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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

 
2013-05-09

それもあり

カテゴリー: 日記
10年ほど会っていなかった母方のいとこと食事をしてきた。

56歳になったという彼女は昔からずいぶんエキセントリックというか底の抜けたというか、まあひらたくいうとなんかあたまのおかしい人だった。

ものすごく自然におっそろしい暴言を吐いたりというのを何度か見ていたので、できればあまり関わりたくない気もしていたが、両親の余命が知れてきたころから頻繁にメールがくるようになりわたしもそれに返信するようになった。
他愛もない季節のあいさつが、写真や絵文字、デコメでにぎやかに彩られている。母が亡くなったときのお悔やみメールに、ちびまる子ちゃんに出てくるヒデじいだっけか、花輪くんの執事みたいなじいさんでデコられていたときは意外性こそなかったがそこはかとない狂気を感じた。

わたしの親族やわたし自身にも若干こころあたりがないわけではない脳や精神のなんらかのなにか、そこに血筋が関係しているとしたらまちがいなく母方だろうとおもわずにいられないほど象徴的なひとだ。

パスタが大好きというのでわたしがたまに行く中野のパスタ屋で、互いの近況報告や思い出話などをした。すごい速さで食べながら、食べている最中もものすごい早口でしゃべり続けて空いた皿はすぐさま店員を呼び下げさせる。そのつど店員に親しげに話しかける大きな声が広くはない店内に響く。うしろの席についた客がさりげなく別の席へ移動した。いまにも泣き出しそうな表情で彼女の叔母であるわたしの母の話をしたかと思ったら突然えげつないdisが入る。そういうところが相変わらずだったというか。

10年前、胃がんで亡くなった伯父の通夜に行ったときのこと、母は受付にいた彼女を見つけると小走りで駆け寄って抱きしめ、「辛かったね、よくがんばったね」と泣きながら言った。彼女も「ねえちゃんありがとう」といってふたり強く抱き合って泣いていた。わたしもそれを見てもらい泣きしそうになったのだが、その直後に母が彼女の140cmに満たない小さな後ろ姿をみながら「あいつのあれは発育障害だわ」とさらっとわたしに言ったのだった。つまり、そういう人たちなのだ。わたしもまたよく似た傾向をもっている。

ただ、昔よりもすごく生き生きとしていた。それをことさらに強調する彼女本人の語り口のせいもあるのだろうけれど。子どもが好きで、子どもが欲しくて見合い結婚をしたが授からず、さらに相手からのDVもあったようで離婚したと聞いた(ちなみにその件について母は当時、焦って相手選ばないからああいうことになるんだ、もっともあの性格と器量じゃいい男なんか捕まえられないだろうけどと言っていた。何度もいうがそういう人間なのだ)。

40歳のときに保育士の資格をとり、いまは大好きな子どもたちに囲まれて働いている。3LDKのマンションにひとり暮らしだから遊びに来て、だけど貧乏暇なしだから派遣で保育の仕事をしている他に家庭教師や障害を持つ子どものお世話もしているのよあとねダンスもやってんのそんで子どもたちに教えてねエキスパートなんだから、sちゃん(本名)いいかい結婚だけがしあわせじゃないよあたしはこの歳でやっと青春だよほんとうに毎日がたのしい、と矢継ぎ早に話す彼女をみて純粋に、うらやましいなとおもった。

以前ほど思いつめることはなくなったけれど、結婚や出産はやっぱりしてみたい気がする。してみたいとおもうと少なからず焦りがでてくる。でもわたしは疑ってばかりで、確約のないものに焦ったあげくみじめな思いをするのがもう嫌だとおもう。

ご縁とタイミングがあれば、などと言ってはいるがその言葉に逃げているところもある。そういう状態でいるいま、彼女のような存在とそのことばはとても励みになるし、目標にしたいとおもう。どんなに望んでも手に入れられなかったものへの未練で世界を恨んだり卑屈になることなく全力で自分の生活を楽しんでいるのはほんとうに素敵で、彼女の話に引きこまれた。

わたしもそんなふうに生きていけるだろうか。わたしはずっと迷っていて、いまも迷いのなかにいることを知ってか知らずか彼女は、sちゃん、いい大人になったね。それだけできてれば上出来だよ、自分の思うように、やりたいことをして生きていけばいいよ、なんだってできるよ、と何度も言ってくれた。そして、わたしも今がほんとうにしあわせ、と何度も言って、最後に聖教新聞をくれた。

あらなるほど。