおやじが、人間の尊厳を失いながらも東京へ帰ってくる。ギュッと会社の名刺だけを握りしめて。
そのエピソードはウッとくるものがありますけれど。

寄席芸人伝は、近所のたまに行く中華屋にペーパーバックが置いてあったんで、さほどおいしいわけでもなくほんとになんの感動もない麺なんかすすりながらそれを読むのが楽しみだったんですが、こないだ行ったら見事に処分されちゃってまして。

というわけで、3000円の春色スカートを買うのには躊躇して安い古着を買い漁るようなわたくしですが、まんがにはポンッとやってしまう。
いわゆる女子力の低さを露呈させた日記になってしまったと。

だからタイトルの「やってしもうた」には二通りの意味があるってことなのです。

落札できるといいなあ。
でも、ほんとは文庫版ってあんまり好きじゃないんです。
しかししょうがない。
絶版ものだからと考慮しても、状態も価格もぜんっぜん違うのですもの。
2013-05-10

外にも出てみたり

カテゴリー: 日記
充実のひきこもり、ときのうは書きました。

が、今日はなんとなく勢いつけて落語会に行って来ましたよ。

今秋、真打昇進が決まった三遊亭天どんさん。
わたしは彼の、虚をみるひとりごとのような、
それでいて引き込まれる落語が大好きだったのですが、
今日の会場は高座との距離が驚くほど近かったせいもあるのか、
これまでのそんな印象がすごく浅はかなものだったと反省しました。

一席目から「子別れ」
圓丈師匠のお弟子さんにいうのもなんだかあれな気がしますが、
わたしは彼の古典がとてもすきです。
まえに聴いた「双蝶々」がとてもよくって。
たしかネタおろしだったせいか、いやいやもともとそんな感じか
(今日も「“やはり野に置けれんげ草”よし噛まずに言えた」とかなんとか言ってたし)
完成度は低かったですが、そこもまたいいんですすきなんです。
あーぜんぜん褒めてない。こんなにすきなのに。

間にゲストの清水宏さん。
子別れのあとに観たからよけいにか、激しすぎてびっくりしました。
客いじり芸にすっかり巻き込まれてしまった。
こういうとき、へんに恥ずかしがってたらだめなのね、と実感。

二席目は清水さんの余韻を残しながら新作。時間を止められる超能力を持っている老人、そして止まった時間のなかで唯一動くことができる超能力を持ってしまった青年、そして彼の想い人である女性もまた…、みたいなお噺。
SF、それも藤子F先生のS(すこし)F(ふしぎ)な世界観のお噺でした。

ところで笑点でもおなじみ誰でも知ってる有名な亭号「三遊亭」
あの「三遊」って「飲む・打つ・買う」のことだったのですね。
今日知りました。とんでもないなあ。


終演後の打ち上げもたいへん魅力的だったのですが、臆病風を吹かせて退散。

小雨降るなかとぼとぼと歌舞伎町まで出て、天下一品食べて。
天一、だいすきなはずなんだけど、年々食べ終わったあとの満足度が落ちてきてる気がする。
加齢かな…。

スルスルとキャッチから身をかわしながら歌舞伎町を歩く。
ほんの10年ほど前までは、オスローのあたりはまじで近づくな!
なんてその筋に通ずるにいさんなんかに言われたりしたものですが、
いまはずいぶん平和で。
あの、喬太郎師のマクラにある学生コンパの移動風景みたいのが
リアルで繰り広げられておりました。

39℃の発熱をした同居人に、ウワサの経口補水液「OS-1(オーエスワン)」を買って大久保からタクシー帰宅。
2013-05-12

立川流騒動記

カテゴリー: 日記


先日友人から、
「もらったんだけど読まないからよかったら差し上げる~」
といわれて、二つ返事で頂戴いたしました。

とはいえ、わたし立川流ってまったくよく知らないのです。
といいますか、落語を知らないうちから談志信者が苦手だったのです。
あれだけメディアに露出する方々が談志を語るわけですから、
数々の逸話は嫌でも耳に入ってきていたのですが、
そもそもわたしは「芸人たるもの破天荒たれ」みたいな感じが
ちょっと好きじゃなかった。音楽、演劇でもおなじく。
(それがいまでは川柳師匠だいすきなのですから、人生ってふしぎです)

それまであった落語の知識ってつまり笑点、こぶ平、談志。
一般的にはそんなもんでしょう。ガッテンと生活笑百科もね。
あ、例の金髪ブタ野郎なんてのもありましたっけね。
あとはまあ、錦松梅のひと、味噌汁のひと。メガネすっきり曇りなし。
こりゃ昭和ですな。
つまり、テレビタレントとしての認識でしかなかった。


そんななかで、談志ありきで落語を語るひとの多さに辟易してたのです。

そうこうしてるうち、落語にハマって半年も過ぎ。
落語協会分裂騒動について調べてるうち、
「立川流という在り方」に興味を持つようになりました。

落語そのものはまだ志の輔師をネットで聴く程度ですけれど、
これぞ典型的な食わず嫌い、でしたね。
以後、気をつけます。

うん、それに、フリークというひとの気持ちも
わからなくはなくなってきました。
自分はそんなつもりじゃない!っておもってても、ですね。

それを実感したのは昨年ある日の池袋演芸場。
三題噺を彦いち・白鳥・喬太郎の日替わりでやるという。
わたしは彦いち師と喬太郎師のときに行ったんですけどね、
お題をとる時間のときに、三遊亭丈二師と天どんさんが
ダラダラ出てきて言ったのです。

「ま、今日のお客さんはみんな喬太郎原理主義者なんで、
 ぼくらはてきとーにやります」

って。

「喬太郎原理主義」あーすげえしっくりくる。やられたー、って。
寄席でもいますね、お目当てが終わるとサッと帰ってしまうひと。
キョン師のときはそれが顕著にみられるなと、
偏見ありの手前勝手ですがそんな印象があります。

3月に大阪まで笑福亭三喬師との二人会に行ったのですが、
そのとき隣に座ってたお姉さんもそうだったなあ。
途中から入ってきて、喬太郎が終わるとサッと帰っていきました。
トリは三喬師なのに。
逆隣のおじいさんは、同伴のかたとふたりで
「この喬太郎ってのはなかなかおもしろいねえ」
「東京ではすごい人気らしいですよ」
「ああ、そうだろうねえ」
なんて話してましたけどね。

だからまあ、わたしもたぶんそうなんです。まだまだ偏りがある。
途中で帰ったりはしませんけどね。
名人の音源を聴くばかりの偏屈なファンにはなりたくないと、
にわかなりにおもってはおりますが。
そういうのは、昭和の落語を知るおじいさんにまかせとけばいいなと。

わたしが落語にハマっていることも、友人たちから周知されるようになり
まあちょっと興味あるから教えて、連れてってなんて言われたりしますが
「落語興味あるの?だったらとにかくまずは喬太郎聴きなさい!」
なんて口が裂けても言いたくないような。
でもやっぱり、コロッケそばのとっつきやすさはおすすめしやすいですけどね。
わたしこのひとすきなの~、程度に留めてます。

そんでも結局わたしはついつい喬太郎師の話になってしまいますが、
彼の「落語の大学」という噺、あのなかで「落語大学ってなんすか?」
みたいな後輩の問いに先輩が、

「中途半端な落語ブームがあってなあ、
 ブームだからなんかしなきゃつって、
 落語協会が社団法人を学校法人にしたんだよ。
 まあまあ他にもいろいろあって……立川流は宗教法人」

みたいなこと言ってまして(テープおこしでもしたわけじゃないんで、うろ覚えですよ)、爆笑しちゃいました。
やっぱそうだよね!って。

っていう、とりとめなくどうでもいい話でした。

そんなわけで、いただいた本を読みつつ眠りにつく所存であります。


2013-05-13

最近、蝶々は…

カテゴリー: 日記


内田春菊です。

近頃のブックオフは意味のわからないセレクトで文庫が基本300円の値がつくようになってしまったのですが(そのかわり古い名作が100円だったりして、ほんとになんもわかってないやつが価格表つくってんだとおもう)、セットで値下がりしてたんで買ったった。

内田春菊といえば女性の深層心理を描くパイオニア的作家なのでしょう。
80年代からのそれといえば岡崎京子ですが、わたしはどうも苦手です。
ことばの選び方がどうもすきじゃないのと、汚いただれた生活のアタシ、それすらおしゃれにしてしまうとことか。

映画、ヘルタースケルター観に行きましたが、あれはあれでなんつーか、まあいろいろ原作と比べて気に入らないとこもあったけど、たとえば主人公のマネージャー役が寺島しのぶだったり。
原作では若い子なんだけれど、全身整形でサイボーグのようになっても美しさを保って前線にいるモデルと、若さゆえ美貌に無頓着さをもつ女マネージャーとの対比。わたしはそこに意味があるとおもっているので。
あとから出てくる若いモデルに地位を奪われる、なんてとこよりもずっとずっと。

あと寺島しのぶは映画ですぐセックスするひとっていう印象なので、はいはい、って感じつうか、おなかいっぱいな感じつうか。
あとね、世間のギャルたちの気移りの早さ、そんな場面もからめて渋谷の交差点で浜崎あゆみの曲が流れるのですが、そうじゃねーよっって。
それは蜷川実花はじめわたしらの世代で、岡崎京子はもうぜったいに80年代あるいは90年代初頭から抜け出すものがない。
言い回しもそう、遊び方もそう。そういうとこ、なんだかなあと。
でもまあ、蜷川実花の品の無い色彩と絵面に岡崎京子の世界はよくマッチしてそこへきて沢尻エリカ、これはいいななるほどなっておもいました。

ちなみに同行した友人たちとはその後、窪塚洋介か綾野剛かで割れました。
わたしは窪塚派。

で、岡崎京子はもういいとして内田春菊に戻りますが。

ある時期からご本人のエキセントリックさばかりが目立って、そんなこんなで初期はほぼ読みつくしましたが、「目を閉じて抱いて」からはぜんぜん読まなくなっておりました。

今日購入したこちらはエロティックホラーと銘打たれて、たしかに彼女の分野ではあるとおもいます。

しかし、いまのところ途中までしか読めず。
なんでだろ。なんか、つまらない…。

わたしが変わったのか、彼女の表現が変わったのかはわからない。

しかし、彼女がいなかったらきっと、いまのレディースコミック(広い意味で)ていうのはまるでちがうものになっていたんじゃないかとわたしはおもってます。だからどう、というわけではないけれど。

彼女自身の生き方や考え方に共感できる部分は、いまはあまりない。

けれど、彼女が作家としてどう表現していこうと、彼女自身がどのように生きていこうと、
過去「水物語」と「物陰に足拍子」を生みだした。
それだけでももう、内田春菊というひとはわたしのなかで治外法権のような存在なのです。

とりあえず、あしたは休日前なのでゆっくり読もうとおもいます。

ちなみに昨日書いた立川流騒動記は1ページもめくっておりません。
てへぺろ。
2013-05-14

そんなもんですよ

カテゴリー: 日記
昨日の日記に書いた内田春菊、読了。

感想文など書きはじめたのだったけれど、男女の性について露骨で生々しく、また男性性に対し批判的な表現もあり、とてもじゃないけど出会い系サイトで異性と関わりをもとうとしている身としてはふさわしくないと考えて全消し。

「今日はお気に入りのカフェでまったり。月刊カドカワという本がナオト・インティライミさん表紙だったのでつい購入、読みふけってしまいましたにこにこネコ

とかいってラテアートの写真とか載っけてる女子のがモテるんだ。
知ってんだ、そんくらいは。

でも月カドなんてもう軽く20年は買ってないしナオト・インティライミって言ってみたかっただけで実際知らないし。

ていうか月カドの表紙がそのひとで売れてるつーのもいまアマゾンのランキングみて調べたし。


でもだからもうちょっと軽くてたのしい日記にする。

寄席芸人伝、無事落札いたしました!

たったいまこんな時間に取引ナビがきたのだけど、
そんな時間でも光の速さで入金。ネットバンクって便利ね。
はよう届いておくれ。

あとはなんだろ、仕事から帰ってきたら同居人がフォークルの「帰ってきたヨッパライ」でポールダンスを踊りたいとか言っててyoutubeで聴いて、そのあと船橋ヘルスセンターの「長生きチョンパ」かけて、「長生きしたけりゃちょとおいでっ」って踊ったあとに「オラは死んじまっただ~」ってつないだら爆笑じゃない?

とかいってあそんでいたんだ。
2013-05-15

雨戸を半分

カテゴリー: 日記
午前中ちょっと病院で血液検査をしたのですが、おじいちゃん先生の奥さまに
「あら、採血のときしっかり見てらっしゃるのね、目をそむけるかたのが多いのよ」
といわれました。だって、せっかくだから。

そして陽気があんまり良かったもので(さすがに暑くて)、閉め切っていた雨戸を半分あけて、ちょっとだけ風を通してみました。

うん悪くない。

でもまた締めようとしたんですが、前にも書いたようにいまどき木の雨戸、しかもうちは完全に傾いているので、そのせいなのか途中で閉まらない!
なんでなんで?もしかしてもう閉めるなっていうなんか啓示的なあれ?とかおもいましたがそういうスピリチュアルなのは苦手なので押したり引いたりどついたり。しかしびくともしない。

で、結局よくよく見てみるとなぜかへりのところに飛び出している釘が一本。
もうカッとなって「げんのうでぶつよ!」なんて気になったんですが、そもそも鎹じゃないし。しかもうち玄翁とかないし。ていうかあったとおもってたんだけどみつからなかったし。

うまいこと釘をよけて、無事に雨戸は締まりました。
もうちょっとこうしていたいのよ。



ところで話はがらっと変わり、先日書いた立川流食わず嫌いですが。
志らくさんをyoutube聴いてみました。

立川流ってむずかしそうだしなあ、という気持ちはやはり拭えず、これならとおもって金明竹を選んだのですが…。

安心して聴ける与太郎噺とおもったつもりが、チャップリン曰く「近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である」なんてことがマクラに入る。たしかに、与太郎が家にいること、落語だからお笑いで済みますが、現実で、そして現代では社会問題でもあるでしょう。出生前診断、なんてのもつまりそういうことですよね。

それを踏まえてかふたりのやりとりはやや喧嘩腰のような、のほほんとした与太郎とその失敗に呆れる旦那、という関係だけではないように聴こえました。
なるほどなあ、ほんとうに演者によってこんなにも印象が変わるんだと改めて実感しているところにあれです。えーーーっ!?

中橋の加賀屋佐吉方から参じた「異人さん」!?
上方+英語訛り!?

ああ、やられたあ、という気持ちでいっぱいです。

立川流、今後も聴いていこうとおもった次第おります。
やはり食わず嫌いはいけませんね。
2013-05-16

寄席芸人伝

カテゴリー: 日記
雨降ってきたね。

わたしはヤフオク評価文体でいうところ
「迅速・丁寧なお取引でたいへん親切かつ誠実な、信頼のおける出品者さま」
からさっそく届いた寄席芸人伝を一気読み…

のつもりが、一巻目からまさかのボロ泣き。
ただ寄席芸人の師弟関係、苦労や可笑しさ、はかなさ、
そんなありきたりなものが描かれているだけなのに、
自分でもなんでこんなんで、とおもいながら。

古谷三敏の無駄なくおおげさでもない絵とネーム、コマ運び、
これがおそらく芸事でいう「間」にあたるところなのだろうけど、
そこがきっと自分にハマるのだろうな。

反対に、「このマンガがすごい! 2012年オンナ編 第二位」といわれる昭和元禄落語心中はちょっとどうもいまいちだったです。
なんつーか、BL…。もちろん、直接的なあれではないけれど。
BLはべつにきらいじゃないんですけど、落語マンガだとおもって読んだらBLだったというこのガッカリ感ときたら。
まあ途中まで買っちゃったから完結まで買い続けますけど…。


しかし寄席芸人伝、この調子で全8巻。
とても一気に読める感じじゃないなー。

やっぱ疲れてんだなあ。あたまが。
うまく平衡感覚を保てない。
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