以前、東日本大震災がきっかけで関係を修復できた夫婦と、 逆に壊れてしまった方々が結構いるらしいと話題になっていました。 大変なことが起きた時、人の本性というか、真の心の在り様が 見えてくるものですよね。 人生のパートナーを選ぶなら、容姿や職業じゃなくて 何よりも逆境の時に どう考えて行動するだろうかという所に 注目したいものです。 ネイティブアメリカンの女性詩人 オリア・マウンテン・ドリーマーの 有名な作品「誘い(いざない)」から、特に共感する箇所を抜粋します。 ***************************************** あなたが何歳なのかは興味がない 私が知りたいのは、あなたが愛、夢、人生の冒険のために なりふり構わず、バカみたいに必死になれる人なのかということだ あなたの人間関係や経歴には興味がない 私が知りたいのは 燃え盛る炎の真っただ中で 怖じ気づくことなく 私と共に立っていられる人なのかということだ あなたが どこで何を誰から学んだのかは 私にはどうでもいいことだ それよりも全てが崩れ落ちる時 何が あなたを内側から支えるのかを 知りたいのだ **************************************** まさに外側から見える装飾(条件)ではなく 本質に目を向けているのですね。 |
時々、本当に自分に合うのは どういう人なのだろうかと考えています。 私は冷え性で寒がりなので、部屋を冷房でギンギンに冷やさないと ダメだという人とは同じ空間にはいられないと思います。 さらに極力 添加物を避ける生活をしているので、残念ながら ファストフード店、コンビニ、ファミレスなどの飲食物を好む人とは 一緒に食事を楽しむのは難しそうです。 そのため、極端に暑がりで、食生活に気を配らない人だと合わないと 決めつけていました。 私にとっては とても重要なことだと思えたのです。 でも最近は、そういったことは本当に相手を好きになれば、 ちょっとした工夫で何とかなるものかなと感じるようになりました。 もちろん体質や食の好みが似ているほうがストレスが少なそうですが、 それよりも もっと重視すべきなのは、やはり一緒にいて精神的に 楽かどうかということでしょうか。 それは生活習慣や好みとは別の要素であるような気がします。 では、どんな人が自分にとって楽なのか? 今さらですが、そのことをもっとじっくりと掘り下げる必要があるなと 思っています。 |
30代の頃、すごく好きだった漫画のことを職場の飲み会で話していたら、 同僚のA君が「僕も大好きなんですよ」と嬉しそうに隣に座ってきました。 でも久しぶりに思いっきり語れると喜んだのも束の間、見事に話が 噛み合いませんでした。 私とA君では感じ方や着眼点が全く違ったのです。 お互いに思い入れのあるシーンを語るのですが、全く共感できなくて 何て返していいのか分からないので「へ~」と言い合うだけ。 まるでテニスをしてるのにボールを打ち返すこともなく、 ただ相手のコートに一方的にサーブを打ち込んでるような 空しい会話でした。 大好きな話題なのに、これほどまでに盛り上がらないとは(苦笑) その時、たとえ趣味や好きな作品が同じであっても、 話が合うとは限らないということを学びました。 (A君とは今でも年賀状を送り合う、良き友人同士です) 逆に全く興味のなかった世界のことを語ってくれた人がいたのですが、 それにハマったきっかけや思い入れが面白くて、すごく話が 弾んだこともありました。 趣味が同じだと、それだけで親近感を抱いてしまいがちですが、 好きな対象その物よりも、それに惹かれる感性に共感できたり 面白いと思えるかがポイントなのかなと思います。 |
年に一度の健康診断に行ってきました。 必要なこととは言え、病院まで出向くのは何となく面倒で億劫です。 私は血管が出にくいようで、腕を散々たたかれた後に 注射針を勢いよく刺されることが多いので、簡単な採血さえ 苦痛を感じます。 でも今回、いつもとは違う病院に行ってみたところ、 看護師さんは注射が上手で、針を刺す時も抜く時も全く痛みを 感じなかったのです。 いつも痛みを感じる他の検査も、余裕で我慢できる程度で 全てが流れるようにスムーズに進みました。 同じ機械を使った検査でも、人が変われば こんなにも違うものかと 感動しました。 上手にスマートに仕事できる人たちは、相手(患者、客)を幸せにしますね。 理不尽な要求でモチベーションが下がる時もありますが、 もっと私も技術を磨いて、お客に喜んでもらえる仕事をしなくてはと 改めて思いました。 |
時々、ボランティアの延長で日本語に興味のある外国人に 日本語を教えています。 あまりよく知らない国からメールが来た時は特にワクワクします。 驚いたのは私に質問してくる人たちの年齢層です。 20代前半の男性が圧倒的に多く、たまに10代もいます。 同じく50代の友人には40~50代からのメールが多いそうですが。 外国人(と一括りにしてはいけませんが)には、日本人よりも年齢や 性別の違いにオープンな人が多いような気がします。 例えば20代の日本人男性が英語を学びたいとします。 教えてくれる側にも若い人たちがいる中で、敢えて50代の外国人女性に コンタクトを取る人たちは、一体どれくらいいるでしょうか。 単に日本語や文化について聞くにしても、年齢が近いほうが 趣味の話もできて楽しそうなのにと、私自身も最初は思いましたが、 今は全く壁を感じません。 すごくしっかりして自分を持っている人たちなので、 かなり年下だということを忘れてしまいそうになるほどです。 知識も話題も驚くほど豊富なので、逆に私のほうが教わることが 多かったりします。 それでも時々 子供っぽさが垣間見えるので、そんな時は 母親のような気分も味わえます。 仕事が忙しくて引きこもり生活になりがちな私に広い世界を 見せてくれる。そんな人たちの存在をありがたく思います。 |
知り合いの子供や子犬を見ると、「かわいいね」と近づいて 頭を撫でたり抱っこしたりする人がいます。 子供や子犬にも撫でられる時と相手を選ぶ権利があることを 思いやれる人はどれだけいるでしょうか。 女性に対しても同じです。 それほど親しくないのに、さりげなさを装って体に触れてくる人がいます。 自分のほうは気持ちが盛り上がってるかもしれませんが、相手の女性は どうなのでしょう? 周りの女性に聞くと、普段は礼儀正しいのに唐突に触れてくる男性も いるらしく、肝心な所に気配りができないのは残念なことだと思います。 中にはスキンシップ好きの女性もいます。 話してる最中に、特に好きではない男性にも気軽に触っています。 そういう女性なら、早い段階で触れられることにも抵抗がないかもしれません。 でも、そういう女性ではなく、正式に付き合ってもいないのなら、 「今の時点で触れてもいいのか」 「その女性にとって、自分は触れても許される相手なのか」を 意識するのは大切なことだと思います。 警戒心の強い女性だったら、早すぎたボディータッチのせいで 嫌悪感を持たれる可能性もあります。 人によっては難しく感じるかもしれませんが、相手の表情や態度を見て 尊重すれば、自ずと分かってくるはずです。 男性だって、どの女性から触れられても嬉しいわけではないですよね。 |
ちょっと前、生まれて初めて腰痛を経験しました。 首や肩こりは慢性化していますが、腰に来ることはなく、 ぎっくり腰や座骨神経痛に悩む人たちの話を聞いて 大変そう…と他人事のように思っていました。 腰痛って、こんなにも辛いものだったんですね。 でも病院での大げさな検査や痛み止めをもらうのは抵抗あったし、 一時しのぎにマッサージを受けても治らなそうだし…。 何とかしたいと思って、いろいろ調べてたら 「臀部の筋肉を伸ばすといい」と書かれていました。 早速、大殿筋とか梨状筋(マニアックですね)などに効くストレッチを 何日か試してみたところ… 痛みが劇的に緩和しました。 腰だから背筋か腹筋だと思っていたのですが違うのですね。 素人の感想ですが、意外な所に解決のカギがあるものだと 驚きました。 直接的ではなく、少し離れた所からのアプローチが効くっていう例は 他の分野でもいろいろありそうです。 |
「この教材を使えば3ヵ月で英語がペラペラ!」とか 「このジムに通えば1ヵ月後にはマッチョに!」など とても魅力的な謳い文句がありますが、いずれも当然ながら 「効果には個人差があります」という但し書きが 漏れなく付いていますよね。 男女関係にも同じことが言えると思います。 世の中には恋愛マニュアルのような物が存在していて 「デート〇回目には、ここまでOK」などの目安まで 書かれているようです。 でも「個人差」の部分を無視して、マニュアル通りに突っ走ったら 効果がないだけではなく、相手の気分を害してしまったり 傷つけたりという可能性もあるかもしれません。 英会話教材を買うだけではペラペラになれないし、 ジムに入会しただけで適当に運動してもマッチョにはなれないように メールや会う回数と親密さも比例するとは限らないのではないでしょうか。 大切なのは、相手の関心や好意は現在どのレベルなのか、 どの程度 信頼関係を築けているのか、 さらに親しくなりたいなら、そのために必要な要素を ちゃんとクリアしてるのかなど 独りよがりにならず、自分と相手の距離感を 見極めることだと思います。 |
友達から近況報告のメッセージ。 今後の目標などを綴った真面目な内容でしたが、最後に 唐突に「50代は、ご自由だい!」と書かれていました(笑)。 ちょっと脱力してしまいましたが、こんな友達がいてくれて 嬉しいです。 |
サミュエル・ウルマンの「青春の詩」は有名ですね。 気に入った部分を抜粋します。 *************************** 若さとは、臆病な自分を退ける勇気 平穏な今日を振り切り、自由へと向かう意欲 それは、むしろ二十歳の若者より六十歳の男に息づいているもの 誰も、ただ歳を重ねたから輝きを失うのではありません 凍り付いたあきらめの日々を老いと呼ぶのです 希望を持って顔を上げる限り、人はいつも青春を生きています ウルマンが70代か80歳の時に書いた詩なのだそうです。 実際に年を重ねて、このような考えを持ち続けられるのは 素敵なことだと思います。 |