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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

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2013-05-20

深夜のたんぱく質まつり

カテゴリー: 日記


上司のご縁で職場に新鮮なイワシとサバが大量に届きました。
従業員全員で分けてお持ち帰り。

じつは先月も、100はくだらない量の小イワシを頂き、ちょうど料理のできる同居人が不在だったためひとりで夜中じゅうかけて無心で手開き。あのときはほんと悟り開くかとおもった。
いくつかはスタンダードに梅と生姜で煮付けて、残りはつみれや開きにして冷凍したり、アンチョビにするため塩漬けにしたり。
それがまだ大量に残っている状態なので、今日も持って帰ってねといわれたときは内心「げっ、どうしよ」とおもったものでした。

が、とりあえず同居人の在宅を確認してから帰ってみると友人も遊びに来ていて、食べたい!というのでためしに人数分を塩焼きにしてみたところ、これが脂がのっていてとてもおいしい。とりあえず味見、のつもりがどんどん焼き始め、最終的にイワシは食べきってしまった。前回いただいたものよりもおおぶりのイワシで、匹数も少なかったからできたことだけど。

残ったのはサバたったの二匹。これは頭と内臓だけ出してぶつ切りして冷凍庫へ。
いつか陽の目をみるでしょう。味噌煮かなにかで。


同居人がいてよかったな、とおもう瞬間なのでした。
あと明日が燃えるごみの日でよかった。これはほんとうによかった。
2013-05-22

つれづれ

カテゴリー: 日記
なんか眠るタイミングを逃してしまったので。



・とことん気分を落とすつもりで、雨戸を閉めきって中島みゆきを聴いてみたらなんかやり過ぎ感あふれてばからしくなったので窓開けて洗濯した。

・まわる洗濯機を眺めながら、「靴下というものは、本来は対になっているはずがなぜにこうも簡単に別れたり、わたしの元から去っていってしまうのだろうか」とつぶやいたところ、横のキッチンで調理中の同居人に「自由なんだよ」といわれた。
自由、とは、ときとして残酷に響くことばだとおもった。

・干し終えた瞬間にゴロゴロと雷がきこえた。だいたいいつもこんな感じ。こういう人間。

・ついでにトイレ掃除。トイレーにはぁ~それはそーれはーきれいなー、とか歌いながらやったけど正直そこしか歌詞知らない。あの歌なんであんな流行っただ?

・ちなみにそんなあれだもんでトイレの神様というものがどういったものかよくわかっておらず、同居人がトイレに入っているときに外から電気をパチパチつけたり消したりして「トイレの神様の祟りじゃあ~」「ひいい」というだけのトイレの神様ごっこが去年だかおととしだか一瞬だけ流行った。
いまやるとふつうに「ふざけんなまじやめて」っていわれる。

・浅草金曜夜席喬太郎主任、ということでチケット手配が気にかかり、昼の浅い時間にチケット買って夜席だけ観ることは可能ですかと演芸ホールに電話で問い合わせたところ、できますけどあんまり意味ないですよ、とのお返事。昼席終わったころに合わせるのがいちばん席が取りやすいとのこと。そりゃそうか。
お忙しいとこ的確なアドバイスありがとうございました。
わたしも寄席で働きたい。

・食わず嫌い立川流チャレンジ、今度は談春の明烏。マクラ短め。
お噺を、というよりはキャラ立て重視のような印象。
「(お稲荷様が)どこにあるんだそんなものが」
「なんでもあの、浅草の観音様の裏手にあるんだそうでございます」
「……ある」
というときの間が絶妙でうっかり声出して笑った。
「型」を判断して評価できるほどではとてもじゃないけれど、いままで聴いたものとはだいぶ違った。

・同居人らで雑なおやつをたべながら半日ごろごろ。

・特保コーラを飲みながらからあげを食べるという愚行。
自分で買うときはなんかいつも恥ずかしい。たぶん店員に
「こいつあれだ典型的な痩せないひとだ」と思われているとおもう。
あとコンビニでおでん買うときちくわぶばっかり買ってるから
たぶん「わぶさん」とかあだ名ついてるとおもう。



おやすみなさい。
2013-05-25

浅草にて

カテゴリー: 日記
浅草でとんかつの名店といわれる店にて昼食。
下味もしっかりついていてそのまま食べてもおいしい、塩で食べると脂のコクが引き立つ。ごはんもキャベツもすすむ。あー豚の脂っておいしい。心の底からそう思えるほどおいしかったのだけれど、わたしとしてはもっと衣がざくざくのとこにとんかつソースどぼどぼかけて食べる、胸焼けするくらいのとんかつを求めてしまった。ここはさっぱりといただけるようにか、衣も軽くて(とはいえ下顎内側を負傷)ウスターソースだったんだよね。上品なとんかつ。いや、でもほんとおいしかった。



腹を満たしたあとは浅草演芸ホールへ。
昼席も三三・白酒・さん喬そしてアサダ二世先生などとなかなか魅力的な顔付けだったですが、目当ては夜席トリの喬太郎。キョンキョンにしか興味のない友人と、それに触発されて聴いてみたいという寄席未体験の友人を連れて、下見がてらそちら方面へ向かう。

商店街をひやかしながら歩いていると、すげえかわいいTシャツを発見。しかしなかなかいいお値段で、ちょっと考えますといって店を後にして歩いてゆくと見えてきたのは青空の下はためく喬太郎の幟。

あーっほら喬太郎って書いてあるよ!とはしゃぐ友人たち、遠目からそれをみながらわたしも、今日はなにかな、時そばやってくれればラッキーだけど仏馬だったらわかりづらいかしら、新作も聴きたいし擬宝珠も舐めたい、などと考えながら受付近くまで行くと……

「本日主任、柳家喬太郎休演により三遊亭白鳥の代演となります」

の張り紙が。明らかに顔色を変えて落胆する友人ふたり。それをみてかなりブルーになる。
キョンキョンどうしたんだろ具合わるいのかなあとか言ってる友人に、こんなことは寄席にはつきもので、体調不良ならともかくおそらくもっとワリの良い仕事があるとかそういうこともあるだし、などと説明しつつもどうにも重たい空気。代演が白鳥なら大丈夫、とはふだん落語を聴かない子と寄席初体験の子にはとてもいえない……。わたし自身も、生では聴いたことがないので自信がない……。

どうして朝の時点で香盤表を確認しなかったんだろ、などと後悔したり、そんなキョンキョンだけ観たいなら独演会に行きゃあいいだよ独演会に!などとぐるぐるするわたし。落胆し続ける友人ら。

ともあれ、夜席まではまだ時間があるし、このあとどうするか考える時間はそこそこある。
駅前まで戻って舟和カフェで一息。

あんみつを食べつついろいろと考えてはいたけれど、わたしはやっぱり喬太郎が出なくても小せんが扇遊が聴きたい、川柳とのいるこいるの元気な姿も観たい。おもいきって
「やっぱわたしは夜席いくよ。きみらは花やしきでも行ったらどうか。あとあのTシャツやっぱ買う!」
と宣言。Tシャツのとこはもうなかば衝動。ヤケ買い。

じゃ、とりあえずあの服屋いこっかとカフェを出て店に着き、さっき見せてもらったやつ、あれの青いやつ買います!と店員さんに告げると今度は
「わ~、あれついさっき売れちゃったんですよお!ほんの一時間前!」
と。わたしがみたのは二時間もしない前だ。つまりその直後だ。
もう、絶望。店員さんは白もかわいいですよ~とおすすめしてくれるが、たしかに白もかわいい。そもそも最初に白をみつけてわあかわいいとおもったのだから、白でもいい。しかし青を見せてもらってしまったが最後、わたしのあたまにはそれしかなかった。

だいたい、白は絶対に飛ばす。めんつゆとかミートソースとか焼肉のタレとかを。買ったそばから飛ばす。その自信はある。ここで妥協はしたくなかったので、さらにしょぼくれて店を出る。

そんなこんなでふたたび演芸ホール前。いまいちど友人らに確認する。わたしは観ていくよと。すると友人ふたり、じゃあせっかくだからうちらも行く、とのこと。
ホッとするような、おそろしいような気持ち。目当てのいない場所で4時間も座りっぱなし、最終的に「落語とかやっぱそんなにたのしくない」といわれるのがいちばん嫌だ。

そんな気持ちを抱えながらホールに入ると昼席トリの権太楼が火焔太鼓をやっているところだった。
あったりまえだけど、やっぱ志ん朝とは違うねえ。
(志ん朝の火焔太鼓が最高って意味ではない)


寄席の感想はとくに書きません。ただ浅草だからってのもあるのだろうけど今日はとくに「待ってました(を連発する)おじさん」「たっぷり(を連発する)おじさん」の声がよく響いていたな。トリの白鳥はマクラでちょっと匂わせてはいたけれど、噺の途中までは完全に時そば。まさかこのひとが無難に時そばやって終わらせるはずがないでしょ、とおもって聴いてたら案の定というか、当然のどんでん返しあり。
わたしはといえば、扇遊の浮世床(夢の逢瀬?)を聴いて、わたしを落語に踏み込ませた過去の恋人と、寄席に行くとこの浮世床ごっこ(わたしの代わりに褒めてくださいな、ってやつ)をしていたのを思い出してすこしだけ泣いた。


で、そんなこんなで4時間。終わったあとにおそるおそる感想を聴くと、わりと悪くない手応え。しかしハマるほどではない、というのは明らかに伝わってきたけれど……。

なかでも友人1はのいるこいるがたいそうお気に召したご様子。開演前に、「このなかでおすすめとかいるの?」と訊かれて、うーん、この川柳とのいるこいるはいつ死ぬかわからないから観れるときに観たいとおもってる(わたしは)、と答えるとまるで興味無さげに
「ふーんまあべつに観ずに死なれてもなんともおもわないけれど」と言っていたのだが、それを撤回してくれただけでもまあ、よかったのかな。
けど川柳はパフィーと甲子園ネタだったので、せっかくだからガーコン観せたかった。友人たちからは、
「sちゃん(本名)、あれおもしろくて笑ってんじゃなくて笑おうとして笑ってたでしょ!?」
といわれる。そうだよ。わたしはあのじいちゃんが元気に高座に上がってるのを観れるだけでいいんだ。
だいたいあのひとは落語会の広告にも演目「ご存知」って書かれるくらいなんだから、おんなじネタを何回聴いたんだかわかりゃしない。


で、馬刺し食べて帰宅。
2013-05-26

飲酒しくじり噺

カテゴリー: 日記
山手線、仕事を終えて乗り込んだわたしが座ろうとする席の隣にはかわいらしいメガネ男子。と、そこにべったりもたれかかる女子。トロンとした目をメガネ男子に向けながら、身体ごと完全に預けちゃってる状態。

わー、わたしもベタベタするのはきらいじゃないほうだけど、さすがに外であそこまではできねえなあ。電車内でああいうのちょいちょい見るけど、盛り上がってんだなあすげえなあ。……いいなあ。

などと思いながら着席。するとどうやら隣席は三人組だったようで、かわいらしいメガネ男子は女子を飛び越えて向こうのこれまたもうひとりのかわいらしいメガネ男子となにやら話をしていた。

わー、ともだちがいてもあんなにべったりなんだ。すげえなあ。……いいなあ。と、おもった瞬間。

とても静かに、そうほんとうに音もなく男子のズボンが濁りのあるワイン色に染まり、半液状のものが床に溜まっていった。慌てる隣のめがね男子ふたり。
「あっやった!」
「うわ、おれ、なーんか生温かいものが伝わってくるなって思ったんだよ~」
「とりあえず次の駅で降ろしましょう」
などと話している。

つまり女子はべつにいちゃいちゃでもたれていたわけではなく、単に泥酔していただけだった。とりあえずかばんをあさってみたら未使用のポケットティッシュがあったので渡す。
しかし止まらない静かな嘔吐。なんでしたら手拭いもありますけど、と声をかけると「いや、もうこれ拭くとかいうレベルじゃないんで、だいじょうぶです」との返答。ですよね。
そうこうしているうちに駅につき、メガネ男子はふたりともズボンをどろどろにして女子を引きずりながら降りていった。

残されたのは吐瀉物とわたくし。

とりあえずまだかばんにあったティッシュを吐瀉物にばさばさとかける。あたりまえだがたいした効果はない。駅につくたび乗ってくる客が驚いたりちいさく悲鳴を上げたり顔をしかめたりして避けてゆく。

あの青年ら、降りた駅で駅員にひと声かけたんかなあ、とそれが気になったのだけど、わたしが降りる駅までまったく駅員が処理に来る様子もなかったので下車駅の改札で、いまの新宿方面行きの3両目ですが先ほど隣のかたが吐いてしまってそのままになっていますといちおう報告。
床ですか?シートもですか?右側ですか?左側ですか?と、けっこうくわしくたずねられたので、へえーっておもった。行けばわかるでしょって話でもないんだなあ。と。

しかし、冗談抜きで右左がよくわかってなくて、教習所でも「右折左折だとよけいに混乱するので指示しないでください」とお願いしたあげく、じゃあ次を右に曲がってねっていわれておもいっきり左折したことのあるわたしなのでちょっとあせったし、右側ですって言ったけど合ってるかどうか自信ない。


酒は飲んでも飲まれるな。

という言葉、まあ飲まれてこそ酒って部分なきにしもあらずなのでべつにどっちでもいいとおもうけど、そうそうほんとに飲み過ぎて吐くときってオエエゲエエっていう派手な音って出ないんだよね~。胃液まで出きってそれでもまだ出そうっていうときは「ガコッ、ガコッ」っていう音がするよねー。

なんてことを思い出したり。

わたしもむかし、ばかみたいにテキーラショットとかやりすぎて帰りの電車でこれは来るぞと懸命に次の駅まで飲み込みながら堪えて、西武新宿線中井駅で飛び降りて、幅わずか1mほどしかないホームのフェンスにつかまって、しかし気持ちだけでもと線路上に身を乗り出して吐いてたら電車が来て危うく命を落としかけたことがあったっけ。そして翌日ホームにおがくずの跡とかみてものすごい罪悪感だった。

酒やめようっておもった。心から。なのにあれから何年経ったのか。

それから、こんな地味な顔立ちのわたくしですが若いころにはキャバクラでバイトなぞしていたこともあり、その日は阪神優勝で大盛り上がりのトラキチが来店し、六甲おろしにあわせて一気飲みして潰れたことがあった。
で、送りの車の後部座席に横になって、ていうかもう送りっていうか搬送されていたのだけれど、嘔吐感に目覚めてしまう。
止めてください、と言おうとした瞬間、耳に飛び込んできたのは運転席の黒服と助手席のホステスの痴話喧嘩。女の子は泣いている。ふたりはわたしがすっかり寝入っているとおもっているのだろう。
わたしは横になったまま自分のバックをこっそりとたぐり寄せてそのなかに、静かに静かにリバースしたのだった。
ああ、このふたりデキてたんだ……とおもいながら。

むかーしむかしの話じゃよ。


でも誰かに介抱されるほどって経験がない(記憶がないだけか?)。人知れずトイレで吐いてまた何事もなかったように席に戻るとか、道っぱたでサッと吐いて「じゃあ行こうか」つってさっさと立ち去るとか、友人と別れてひとりになった瞬間に吐いたりする。

お酒が強いからとかじゃなくて、なんかへんなプライドとか自意識が働いてるんだとおもう。

だから、今日の女子はメガネ男子ふたりに介抱されてたのでちょっとうらやましかった。


ああ、今日はタイトルに「しくじり噺」なんて書いたけど、嘔吐に限定した思い出話をとりとめなく書いただけで、酒の上での失敗なんて山ほどあってもう思い出したくもないよ。あれやあれにくらべたら嘔吐なんてぜんぜんしくじりなんかじゃないよ。でも思い出したくないから思い出話すらできないんだよ。
2013-05-31

芸に生きるひとを見た

カテゴリー: 日記
先日より、とあるかたのお手伝いに行くことになりました。

初めはボランティア募集というかたちでそのかたを知ったのですが、ボランティアとはすこし違う気もするので、お手伝いです。

そもそもボランティア、というものにわたしはあまり興味がなかった。
というか、「人の役に立ちたい」「人の助けになりたい」という気持ちが自分の中に少しばかりあったとして、……あったとして、じゃないな。あります。たしかにどこかあるのです。が。

まずそれはただ自己の承認欲求を満たしたいだけなのではないのかしら、と感じていることに嫌悪するのと、これまでわたしはわたし自身が生きることだけで手一杯だと思い込んでいたこと。あとはまあとにかく新しいことを始めることにすごく臆病でとにかく面倒くさがりなので、これまであまり縁のなかった、というか、機会はいくらでもあるけれど、避けて通ってきた世界です。


そのかたは、とある芸事を生業としているかたでした。
いくつかの賞を獲り、真を打ち、これからを期待されている最中だったそうです。再起不能と宣告され、日常生活もままならぬところから奇跡の高座復帰を果たすまで、並々ならぬ苦労があったことは容易に想像できますが、それがどれだけのことなのかは想像を絶します。

プロフィールを知り、彼の抱える障害についてを知り、その厳しさと絶望のなかからどのように這い上がってきたのかを断片的にでも知ったことで、人間の生きようとする力を強く感じ、揺さぶられたのです(こう書くとなんだか安っぽい言葉になってしまって不本意ながらも、うまく言葉で表せないのがほんとうにはがゆいですが)。

だから、自分の中ではボランティア精神とはだいぶちがうのですね。
「このひとだからこそ」という思いです。


先日お会いして、お話しをしているなかでなぜこの世界に入ったのかという質問をしました。すると、

「今だと若いひとがよく“自分探し”なんて言うでしょ、ぼくもそうだったんでしょうね。そのとき、この芸に出会いました」

と話してくれました。

わたしはそれを聞きながら、じつはこれまで小馬鹿にしていた“自分探し”という言葉、この言葉の持つ意味合いがこの一瞬にして変わり、(わたしももっと早くに探しておけばよかったな、見つかるにしろ見つからないにしろ……)などとおもっていました。

が、もしかしたらこれはこれわたしはわたしで、自分という駒を少し動かしたのかもしれないといまは感じています。


お手伝いの内容は、彼のお師匠さんの芸が録音されたカセットテープを、障害のある彼にも、そしてそれ以外のひとが見てもわかるような一覧表にまとめるという作業。

ご本人以外が見てもわかるように。つまり、こちら側からみるとすごく切ないことですが、彼はご自分の最期と、その先へ残すものを見据えているのでした。

わたしは昨年、冗談みたいに立て続けに両親を亡くし、そのとき精一杯の看取りをしたつもりではありましたが、そんなのはわたしがそうおもわないとやっていけないからというだけで、絶対にまだできることがあったのだと後悔することは山ほどあります。そうおもいながらいまだ中途半端にほったらかしていることも。

このお手伝いをその代替にしようなどとはこれっぽっちもないつもりですが、そうしたお話を聞くとやはりそこにはなおのこと自己欺瞞があるような気がしてなりません。それでも、手を挙げずにはいられなかった。




ところで、ヘルパーさんというお仕事は、仕事・芸事に関しての補助はしてくれないということも初めて知りました。

だからわたしなんかはもうそんな「どこそこから派遣されて参りました、規定に添ってお仕事いたします」ではありませんから、なんでも言ってくださいね、それこそ、弟子でもとったつもりで!

とはりきって言ったところ、

「もう弟子はとりませんよ。この芸も、もう大衆芸能じゃなくなりましたしね」

と笑いながらおっしゃいました。

古き良き時代というものに想いを馳せ懐古すること、わたしも好きなほうなのですが、そんなのはただの自己満足でしかなくなんの意味も価値も感じません(そもそも“古き良き時代”ということ自体が怪しいとおもってます。本当に“良き時代”だったのか)。

けれど、このときのその言葉は一生忘れないだろうとおもいます。
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