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happy

草花や自然を見たり、時折お城めぐりなどして、気になる一枚を撮影しています。

 
2010年05月09日(日) 19時41分57秒

私にとっての母の日

カテゴリー: happyログ
こんばんは (^o^)/

今日は5月9日、母の日です。

私にはカーネーションを送れる母がいません。

今日は母の日に因み、我が母について綴ってみました。




happyログ:「胃がん(母の半生)」


私の母は埼玉県西部のとある村(現在は市)から

父の元に嫁ぎ

昭和40年、25才で私にこの世の生を与えました。

当時、我が家には

父の次弟・末弟・姉夫婦そして祖父の妹夫婦と

祖父母・長女(姉)そして私の

大所帯での共同生活で台所を切り盛りしていたそうです。



私を生んだ頃、

父の姉ががんに侵され入退院を繰り返していましたが

帰宅療養中の介護もしていたそうです。

私が中学生になった頃から

祖父に異変が現れ、介護を余儀なくされました。

次第にボケ症状も出て

臨終の間際には介護をしていた母以外

判らない状態になりました。

当時、父が自分(祖父)の息子(父)も判らなくなるとは情けない

と言っていたのを今でも覚えています。

つまり、息子である父の事さえ判らなくなる状況で

母の事だけはしっかり判るほど

献身的な介護をしていたと言えるのです。

私のハンネ「happy」は名前に「幸」が付くからですが

この「幸」の字は母からいただきました。

単なる偶然でしょうが

生年月日・血液型が同じで性格までそっくりでした。

ある時期、私は母のコピーでは?と思ったこともありました。



私が高校生の頃

母自身に異変が現れました。

夜眠れず、真夏でも布団に行火を持ち出し

冬にはかけ布団を5枚もかけるという事が数年続きました。

夜眠れなく昼間も眠れないことが続き

昼間から夢を見るらしく夢と現実の区別が付かずノイローゼになってしまいました。

あとで判りましたが更年期障害の特異症状だったそうです。




時は流れ・・・

母の下腹部にコリコリしたものがみつかり

都内の大学病院で診察したら

子宮筋腫で悪性の疑いも在り得ると言うことでしたが、結果は陰性でした。

手術により筋腫切除後は毎月通院する生活となりました。



この頃から母がガーデニングに目覚め、春には庭一杯に花が咲いていました。



今から4年ほど前

母の食欲がなくなり体重がかなり減ってきたました。

どちらかと言えばふくよかだった顔が見るからに窶れ父の強引な説得でやっと病院に行きました。

病院での診察結果は胃炎とのこと。

その時は大学病院だから間違いないと思っていました。



その後も母の症状は回復せず

むしろ悪化している事が私達にもわかるようになりました。

病院で精密検査をしましたら

胃にポリープが発見され

病理検査の結果はやはり陰性でした。



翌月再度精密検査をしたときにはポリープが増大しており

病理検査の結果、陽性・・・

つまり、胃がんです。

還暦を迎えたばかりの年齢では

がんの進行が早くその時はもう末期でした。

先生より告知を受けた時

母には絶対に知らせないと家族で硬く約束しました。



当時ディーラーに勤めお見舞いは休みの火曜日しか行かれませんでした。

入院して2ヶ月程経った時、先生から余命の知らせを受けました。

「あと1週間から10日・・・」

目の前が真っ白になりました。

臨終間もない状況を知った私は

会社から許可が出ないのに欠勤し

付きっ切りの看病をし始めました。

朝8時に病室に入り、消灯の21時まで・・・

もう体を動かす力も残っておらず、2時間ごとに体の向きを変えてあげました。

点滴だけの闘病生活に上半身はげっそり痩せ、反面足は浮腫み丸太のようでもあり、目を背けたくなる姿になっていました。

日に日に体力の低下と病状が悪化していくのが判り、辛い時間(とき)が流れていきました。




会社を休み1週間が経った時

病床の母が

「もういのちない   ごめん」

と言うメモを書いていました。

母に促されそのメモを見たときはこぼれそうな涙をこらえ、

「大丈夫、直ぐに元気になるから・・・」と励まし続けました。

翌日先生から、「おそらく今夜が峠です。」

と、聞きたくない最終告知を受けました。

その晩は特別な許可を受け、父だけが病室に泊まり込みました。

帰宅しても眠れる筈がありません。

眠れぬまま朝を迎え、病院に向かう車の中で母の死を知りました。



それまで欠かさず行っていた庭に咲く花への水遣りも忘れる日が続き、次第に荒れ果ててしまいました。



あれから3年・・・

今でも母が自宅にいる感じがします。

私と父で庭の手入れを始め、徐々にではありますが、花が咲く庭に戻ってきています。



昨年春に父が倒れ

現在父が介護を必要としています。

母が生きていれば当然したであろうことを

私がしています。




長文を読んで戴きましてありがとうございました。



追伸
これは今から3年前の投稿したhappyログです。

その後、父が他界しもう2年が過ぎました。