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ともだち塾の文芸日記

 
2009-04-20

白い馬

カテゴリー: 日記
  白い馬   高田 敏子

波の後ろを走る波・・・・・
波の前を走る波・・・・・
海には 白い馬が群れている

春の朝
白い馬は 陸に駆け上がり
少年たちの姿になって走り続ける

やがて
その若い光の一列が
みさきのほうへまがってゆく



 高田敏子は、子どもの詩だけでなく、大人向けの詩も書いている詩人だ。「こんにちはおひさま」「高田敏子詩集」「噴水のある風景」などの詩集がある。

 「白い馬」は、ファンタジー詩である。
 1連の〈白い馬〉を、現実の白い馬とみるならば、2連の〈少年たち〉は、現実の少年たちではない。
 2連の〈少年たち〉が、現実の少年たちであるならば、1連の〈白い馬〉は、現実の馬ではなくなる。

 どちらがいいのだろうか。
 私は、どちらでもいいと思う。
 もっといえば、どちらでもあり、どちらでもない、ということだ。
 それがファンタジーなのだ。
 ファンタジーというのは、現実ではないということではなく、現実でもあり現実でもない、イメージの世界なのである。

 詩は、イメージの文芸だ。
 詩のはじめから読んでいって、さいごまでイメージがつながっているのなら、詩として成りたっているのである。

 波が、繰り返し打ち寄せて、白い波頭が立っているイメージは、白い馬のイメージにつながる。
 駆ける白い馬のイメージは、春の朝、白いシャツを着て走る、少年たちのイメージにつながっていく。

 少年のイメージは、若い光のイメージになるし、その若い光が、岬のほうへ曲がっていくのは、波打ち際が岬のほうに曲線を描いて伸びていき、波が打ち寄せている、詩のはじめのイメージにつながる。

 波、駆ける白い馬、走る少年たち、若い光の烈と、くりかえされている躍動感あふれることばは、イメージのつながりが、無理なくできている。

 一つひとつのことばが、躍動感があると同時に、それがくりかえされることによって、この詩の躍動感を、より高めているのである。

 くりかえしには、ことばの意味のくりかえしと、イメージのくりかえしがあるのだ。
 「白い馬」は、イメージのくりかえしが、みごとなファンタジー詩を作りあげている。
 すべての詩が、イメージが大切だが、とくにファンタジー詩は、イメージのつながりで成りたつ詩だ。