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○|○|日記館

夢でおならを踏むような噺
…とは程遠い、生活感あふるる自分語り

 
2013-08-24

愛というのじゃないけれど

カテゴリー: 日記
・夏休み気分が抜けないので近所の盆踊りに行ってきた。

盆踊りのスタンダードナンバーでありながら幼少より去年までまったく踊れなかった(といっても本気で踊り始めたのは三年前)東京音頭と炭坑節、輪のなかでひと回りほどしたあたりで踊れるようになっていたのでおどろいた。
あれここの自治体は踊りやすいようにアレンジがきいてるのかしら?などと考えだけれど、youtubeで確認してみるとそうではなかった。

八丈島の樫立地区では「樫立踊り」という都の無形文化財にもなっている踊りを盆に踊るのだけれども、これは流刑地だった島に持ち込まれた様々な土地の踊りを合わせて一連にしたものらしく、1番から12番まであって歌も違えば振りも違う。一曲おなじ振りでやぐらを回り続けるおなじみのそれとは違って超ハードだ。

もしかして我々はそれを必死で追いかけようとしているうちに、ものすごいスキルアップしていたのではないか?通常の盆踊りが止まって見えるほどに……。



・近々スナックに行く予定があったので昭和歌謡のレパートリーでも増やすかとおもってひとりカラオケ、帰宅後に北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」を聴いていた翌日、藤圭子の訃報を知る。

同年、先にヒットしていた「圭子の夢は夜ひらく」の暗かった少女時代をつまびらかにしたような歌詞なので、ちょっと遠い虫の知らせかとおもいそうになったけれど虫の知らせがあるほど圭子と縁があったわけではもちろんない。ていうか一切ない。その日、朝方ヘリの音がこちらまで聞こえていたようだけれどわたしは眠りの最中だった。

そういうわけで、というわけではないが所用あって西新宿を歩いた。
柏木の(六代目)圓生の跡形もない自宅跡地を眺めた。

餃子屋に入ったらぜんぜんおいしくなくてがっかり。