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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

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2013-05-10

外にも出てみたり

カテゴリー: 日記
充実のひきこもり、ときのうは書きました。

が、今日はなんとなく勢いつけて落語会に行って来ましたよ。

今秋、真打昇進が決まった三遊亭天どんさん。
わたしは彼の、虚をみるひとりごとのような、
それでいて引き込まれる落語が大好きだったのですが、
今日の会場は高座との距離が驚くほど近かったせいもあるのか、
これまでのそんな印象がすごく浅はかなものだったと反省しました。

一席目から「子別れ」
圓丈師匠のお弟子さんにいうのもなんだかあれな気がしますが、
わたしは彼の古典がとてもすきです。
まえに聴いた「双蝶々」がとてもよくって。
たしかネタおろしだったせいか、いやいやもともとそんな感じか
(今日も「“やはり野に置けれんげ草”よし噛まずに言えた」とかなんとか言ってたし)
完成度は低かったですが、そこもまたいいんですすきなんです。
あーぜんぜん褒めてない。こんなにすきなのに。

間にゲストの清水宏さん。
子別れのあとに観たからよけいにか、激しすぎてびっくりしました。
客いじり芸にすっかり巻き込まれてしまった。
こういうとき、へんに恥ずかしがってたらだめなのね、と実感。

二席目は清水さんの余韻を残しながら新作。時間を止められる超能力を持っている老人、そして止まった時間のなかで唯一動くことができる超能力を持ってしまった青年、そして彼の想い人である女性もまた…、みたいなお噺。
SF、それも藤子F先生のS(すこし)F(ふしぎ)な世界観のお噺でした。

ところで笑点でもおなじみ誰でも知ってる有名な亭号「三遊亭」
あの「三遊」って「飲む・打つ・買う」のことだったのですね。
今日知りました。とんでもないなあ。


終演後の打ち上げもたいへん魅力的だったのですが、臆病風を吹かせて退散。

小雨降るなかとぼとぼと歌舞伎町まで出て、天下一品食べて。
天一、だいすきなはずなんだけど、年々食べ終わったあとの満足度が落ちてきてる気がする。
加齢かな…。

スルスルとキャッチから身をかわしながら歌舞伎町を歩く。
ほんの10年ほど前までは、オスローのあたりはまじで近づくな!
なんてその筋に通ずるにいさんなんかに言われたりしたものですが、
いまはずいぶん平和で。
あの、喬太郎師のマクラにある学生コンパの移動風景みたいのが
リアルで繰り広げられておりました。

39℃の発熱をした同居人に、ウワサの経口補水液「OS-1(オーエスワン)」を買って大久保からタクシー帰宅。
2013-05-10

やってしもうた

カテゴリー: 日記
あんまりこういうネガティブキャンペーンをすると、殿方はきっと引いてしまうのだろうなとおもいつつ。

正直なとこわたくし、私生活で諸事情ありましていまものっすごい気が滅入ってる状態で。
ボロい一軒家でいまどき木製の雨戸を閉めきって、昼も夜もない暮らしをしたりして、とことんまでおのれの感覚を落としてます。

もちろん仕事はしてますよ!
そりゃもういい大人ですから、オンオフをしっかり切り替えるために、オフのときにじっとしておるわけです。
もともとはりきって予定を詰め込むタイプでもないですしね。

だからわたしのなかではこれが本寸法。

で、そうこうしながらそっからそのうち上がっていくのは経験則というか、本能的にきっとわかってるんですよね。

動物って、調子がわるいと暗いところでじっとしてるでしょう?
あんな感じ。

だってそれでも、こちらのサイトでプロフィールなんか書きなおしたり写真差し替えたりなんかして、日記だって狂ったようにいっぱい書いて。

メッセージもたくさんいただいて
(ちょっとたくさんいただき過ぎちゃって、お返事が追いつかないです。ごめんなさいね)
趣味のお話なんかもできちゃって。充実のひきこもりです。

外とつながろうって気持ちがあるうちは、そんでもって実際つながれることがなんとなくたのしいうちは。

だからまあ、いいんですそんな過ごし方も。


でもね、今日っていうかついたったいま、やっちゃいました。
ヤフオクで衝動買い。

古谷三敏の「寄席芸人伝」文庫版全8巻ポチッと入札!

なんで急にそんな? ってのもたいしたことない理由がありまして。
まあ、ついさっきまでかの名作「ダメおやじ」を読んでたんで。つい。

しかしあれです、コンビニのペーパーバック版はどうもダメおやじが自分の生き方を見つけていく、アウトドアにはまっていくうんちくの章が中心で、オニババもどんどんやさしくなっていくしでちょっと物足りないです。
知床に栄転という名ばかりの左遷をくらったダメおやじが、人間の尊厳を失いながらも東京へ帰ってくる。ギュッと会社の名刺だけを握りしめて。
そのエピソードはウッとくるものがありますけれど。

寄席芸人伝は、近所のたまに行く中華屋にペーパーバックが置いてあったんで、さほどおいしいわけでもなくほんとになんの感動もない麺なんかすすりながらそれを読むのが楽しみだったんですが、こないだ行ったら見事に処分されちゃってまして。

というわけで、3000円の春色スカートを買うのには躊躇して安い古着を買い漁るようなわたくしですが、まんがにはポンッとやってしまう。
いわゆる女子力の低さを露呈させた日記になってしまったと。

だからタイトルの「やってしもうた」には二通りの意味があるってことなのです。

落札できるといいなあ。
でも、ほんとは文庫版ってあんまり好きじゃないんです。
しかししょうがない。
絶版ものだからと考慮しても、状態も価格もぜんっぜん違うのですもの。
2013-05-09

それもあり

カテゴリー: 日記
10年ほど会っていなかった母方のいとこと食事をしてきた。

56歳になったという彼女は昔からずいぶんエキセントリックというか底の抜けたというか、まあひらたくいうとなんかあたまのおかしい人だった。

ものすごく自然におっそろしい暴言を吐いたりというのを何度か見ていたので、できればあまり関わりたくない気もしていたが、両親の余命が知れてきたころから頻繁にメールがくるようになりわたしもそれに返信するようになった。
他愛もない季節のあいさつが、写真や絵文字、デコメでにぎやかに彩られている。母が亡くなったときのお悔やみメールに、ちびまる子ちゃんに出てくるヒデじいだっけか、花輪くんの執事みたいなじいさんでデコられていたときは意外性こそなかったがそこはかとない狂気を感じた。

わたしの親族やわたし自身にも若干こころあたりがないわけではない脳や精神のなんらかのなにか、そこに血筋が関係しているとしたらまちがいなく母方だろうとおもわずにいられないほど象徴的なひとだ。

パスタが大好きというのでわたしがたまに行く中野のパスタ屋で、互いの近況報告や思い出話などをした。すごい速さで食べながら、食べている最中もものすごい早口でしゃべり続けて空いた皿はすぐさま店員を呼び下げさせる。そのつど店員に親しげに話しかける大きな声が広くはない店内に響く。うしろの席についた客がさりげなく別の席へ移動した。いまにも泣き出しそうな表情で彼女の叔母であるわたしの母の話をしたかと思ったら突然えげつないdisが入る。そういうところが相変わらずだったというか。

10年前、胃がんで亡くなった伯父の通夜に行ったときのこと、母は受付にいた彼女を見つけると小走りで駆け寄って抱きしめ、「辛かったね、よくがんばったね」と泣きながら言った。彼女も「ねえちゃんありがとう」といってふたり強く抱き合って泣いていた。わたしもそれを見てもらい泣きしそうになったのだが、その直後に母が彼女の140cmに満たない小さな後ろ姿をみながら「あいつのあれは発育障害だわ」とさらっとわたしに言ったのだった。つまり、そういう人たちなのだ。わたしもまたよく似た傾向をもっている。

ただ、昔よりもすごく生き生きとしていた。それをことさらに強調する彼女本人の語り口のせいもあるのだろうけれど。子どもが好きで、子どもが欲しくて見合い結婚をしたが授からず、さらに相手からのDVもあったようで離婚したと聞いた(ちなみにその件について母は当時、焦って相手選ばないからああいうことになるんだ、もっともあの性格と器量じゃいい男なんか捕まえられないだろうけどと言っていた。何度もいうがそういう人間なのだ)。

40歳のときに保育士の資格をとり、いまは大好きな子どもたちに囲まれて働いている。3LDKのマンションにひとり暮らしだから遊びに来て、だけど貧乏暇なしだから派遣で保育の仕事をしている他に家庭教師や障害を持つ子どものお世話もしているのよあとねダンスもやってんのそんで子どもたちに教えてねエキスパートなんだから、sちゃん(本名)いいかい結婚だけがしあわせじゃないよあたしはこの歳でやっと青春だよほんとうに毎日がたのしい、と矢継ぎ早に話す彼女をみて純粋に、うらやましいなとおもった。

以前ほど思いつめることはなくなったけれど、結婚や出産はやっぱりしてみたい気がする。してみたいとおもうと少なからず焦りがでてくる。でもわたしは疑ってばかりで、確約のないものに焦ったあげくみじめな思いをするのがもう嫌だとおもう。

ご縁とタイミングがあれば、などと言ってはいるがその言葉に逃げているところもある。そういう状態でいるいま、彼女のような存在とそのことばはとても励みになるし、目標にしたいとおもう。どんなに望んでも手に入れられなかったものへの未練で世界を恨んだり卑屈になることなく全力で自分の生活を楽しんでいるのはほんとうに素敵で、彼女の話に引きこまれた。

わたしもそんなふうに生きていけるだろうか。わたしはずっと迷っていて、いまも迷いのなかにいることを知ってか知らずか彼女は、sちゃん、いい大人になったね。それだけできてれば上出来だよ、自分の思うように、やりたいことをして生きていけばいいよ、なんだってできるよ、と何度も言ってくれた。そして、わたしも今がほんとうにしあわせ、と何度も言って、最後に聖教新聞をくれた。

あらなるほど。
2013-05-04

かわいいひと

カテゴリー: 日記
だいたいはひとがなにをしていてもかまわないほうなんだけれど、わたしはけっこうなやきもち焼きではある。

かといってずっとどこまでも自分だけをみてなきゃ殺す、などと情念とバイオレンスでできているわけではなくて、やきもちやきをプレイとして楽しんでるとこがあるんだろうな、とおもいます。

泥沼の恋愛にはまって阿部定ばりの情念深さを出してしまったこともありましたが、そういうのはもう疲れちゃいました。

おつきあいの在り方によって変わってくるのでしょうが、メールも電話も基本、用事がないとしないしね。

アメリカンな方々が臆面もなくパートナーを褒めちぎるのをみて、うらやましいなとおもったりします。うちのワイフのチェリーパイは最高さ。ファーストレディにゃ作れない味だぜ、なんてね。

だから落語なんか聴いてると、あー男むかつく!とかおもうことがあるわけです。多々。

たとえば「替り目」、これは五代目志ん生師の改作なのですか?おかみさんを買い物に出したあとに、いないとおもって夫は好き勝手にいろいろ感謝を述べますが、そんなふうにおもってんなら直接言いなさいよ!あとおでんぐらい自分で買いに行きなさいよ!って。

そんなわたしが、あこがれというか、かわいいなとおもうのが「夢の酒」に出てくるおかみさんです。若旦那がうたたねのなかでみたちょっと艶っぽい夢に嫉妬して大旦那を巻き込んで大騒ぎ。

そーゆー夢を見るってことはそーゆー願望があるってことなんですよ!
おとうさま、夢のなかの女に二度と若旦那に手を出さぬよう言ってきてくださいまし!

なんて、なかなか言えないですものね。
めんどくさい女ではあるんでしょうけど、それくらいストレートな愛情表現をしてみたいなっておもってます。
2013-05-02

寝る前

カテゴリー: 日記
寝る前に落語をかけながらというのが日課になってしまった。
しまった、というほどごたいそうなことではないのだけれど。

まだまだにわかファンなので、いろんな噺をききたい。
柳家喬太郎の新作落語でその自由さに衝撃を受けたものの、楽屋落ちやパロディがわからないと悔しいわたしは、より新作をたのしむために必死で古典を聴いているところ。
けど、どうも偏ってしまうのはどういうわけかしら。
春風亭一之輔の不動坊ばっかりもう何十回も聴いたりとかして。

お付き合いしていたひとの影響ですっかりはまってしまったので、もしも関係が終わってしまったら、きっとこのマイブームもすっと過ぎ去るんだろうなとぼんやりとおもっていたのだけれど、なんてことはなく別れ話をしてがっくりと肩を落として帰ってきた夜も、馬生の笠碁なんかかけて眠ったのでした。
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