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happy

草花や自然を見たり、時折お城めぐりなどして、気になる一枚を撮影しています。

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2010年05月07日(金) 08時05分31秒

ナガミヒナゲシ

カテゴリー: 心の落書き帳
おはようございます(^o^)/

暖かい日が続きますね

今日は我が家の庭について…

昨年までは庭の手入れが行き届き、この時期はマーガレットや小菊が咲き誇っていました。

昨年秋から仕事の忙しさで庭の手入れが出来ず、放ったらかしだったのに…

庭のあちこちでナガミヒナゲシが乱れ咲き…
日に日にその勢力が拡大しているみたい…

来年はどうなるのだろう…
2010年05月09日(日) 19時41分57秒

私にとっての母の日

カテゴリー: happyログ
こんばんは (^o^)/

今日は5月9日、母の日です。

私にはカーネーションを送れる母がいません。

今日は母の日に因み、我が母について綴ってみました。




happyログ:「胃がん(母の半生)」


私の母は埼玉県西部のとある村(現在は市)から

父の元に嫁ぎ

昭和40年、25才で私にこの世の生を与えました。

当時、我が家には

父の次弟・末弟・姉夫婦そして祖父の妹夫婦と

祖父母・長女(姉)そして私の

大所帯での共同生活で台所を切り盛りしていたそうです。



私を生んだ頃、

父の姉ががんに侵され入退院を繰り返していましたが

帰宅療養中の介護もしていたそうです。

私が中学生になった頃から

祖父に異変が現れ、介護を余儀なくされました。

次第にボケ症状も出て

臨終の間際には介護をしていた母以外

判らない状態になりました。

当時、父が自分(祖父)の息子(父)も判らなくなるとは情けない

と言っていたのを今でも覚えています。

つまり、息子である父の事さえ判らなくなる状況で

母の事だけはしっかり判るほど

献身的な介護をしていたと言えるのです。

私のハンネ「happy」は名前に「幸」が付くからですが

この「幸」の字は母からいただきました。

単なる偶然でしょうが

生年月日・血液型が同じで性格までそっくりでした。

ある時期、私は母のコピーでは?と思ったこともありました。



私が高校生の頃

母自身に異変が現れました。

夜眠れず、真夏でも布団に行火を持ち出し

冬にはかけ布団を5枚もかけるという事が数年続きました。

夜眠れなく昼間も眠れないことが続き

昼間から夢を見るらしく夢と現実の区別が付かずノイローゼになってしまいました。

あとで判りましたが更年期障害の特異症状だったそうです。




時は流れ・・・

母の下腹部にコリコリしたものがみつかり

都内の大学病院で診察したら

子宮筋腫で悪性の疑いも在り得ると言うことでしたが、結果は陰性でした。

手術により筋腫切除後は毎月通院する生活となりました。



この頃から母がガーデニングに目覚め、春には庭一杯に花が咲いていました。



今から4年ほど前

母の食欲がなくなり体重がかなり減ってきたました。

どちらかと言えばふくよかだった顔が見るからに窶れ父の強引な説得でやっと病院に行きました。

病院での診察結果は胃炎とのこと。

その時は大学病院だから間違いないと思っていました。



その後も母の症状は回復せず

むしろ悪化している事が私達にもわかるようになりました。

病院で精密検査をしましたら

胃にポリープが発見され

病理検査の結果はやはり陰性でした。



翌月再度精密検査をしたときにはポリープが増大しており

病理検査の結果、陽性・・・

つまり、胃がんです。

還暦を迎えたばかりの年齢では

がんの進行が早くその時はもう末期でした。

先生より告知を受けた時

母には絶対に知らせないと家族で硬く約束しました。



当時ディーラーに勤めお見舞いは休みの火曜日しか行かれませんでした。

入院して2ヶ月程経った時、先生から余命の知らせを受けました。

「あと1週間から10日・・・」

目の前が真っ白になりました。

臨終間もない状況を知った私は

会社から許可が出ないのに欠勤し

付きっ切りの看病をし始めました。

朝8時に病室に入り、消灯の21時まで・・・

もう体を動かす力も残っておらず、2時間ごとに体の向きを変えてあげました。

点滴だけの闘病生活に上半身はげっそり痩せ、反面足は浮腫み丸太のようでもあり、目を背けたくなる姿になっていました。

日に日に体力の低下と病状が悪化していくのが判り、辛い時間(とき)が流れていきました。




会社を休み1週間が経った時

病床の母が

「もういのちない   ごめん」

と言うメモを書いていました。

母に促されそのメモを見たときはこぼれそうな涙をこらえ、

「大丈夫、直ぐに元気になるから・・・」と励まし続けました。

翌日先生から、「おそらく今夜が峠です。」

と、聞きたくない最終告知を受けました。

その晩は特別な許可を受け、父だけが病室に泊まり込みました。

帰宅しても眠れる筈がありません。

眠れぬまま朝を迎え、病院に向かう車の中で母の死を知りました。



それまで欠かさず行っていた庭に咲く花への水遣りも忘れる日が続き、次第に荒れ果ててしまいました。



あれから3年・・・

今でも母が自宅にいる感じがします。

私と父で庭の手入れを始め、徐々にではありますが、花が咲く庭に戻ってきています。



昨年春に父が倒れ

現在父が介護を必要としています。

母が生きていれば当然したであろうことを

私がしています。




長文を読んで戴きましてありがとうございました。



追伸
これは今から3年前の投稿したhappyログです。

その後、父が他界しもう2年が過ぎました。
2010年05月14日(金) 05時38分33秒

突然のお休み…!(b^ー°)

カテゴリー: 心の落書き帳
13日仕事を終え帰宅してからしばらくすると

突然携帯が鳴り響いた…

何?

何かあったのか…(?_?)

電話に出ると、いつも聞き覚えのある上司であった(・◇・)?

『明日休んでいいぞ!』

えっ…

お休みが突然やって来た…(*^o^*)



シャワーを浴び、まったりしていると

先日行った鶴ヶ城(会津若松城)の事を思い出していました。

身体を休めたいが未だ限界ではない…

想い立ったら吉日





午前3時に家を出て一路松本城へ…

片道約250キロの道のり

関越道所沢インターから上里サービスエリアで一息ついています。
2010年05月14日(金) 05時59分14秒

一休み…

カテゴリー: 心の落書き帳

車は関越道より上信越道へ

4時を過ぎた頃から空が白み始め

5時頃、下仁田辺りで朝陽を見かけました。

碓氷のトンネル群辺りから黒い雲に囲まれ

上田菅平辺りからやっと黒い雲を抜け、青空が見え隠れしてきました

松本はどんな天候なのだろう…

千曲川さかきパーキングにて一休みし



いざ、松本城への長野道へGO
2010年05月14日(金) 06時59分33秒

ちょっと仮眠

カテゴリー: 心の落書き帳
長野道に入り、松本城の松本インター手前の梓川サービスエリアでちょっと休憩

この辺りも標高が高く、高速脇の山々に雲が架かる場面を何度も目にしました。



松本城まではあと6キロくらいかなぁ

本丸に入れるのが9時か10時だったので

ココでしばらく休憩と仮眠…



天気予報では最高気温14℃

雲が多く、空気がヒンヤリしているそうだとのこと

暖かくなりますように…
2010年05月14日(金) 10時01分16秒

松本城

カテゴリー: 心の落書き帳

ようやく松本城に到着(*^o^*)

で、私の知るところによると

戦国時代、この地(信濃・現在長野県)を支配していた小笠原氏が支配地域の遠方を治める為の城(支城)として深志城を築城しました。

支城である深志城は甲斐武田の攻撃に敗れ、武田は松本平支配の拠点として深志城を防備拡張

時代は流れ信虎から信玄→勝頼へ

武田勝頼が長篠合戦で敗れ、没落そして滅亡
この地の権力は武田から徳川に…

家康の命で小笠原氏が旧領を回復し深志城から松本城に改名

しかし、豊臣秀吉による小田原征伐で権力は徳川から豊臣に…

そこで松本支配を命ぜられたのが、徳川家康の片腕であったが豊臣に寝返ったとされる石川数正…

石川数正は深志城からの松本城を現在の原型である深5層6階の大天守を築城


その後城主は絶え間なく代わり、松平氏の時、現在の型にされました。

簡単ですが、こんなあらすじだったと思います。
2010年05月14日(金) 12時22分45秒

松本城散策

カテゴリー: 心の落書き帳

これまで松本城には何回来たのだろう…

去年は確か3回、今年は既に2回…

毎回訪れる度にその表情を変えている。

国宝松本城は、戦国末期に築城され、江戸時代初期に現在の姿なり、震災や戦災を免れた国内12基ある現存天守の1つ



私の好きな城郭のナンバー3

水堀や石垣、外観も壮大だが、私が気に入っているのは、内部構造…

戦国末期にあの石川数正が築城した城郭とあって、各階を結ぶ階段はかなり急…

落城寸前での天守防衛を意識した作り…

他の江戸時代に築城された城郭とは一味も二味も違う

また何度でも来てみたい城郭です。
2010年05月14日(金) 15時18分18秒

海津城(松代城)

カテゴリー: 心の落書き帳

松本城を後にし、帰宅途中で海津城(松代城)に訪れました。

海津城は、信州武田信玄と越後上杉謙信が雌雄を決した川中島合戦の際、武田の軍師・山本勘助が築城した合戦城として伝えられています。

江戸初期まで、城(藩)主は目まぐるしく代わり、真田幸村の兄・真田信之が藩主になってからは、明治を迎えるまで、真田家が藩政を勤めました。

明治の廃城令により廃城

昭和後期、国の史跡に指定され平成になって復元工事が始まり、今では、日本百名城の一つに挙げられています。

復元された城門や櫓門、石垣や土塁など、往時を偲ばせる雰囲気に感動します。
2010年05月14日(金) 16時52分34秒

佐久平ハイウェイオアシス(平尾山公園)

カテゴリー: 心の落書き帳
帰宅途中、上信越道の佐久平パーキングに入りました。

ココにはハイウェイオアシスが併設されており、春から秋にかけては草花が彩り、昆虫館やドッグラン、レストランなどもあります。

冬になればそこはスキー場に変わり、高速に乗ったままスキーができます。

パーキングに車を停め、エスカレーターを乗り継ぐと、対面の景色は唸るほど…

冬にゲレンデになる場面にはチューリップや桜草が植えられ、綺麗な花を咲かせていました。

しばらく対面の山を見ていると、これまでの疲れがスーっと消えてゆくように感じました。

自然って凄いなぁ…
2010年05月20日(木) 02時27分12秒

出発(^o^)/

カテゴリー: 心の落書き帳

こんばんは、happyで~す(^o^)/

今月初め、世間ではゴールデンウィークでした。

が、サービス業にて汗を流す私には、まとまったお休みを取れる事は殆んどありません。


予てより職場に申請していた連休がやっと叶い、今日から3連休取れる事となりました(*^o^*)



そこで、私にはお城巡りが…

以前から再訪したかった、熊本城に向かいます。

携帯電話のナビ機能で検索すると、約1250キロ、18時間半…



これまでほぼ全国をドライブした私には、あまり驚く数値ではありません。





さぁ、準備して出発しよう(^o^)/
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