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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

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2014-05-28

そうよ日々の暮らしは心とは別にゆく

カテゴリー: 日記
先日、友人に瓶詰めのかにみそをいただいた。賞味期限あやしいけど、と一応のことわりを入れてくれたがそんなもんもちろん大丈夫というのが大前提での社交辞令みたいなものだ。

わたしは賞味期限を気にしない女。実際に食べてみてふつうに食えるしなによりズボラだからっていうのもあるんだけど、おそらくこんなふうになったのは家族の男連中が思い出したように冷蔵庫を開けては神経質にあれも切れてるこれも切れてる捨てろ捨てろとわめいていた(決して自分で中身を空けて瓶を洗ってごみ箱へ、ということはしない)のを見ていた反動かもしれないなーと最近おもった。黙って出されても気づかず食べてなんともないくせにばかみたいだなと見下していたもんだ。

さてどうしてくれようかにみそ、ごはんにのせたりで充分なんだけど、とりあえずパスタに。クリーム系もいいけどなるべくシンプルなのがいいなーとおもってオリーブオイルでたまねぎ炒めてバターひとかけ、かにみそ。塩こしょうちょっととパスタの茹で汁。どうせこれたぶんいいやつなんだろうなあ…と瓶を見て、パスタもいつもの大量格安の輸入物ではなくふんぱつしてバリラだぜ。そして気分出すためのかにかま、冷蔵庫で枯れていた大葉。

とはいえ、あいかわらずまずそうな写真。


自覚はあるけど盛り付けと写真の才能が絶望的にないな。「パスタの盛り付けは高さを出すこと!」とかのシェフ川越が言っていたけれど、箸で皿にバーッとやって、ここまでくるとさっさと食べたいからかにかまを散らすいやぶん投げる。そして麺にかにかまをばら撒いただけで一気に出てくるこの冷やし中華感。大葉は枯れているので海苔のようになりまるで彩りになりはしない。素材、行程からしてまずくなりようがないはずなのに、おいしかったと言っても説得力がない。

しかしたいへんおいしゅうございました。感謝。

なんで突然こんなものをくれたか、理由は聞いてはいけない模様。
ならばただ成仏させてしんぜよう。


調理中の鼻歌はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=shgH_4qCLfY
2014-05-26

酒はのんでものまれるな

カテゴリー: 日記
昼からお酒を飲むのではりきってプラセンタ注射を打ちにいきつけのクリニックへ行くと、院長が「どうですか?」と聞いてくるのですっごくいいですと答える。「二日酔いしないでしょ。お酒はよく飲むの?なにが好き?どこで飲むの?」とどんどん聞いてくるので、おっとこれはもしかして…?と期待する間もなく「じゃ、これ太るんで食べ過ぎ飲み過ぎ気をつけてね」と言って去っていった。ていうか院長にはこれ毎度言われてる。そんなにわたしが太ってるのが気になるのか。まあねたしかにここの医院はやたらかわいい子揃ってるしねそういうことだろつまり。

しかし歯科助手とか衛生士はほんとにかわいい子が多いよななんでだろ。そしてそんなかわいこちゃんに受付で「帽子かわいいですね!今日『は』おでかけですか?」と聞かれる。だいたい週1前後のペースでプラセンタを打ちに来ているのだが、要するに普段はまさかとてもおでかけとは考えられない装いと見られているのだろう。まあ実際そうなんで異論はありません。

で、たしかにプラセンタ打ってると飲酒した翌日の身体がたいへんらくになるのだ。ウコンなんかの比じゃない。そもそもが長年、肝機能障害や更年期障害などに保険対応で処方されていたのが近年美肌効果やアンチエイジングで注目されるようになったというだけらしいので、おかしな話ではない。問題は、それをいいことに、あきらかに酒量が増えていることだ。どうも三十路も半ばに差し掛かるころから、酒を飲んでも酔っ払う前に胃が痛くなったり背中が痛くなったり(たぶん肝臓周辺の筋肉痛)していたのだけれど、それがまったくない。いくらでも抱え込める感覚だ。どんどん処理してくれる。気がする。

ピクニック気分でパーッと飲むのはいいよ。おいしいもの食べて飲んでさあ。最高だったよ。でもな、いい心持ちになったねーってところでおとなしく帰って風呂でも入れば、ああいい一日だったなとそれで終えることができるんだ。まあまあまだまだ宵の口、河岸を変えて飲み直しもいいでしょう。問題は飲み方だよなんで「どうせ3杯ずつも飲めば空いちゃうんだからボトルいこうぜ」とか言うかな。そしてなぜ、どうして、終電前にさわやかに解散したあとひとりでわざわざ新宿出て別の店行ってんだかなああ!

勢いだけで下劣な発言をするたびに「ほらまた酔いが覚めてから自己嫌悪するよ」と隣の人にたしなめられてまで大量に酒を飲む意味などあるのか、いやない!酒を飲むことに意味などない!

朝目覚めると、多少の二日酔い。プラセンタ効果を超えて二日酔いってことは、相当な量飲んだってことだよ。そんで知らない男のLINEと電話番号が登録されているっていう。どうみても歌舞伎町のホストちゃんですありがとうございました。



そんで今日も職場の人と飲んで終電で帰宅。ビールと日本酒ワインワイン。ポカリスエット。
2014-05-16

ドラえもんは来ない

カテゴリー: 日記
わたしは受験の心得がまったくといっていいほどないので、なにから手をつけてよいやらさっぱりわからずにとりあえず感じ出そうとおもってブックオフで108円だった「短大・推薦入試から難関校受験まで 小論文これだけ!」とかいう本を買ってしまった。数ページ読んでみたけど、なんていうか、しょうもない…。本の内容云々ではなく、積み重ねもないわ後もないわの状況で「これだけ!」的なものを選んでいるしょうもなさ。「これだけ!」でいいわけなかろうが。

なぜ受験の心得がまったくないかというと、わたしは中3の一学期半ばからというなんか大事な時期から登校拒否を決め込んだので、受験前の独特なムードというのを知らない。高校だけは出ておいたほうが良いという周囲の勧めだけによって名前さえ書ければ入れることで有名だがじつは名前すらかけない生徒も入学できるとか、校舎内にはバイクが走り回り、卒業するころには生徒数が半分に減ってるとかトイレで援助交際がさかんにおこなわれていたとかいう県内では伝説の高校に入学したのだった。
実際に入ってみると英語をアルファベットから覚えさせられたり、バイクが入ってくるのは校庭までだったし生徒数も3年次に1クラス減ったぐらいだし、旧校舎の奥にあるトイレがなぜかベニヤで封鎖されている程度で、まあ大げさな噂だった。そんな学校だったので受験勉強はちょっと放課後に職員室でテキストをやった程度の勉強で入れたし、入学後の成績は上位だったもんで勘違いしてさらにまったく勉強をしなくなり、高校そのものが進学には熱心でもなかったしで、全体なんだかのんきなものだったし、ぼやぼやなんとなく卒業した。

そして早幾年。ぼやぼや高校を出たとはいえ三流私大には受かるくらいの学力があったので、進学率を上げたい学校からは進学を勧められたのだがそこでまた大きく勘違いをしたまま10年ほどの歳月を過ごした。自分の姿勢を棚上げして経済的理由のせいにしていて、キャンパスライフを経験できなかったことをずっと根に持っていたのだ。ばかばかしいが当人にとってはけっこう深刻なコンプレックスだったんよ。それで気が狂ってしまう人の気持ちもわからなくない。ばかばかしいからこそ余計に、抜け出せない自分にうんざりするっつーか。

ただそうやって卑屈でありながらもずっとちゃらんぽらんに生きてきて、ちゃらんぽらんにも慣れききってしまってそこそこ楽しくなってきたしこれからもそうなんだろうと思っていたのになんかおかしなことになってしまったな。いや他人ごとじゃないんだけど。いざ、学ぶぞ!と意気込んでみてもさあこれがなにがなにやら。数学12ABってなに!

幸いなことに、あの道その道のプロフェッショナルが友人に揃っているので相談などしてみると、喜んで協力してくれるとの心強い返答をいただけた。のだけれど、ああこの、他人様を巻き込んでしまうともう一歩も引けないのだなあという感覚に超ビビってる。進学できなかった社会的キャリアを積まなかった劣等感や後悔さえこれからこの若くない脳と身体に短期間で詰め込んでく苦労をおもうと吹っ飛ぶ。

わたしはもともと生活が変化するとか新しいことを始めるとか、そういうのが苦手だったから余計に不安なのだけど、まあ不安感のドキドキというのも期待や高揚感のドキドキという感覚に脳はいくらでも誤って認識できる(吊り橋理論でいえば)はずなので、自分をごまかしながらやってみるのさ。

と考えながらゴロンしてマンガをひらく、まったくのび太レベル。
2014-05-14

タイトルなし

カテゴリー: 日記
日々、油そばらしきものの出来が上達している。要するに化学の力を借りて、あとは油だろ油そばなんだから。まあ油そばなんてぶぶかとあと一軒、合計しても人生で5回くらいしか食べたことないし。


婚活サイトのプロフィールでよく、「○○の仕事をしながら△△の資格(異業種)をとるため勉強中です!」とかみるとなーにあんたこれ見た異性が「まあなんて勤勉で努力家で向上心のあるかたなんでしょうステキ!」とでも思うと思ったか短絡的なんだよ愚か者め結婚もせず目だけ肥えで必死にパートナー探ししてる輩にはそんなアプローチ不確定要素でむしろマイナスなんだよ難関資格を取るために何年もモチベーション下がりきった効率の悪い勉強だけされたあげく突然投げ出してペンションやるとか作家になるとか言い出されたらたまったもんじゃねえわ、とかあたまをよぎらずにいられない性格の悪いわたくしだったのですが。

いざ自分がそうなってみると、言いたくてたまらなくなるもんだねこれが。いやまだなんもしてねえんだけどさ。そしてもしかして「まあなんて勤勉で努力家で向上心のあるかたなんでしょう僕(私)が応援(経済的援助)してあげましょうよしよし」っていうのを待っているのでは!?という可能性にいきつく性格の悪質さは変わらない。つーか実際思ってるしね!この自分が!どうだい卑しいだろう!

そういえば、あの木嶋佳苗は婚活サイトで学費の援助を求めている旨はっきり伝えていたっけな。じつに潔いとおもったし、あれが詐欺なら生涯を共にすると誓ったあげく浮気するやつはなんなのとかね。裁判傍聴の最中、「ふつうの男女交際はこうである、したがって被告の言動はありえない」と論じる検察に何度も異議ありを叫びたくなったのはよい思い出です。恫喝的に声を荒げる検察官を鼻で笑ったりして、佳苗はかっこよかった。


というわけで、ここがまさに婚活サイトであることを忘れているかのように真剣に出会いを求めるユーザーを悪し様に言い、もう誰とも出会う気がねえんだろと思われても仕方がないですがそんなことないでーす。すてきな旦那様と運命の出会いがあることを信じてます。あと小論文の書き方を教えてくれる人。
2014-05-11

ささみと読書

カテゴリー: 日記
近所に業務スーパーができて一年ほど経つのか。最寄りのスーパーがそこということになったのだけれど、買い物は仕事帰りに済ませたいわたしにとっては駅前の深夜までやっているスーパーのほうが勝手がよく、業務スーパーには数えるほどしか行ってない。閉店時間も早いし、でかいじゃん。なにかと。おかげで半ひきこもりの同居人が買いだめした食料で冷蔵庫がパンパンになることが多い。まあこれは以前から変わらないけれども。

今日は気が向いてちょいっと行ってみた。安いものと高いものがバランスよく置かれているので、なにが欲しいってわけでもないまま買い物のすべてをここで済ませようとするとすごい散財になる。山のようなささみが800円弱だったけどほんとこんなにいらないとおもいつつ買ってしまう。



大葉とチーズはさみ焼き。サッと湯引きするなりしてわさび醤油なんかで食べればいいのにそこはまあ太った人の嗜好なので。こんだけ作って力尽き、つけあわせなぞ添える気力もなくなりあとは河童のようにきゅうりをそのままボリボリ食べた。




先日、末廣亭で主任をとっていた伯楽師匠が手売りしていた「小説・落語協団騒動記」を読み終えいま読んでいるのは伯楽師の師匠である金原亭馬生についてゆかりあるひとらが語った「十代目金原亭馬生 ――酒と噺と江戸の粋」。
協会分裂の際に副会長をつとめていたのが馬生で、さらには実弟であり当時落語会のスター、いまでも名人として名高い古今亭志ん朝が協会から引き抜かれるかたちだったわけなので、それを弟子としてそばで見ていた伯楽の騒動記にも当然そのときの馬生の様子が強く描かれている。なので、次に読む本はこれだとすぐにアマゾンで買っていた。

わたしはこの馬生がとても好きなので、本の帯にまで「再評価」とバッチリ書かれているのがやや腹立たしい(評価する者とは誰か?という上から目線のようなもの、つまり評価する側の人々から評価されていない、評価が低い期間があると認めていることになるため、少数であっても途切れずにいるはずであるファンをないがしろにする言葉に感じる。ただ「再評価」という単語がすでにひとり歩きしているため、それでしか表せられない書き手の頭の悪さかあるいは驕りが見えるようで嫌いだ)。しかし志ん生を父に、志ん朝を弟にもつ馬生は比べて扱いが薄いようだとは確かに感じる。本人があまり前へ前へと出たがる人でもなかったようだが、やはりもっともっと見たい聞きたいという気持ちはある。この際もう再評価でもなんでもいいのか出してくれるなら。

様々な人(弟子だったり娘である池波志乃・中尾彬夫妻だったり)が馬生について語るのだが、そのなかで新宿末広亭の席亭が現在の噺家をあげて「隅田川馬石や二つ目の金原亭馬治が時々、先代馬生ソックリになるそうで」と書いてあったのを見てちょっとびっくり、とてもうれしくなった。どちらも好きな噺家だ。ソックリかどうかを見分けられるほどのツウではないのだが、馬石は細身のわりに手が大きく、着物の袖からスッと長い指が出たとき「あっ」とおもうほど魅力的で、馬生もそういうところがある。そして馬治さんはまだ二つ目で同年代でもある。これから彼が真打になり芸が円熟してゆくまで、わたしがこの先ずっと落語を好きでいるならば30年はこえるであろう長いつきあいになるなあと、ワクワクする。おなじ世代に生きる噺家を応援できるというのが、うれしくてたまらないのだ。本当は応援じゃなく贔屓にすると言いたいけどそこまで粋にはできるかどうか。

先代馬生は昭和57年に54歳の若さで亡くなった。噺家で54歳はほんとうに若すぎるとおもう。かといって、生きていてもわたしがこの歳で落語を聞き始めるまで待ってもらえていた可能性は少ないだろう(そういう意味では、川柳川柳に間に合って本当によかった)。名人といわれるひとの芸を動画や音源で見聞きして、自分がその時代その場にいられなかったことを悔やんでしまうことがあるが、名人の名演だけを愉しむというのはただの一興に過ぎないのだなと、底なし沼のようなものすっかり足を取られてしまっている。
五月の上席、末廣亭は立ち見が出るほどだったそうだ。歌丸師匠の高座復帰だったからというのもあるんだろう。人はどんどん死んでゆく。やはり焦る。
2014-05-05

20140503お江戸日本橋亭

カテゴリー: 日記
第七回馬治育英会 金原亭馬治勉強会

前座 三遊亭わん丈(円丈門下) プロポーズ(新作)

馬治 棒鱈(初演)
仲入り
馬治 景清


過去に聞いたお見立てといい、馬治さんの田舎侍はほんとうにいいな。爆笑系ではないけれど、よけいなくすぐりも入れずに正統派の古典を仕掛けてくれるのがたまらない。香盤順でいくと再来年くらいに真打とかなんとか。

景清は初めて聞いた。なんだかふしぎな噺だった。ここ、という笑いどころがあるようなないような、ここ、という泣きどころがあるようなないような。めくら(あえてこの単語で)が100日参りをして最後の日、すっかりご利益を信じきっていたのに目は開かない。しまいには観音様に悪態をつく始末。すごく悲しい、なのにちょっと滑稽。人間てそんなもんだとおもえるから落語はたのしい。
私事では、父親が死んだとき、母親の危篤を聞いたとき、病院に向かう電車のなかで不穏すぎる内心とはうらはらに中吊り広告の下品な見出しを読んでいるだとか、失恋に打ちのめされてごはんがのどを通らないとき、栄養ドリンクのついでに見つけてつい「一本満足バー」のCMの草薙くんがあたまをよぎってしまうだとか。生きてるってただただばかみたいなんだなあとおもう。落語はそんな部分を切り出してくれている気がする。談志は落語を「人間の業の肯定」と言ったらしいけれど、まあそういうこともひっくるめてそうなのかもしれないし、かといってなんだかそれを鵜呑みにする気にもならないが。

会が終わって神田で飲み。調子に乗ってスナックはしご。すげえ酔っ払っておおはしゃぎ、翌日大後悔時代に突入。仕事を終えまたしても飲みに行き締めにラーメンまで食べて今に至る。
2014-05-01

20140429新宿末広亭昼席

カテゴリー: 日記
途中から

柳屋さん若 初天神
のだゆき ピアニカとリコーダーいつもの
金原亭竜馬 猫と金魚
隅田川馬石(一之輔代演) 子ほめ
林家二楽 紙切り 娘の嫁ぐ日、おみこし
桃月庵白酒 浮世床・本
春風亭勢朝 小咄いくつか
三遊亭小円歌 名人出囃子など
八光亭春輔 権兵衛狸 かっぽれ
古今亭志ん輔 稽古屋 
江戸家猫八 犬とかこおろぎ、まつむしすずむし
桂文楽    看板のピン
金原亭馬遊 替り目
大空遊平かほり 漫才
むかし家今松 壺算
柳家さん喬 そば清
仙三郎社中 回し分け、土瓶、花笠
金原亭伯楽 火焔太鼓


祝日のためか二階席まで開くほどのにぎわいだった。
目当ては一之輔だったけど休演、でも代演が馬石だったからうれしい。
客席には子どももちらほら、となると動物や子どもが出てきたり、鳴り物が賑やかだったりわかりやすい噺が多くなるのかな。こういう日、初天神と子ほめはよくかかる気がするな。
そんなとき小うるさい落語マニアが学校寄席のような子供だましでつまらないと評するのを見たことがあるが、この臨機応変な感じがライブ感とも呼べるのではないかしら。そしてこちらも寄席初体験のかたと連れ立ってきたのでホッとする。その日の夜席では喬太郎主任、扇辰師がお血脈で五右衛門が釜茹でされるとき東京ホテトル音頭を歌ったとか後に知ったが、そういうわかりづらいのじゃなくてよかった。
そもそも寄席には楽屋オチが多くて、初心者はまわりが笑ってるのにひとりだけ取り残されていることがよくあるはずだ。それがいいんだかわるいんだかわからない。すっごい排他的で、こればっかりでは斜陽化もするだろうと思うし、けど笑ってしまえるようになったのも確かだし。わたしの場合は取り残され感がくやしくて元はなんなんだと帰ったら必ずネットで調べるんだけれどさ。それはわたしの性格がそうなだけで、大衆娯楽とするならおかしいとおもうわ。


で、壺算といえば、ドラえもんの「世の中うそだらけ」という一話。

アイスを買って帰ろうとするのび太を呼び止めるジャイアン。店まで行くのが面倒だからとのび太のアイスを売ってもらおうとする。持っているのは50円のアイスと100円のアイス。ジャイアンは50円払って50円のアイスを買うが、店に戻ろうとするのび太を呼び止め「やはり100円のにする」と50円のアイスを返し、100円のアイスを取って食べ始める。

そこでのび太は差額の50円をもらおうとするがジャイアンは

「はじめに50円払ったな。今50円のアイスわたしたな。
 50円と50円、合わせていくら?」

「ちょうど100円!」

といってのび太は丸め込まれてしまう。あきれたドラえもんが素直過ぎる(バカの)のび太に、疑い深くなる薬「ギシンアンキ」を飲ませて…というお話。

藤子Fのまんがには落語ネタがよく出てくる。ジャイアンが強権発動させてリサイタルに呼びつけるところはまさに「寝床」を思わせ、21エモンのゴンスケという名も落語では「ばかの与太郎」とおなじように田舎者の下男といえば権助で(ただし元は固有名詞ではなく、地方から出てきた使用人の総称だったらしい。使用人の名では他に定吉もいる)、真面目でバカ正直な下男を主人公とした「権助魚」「権助提灯」などの噺もある。21エモンでもそんな性格のゴンスケが事を大きくしてしまうシーンがちょいちょい出てくる。
「中年スーパーマン左江内氏」では、体調不良をおして出社しようとする左江内氏を気遣う妻。そんなに心配かと聞くと、ろくな蓄えもないまま死なれては一家心中になると返され「やれやれとんだ『厩火事』だ」とつぶやく。これには題名そのものがセリフに入ってくるが、これは大人向け雑誌(漫画アクション)に連載していたもので、70年代後半という時代ではまだ大人の娯楽として落語が共有できたからではないかと背景にうかがえる。

F先生は落語が好きだったそうで、ミュージアム等で見られるその机まわりを再現したものには落語のカセットテープが並んでいた。志ん生が好きだったのだな、などというのが見てわかった。

わたしは藤子作品で言葉を覚えたといっても過言ではないので、30年以上の年月を経て、意図せぬ瞬間にオマージュの元が理解できたときのうれしさといったらない。わかるひとにわかればいいのものではなく、話の中にたいへんスマートに織り込まれている。そこにF先生のユーモアとやさしさを感じるのでした。もちろん安易な時事ネタや流行り文句が使われていて、いま読むとさっぱりってのもあるけどね。

ちなみにこの壺算理論、当時からよくわかっていなかったがいまでも実際にやられたらたぶん騙されるとおもう。
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