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ともだち塾の文芸日記

 
2009-04-07

かお

カテゴリー: 日記
  かお   桜井 信夫

きねんしゃしんに
みんなで おさまっている

 あのこが いる
 あのこだけを みる

いくれつもならぶ
みんなの ちいさなかお

 あのこが いる
 あのこだけで いい


 桜井信夫は、1931年生まれで、「コンピューター人間」「シカのくる分校」などの著作があり、児童文学作者でもある詩人だ。

 恋がテーマの詩では、「わたしの、何才のときと同じ」と、思い描いてみるのも、楽しいのではないだろうか。

 4連でできている詩だ。
 2連と4連が、対句になっている。
 対句表現のばあい、対比や類比してみると、詩の内容が深まる。

 この詩では、2連と4連の1行目は、同じことばですが、2行目が違う。
 懐かしい記念写真を、久しぶりに見た年齢の話者のばあい、4連のように、

 〈あのこだけで いい〉

と思うだろうか。
 記念写真を撮って、出来上がった写真を、ドキドキしながらはじめて見る、そういう話者ではないだろうか。

 この道は、あのこが通った道だ。
 この花は、あのこが好きな花だ。
 ああ、この家に、あのこが住んでいる。
と思っただけで、ドキドキしてくる、初々しい恋だからこそ、

 〈いくれつもならぶ
  みんなの ちいさなかお〉

なんかどうでもいい。

 〈あのこが いる
  あのこだけで いい〉

と思ってしまうのだろう。

 となると、2連4連の1行目は、同じ

 〈あのこが いる〉

だが、記念写真が出来てきて、まず〈あのこ〉を見る。
 そして、みんなの顔が並んでいるが、〈あのこ〉を見る。
 というように、微妙に心持ちは違うのではないだろうか。

 だから、類比は対比を内包しており、対比もまた類比を内包しているのである。