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happy

草花や自然を見たり、時折お城めぐりなどして、気になる一枚を撮影しています。

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2010年05月21日(金) 21時27分45秒

関門橋

カテゴリー: 心の落書き帳
こんばんは、happyですo(^-^)o

久しぶりの九州遠征・熊本城散策を終え、帰宅の途についています。

昨夜は濃霧の為全く判らなかった関門橋が、今夜は綺麗に見えます。

今日1日だった九州の地もこれでお別れです。




さようなら…

九州…



たっだいま…

本州…
2010年05月21日(金) 19時29分48秒

宇土城跡

カテゴリー: 心の落書き帳
熊本城から十数キロ離れた場所に宇土城跡があります。

が、行ってみると宇土城跡は何と2つあるそうな…

どこの言葉じゃぃ



熊本城の宇土櫓の出どころとされる城跡は本丸だけ…

と勘違いしていまいそうな広場で、一番奥に城主だった小西行長の立像が立っていました。

この城跡から約500メートル離れた場所に中世からこの地を支配していた豪族により築城された山城がありました。

空堀や縦堀・畝などが残り新ではなく真のお城FANには小さいながら心擽る城跡でした。
2010年05月21日(金) 19時10分31秒

【熊本城】石垣

カテゴリー: 心の落書き帳

熊本城は加藤清正が築城した城郭

天守閣や櫓などと共に石垣の妙により、日本三名城に選ばれたと言っても過言ではないでしょう。

石垣の角度の違いは建設年代に差があるからだそうです。

こんなに急な高石垣だったら、忍者でも登れませんよね。



しかし、これだけの石垣を造る為の石を集めた清正の支配力は凄いです。
2010年05月21日(金) 18時52分05秒

【熊本城】本丸御殿

カテゴリー: 心の落書き帳

熊本城本丸御殿は西南戦争で焼かれ、最近まで再建されないでいました。

本丸御殿再建は平成の復元計画の柱とされ、木造で当時の技法での再建となりました。

障壁画は、二条城の障壁画を手掛けたチームにより、描かれたと報道があったように思います。




余談ですが、御殿が残っているのは、高知・高知城と静岡・掛川城に埼玉・川越城の3城と例外的な意味で二条城があったと思います。

間違っていたらスミマセンm(_ _)m
2010年05月21日(金) 17時56分44秒

【熊本城】飯田丸五階櫓・おまけ

カテゴリー: 心の落書き帳

飯田丸五階櫓

平成になり、当時の技法で復元されました。

内部に入ると、屋根には釘が使われてなく、合掌造りを思わせる作りをしています。

私は木造の櫓(天守)の内部を見ると必ず屋根の組み方を見ています。

いつもの様に1階から天井を見ていると…

大きな梁に、ふくろうが居ました(?_?)

何故…

大工の遊び心…

そう想い、各階の柱や梁を注意して見ましたが、他には居ませんでした。

受付のおじさんに聞くと

復元工事の際、誤って大事な梁にキズをつけてしまったそうです。

工期は延ばせず、予算もギリギリでした

キズの事を聞き付けた大工の棟梁が、キズを隠し尚且つ遊び心を交えてふくろうをキズ穴に埋めたそうです。

では何故ふくろうだったのか…

ふくろうは夜の番人と云われ、火災や災害から櫓を守る

とされていたからだそうです。

城郭建築には宮大工の技術が使われています。

日光東照宮の様に意味を持っているのですね…
2010年05月21日(金) 16時18分19秒

【熊本城】飯田丸五階櫓

カテゴリー: 心の落書き帳
熊本城には明治初期まで、櫓が49棟あったそうです。

西南戦争での戦禍を免れたのは、僅か13櫓のみ…

御殿復元と共に当時の技法のまま復元されたのが、本丸の南西を守る飯田丸五階櫓です。

清正は優秀な家臣に櫓や門などを守らせ、その家臣の名前をつけるようになったそうです。

外観3層内部5階の飯田丸五階櫓は、熊本城の中では小さな存在ですが、大きさだけでは、青森・弘前城や福井・丸岡城、高知・丸亀城、愛媛・宇和島城より大きく感じました。


清正のスケールの大きさに感服しています。


やっぱ、日本三名城の一つですね。
2010年05月21日(金) 12時17分54秒

【熊本城】天守櫓

カテゴリー: 心の落書き帳

いよいよ大本命の天守櫓です~

一般的にお城と言えば天守を指しますよね。

江戸時代より現存する天守は全国に12城ありますが、熊本城は残念ながらその中には入っていません。

熊本城天守は築城時、清正が記念に銀杏の木を本丸に植えました。
『この銀杏が天守の高さまで育った時、災いが起こるであろう』

清正は予言めいたことを残したそうです。

時代が下り、世が江戸から明治に代わる頃、清正が予言した災い、西南戦争が起こりました。

本丸の銀杏は見事に育ち、天守を越す高さになっていたそうです。

この戦禍で天守は焼け落ち、宇土櫓を含む一部を残すのみとなったようです。





天守は5層6階の大天守と3層3階の小天守を持つ連立天守

防火の為黒く塗られた板を貼られた秀吉譲りの黒い天守…

松本城の様に古武士が胡座(あぐら)をかいているように感じます。
2010年05月21日(金) 10時25分14秒

【熊本城】宇土櫓

カテゴリー: 心の落書き帳
こんにちは、happyです(^o^)/

いよいよ熊本城散策ですo(^-^)o

最初のリポートは宇土櫓(うとやぐら)

写真だけ見れば、10万石以上の天守…

しかし、ここ熊本城では単なる櫓なのです。

この宇土櫓は熊本城近くにあった宇土城を解体移築したそうです。

なぜ…

加藤清正の考えは判りませんが、防衛上の理由の他に、大きな意味があるのではないでしょうか…


これは私の推論なので、歴史学者とは違うかもしれません。

戦国末期、信長は力で相手を捩じ伏せていました。

秀吉は死者をなるべく少なくし、相手の戦意を削ぐ戦法に長けていました。

秀吉譲りの清正も同じ考えから、九州を治める為、巨大な城を持つことで、他の大名の戦意を削いでいたのではないでしょうか。

清正の力、すごし…
2010年05月21日(金) 07時39分40秒

真っ白…(?_?)

カテゴリー: 心の落書き帳
おはようございます(^o^)/

今日はいよいよ熊本城です(*^o^*)

昨夜山口のSAで仮眠をとり4時過ぎに出発しました。

辺りは未だ真っ暗…

本州と九州を結ぶ関門橋は霧に囲まれ、いつ九州に入ったのか暫くは判りませんでした。
5時過ぎになると辺りが明るくなり太陽が恥ずかしそうに顔を覗かせています。

この辺は大型トラックばかりが数珠繋ぎ…



直線路を走っていると、朝陽に照らされた日だまりに真っ直ぐな線が…

その向こうは陰…

車がその線を越えると、朝陽が差し込む窓のカーテンをサッと閉めた様に突然薄暗くなった(・◇・)?

分厚い雲の影に入ったようです。

すると、霧が出始め、段々濃くなると…

数分後には、辺りは真っ白…(?_?)

視界は100メートル足らず

道路のセンターラインの3本先が見えない…

速度を落とし、30分程で濃霧の結界から抜け出る事ができました(*^o^*)





今は北熊本SA

ここから約20キロで目的地・熊本城に到着ですo(^-^)o
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