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夏鈴's Diary

日々のこと、自分の内面や人間関係について
気ままに書いてみます。

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2018年11月06日

他人の期待とブログについて

カテゴリー: 私のこと
少しでも楽に自分らしく生きるために「これだけは、やめよう」と
心がけていることが幾つかあります。

その1つは「他人の期待に合わせるのをやめる」ということです。
似たような傾向や経験が少ない方にはピンと来ないかもしれませんが
ムダに責任感や罪悪感が強いと、他人の期待は喜びではなく
重荷になります。

他人は純粋に心から応援する時だけではなく、
自分の要求や希望を満たす手段として、こういう言葉を使います。
「頑張れ」
「期待してる」
「楽しみにしてる」
「あなたならできる」

それが悪意でも善意であっても、意図的でも無意識であっても
共通する目的は、相手に要求通りに動いてもらうための
「操作」だということです。

確かに そういった言葉が励みになる場合もありますが、
私のように長子気質や責任感が強いタイプの人間は、
あまり振り回されないように注意したいものです。


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ブログを例にすると、注目されるためやビジネスのために書いている人は
読者を増やすのが目的なので、喜んで他人の要求に応えると思います。

でも私は、完全に自分の気晴らしのために書いていますので、
「楽しみにしてる」と言ってくださる方がいらっしゃれば
ありがたいとは思いますが それを理由に書く気にはなれません。
書かない時は、それなりの理由がありますし、
期待に応えるために書けば義務になり、楽しくなくなってしまうからです。

今後も何のしがらみもなく、好きな時に自由に書きたいので、
興味を持ってくださる方も、期待せずに気軽に読んでいただければ
嬉しいです。


2017年11月10日

ギャップを埋めたい

カテゴリー: 私のこと
以前、妹の会社の社長さんに挨拶する機会がありました。
ほんの数分 言葉を交わしただけでしたが、
後になって妹が「社長が『お姉さんは癒し系だね』って言ってたよ」と
笑いながら教えてくれました。

私は外見と中身にギャップがあるようで、初対面や仕事で接する人からは
大抵「癒し系」、「しとやか」、「おとなしそう」と言われます。
静かな面はあるので、おとなしいというのは間違いではないはずですが、
ある程度 親しくなると、「最初の印象と全然違う」と言われることが
あります。
ちなみに親しい人によると、私は「面白いくてノリがいい」のだそうです。
「おとなしい」も「面白い」も両方当たってると思います。
誰にでも多少は二面性があるようですが、私は少し極端だと思われて
しまうようです。
それから気紛れで変わってる部分もありますが、それも意外だったと
驚かれてしまいます。

今までは、他人にどう見られようと私には関係ないと思っていましたが、
いくら何でも「全然違う」というのは問題かなと気になってきました。
誰かが外見の印象で「癒し系」だと思い込んで好意を持ってくれたとしたら
お互い困ってしまいそうです。

基本的に薄化粧なので、もっとバッチリと濃いメイクをしてみるのも
効果的かもしれません。
最近は、もっと本性(?)が外見に表れるように、意識して自分を
出そうと決めました。…と言っても、そもそも隠してるつもりもないので
難しそうですけどね。
ここの日記も、本来なら趣味や自分の売りをアピールするための
ツールなんでしょうが、敢えて内面を見せる練習の場にしています。

2017年11月08日

たった1人の人に

カテゴリー: 私のこと
前回の日記の続きです。

先生たちの期待や読書感想文のルールを無視して
自由自在に作文を書き上げたことで、今までにない高揚感と
達成感に包まれて、幸せな気分を味わうことができました。

だけど思いがけず、さらに嬉しい出来事があったのです。

会心の出来だった読書感想自由詩は
担任の先生の予言(?)通りに落選するわけですが、
その先生は選定に立ち会っていて、こんな後日談を聞かせてくれました。

詩の形式を取っていた私の作品は、早々に選定委員会の間で有力候補から
対象外とされていた雰囲気があったこと。
私が課題図書の内容にいろいろツッコミを入れてることに、当惑してる声も
あったこと。
そんな空気の中、たった1人だけ「これは面白い」と評価した選定委員が
いたこと。
その方は最後まで私の感想文を推して下さり、選外となった時はとても
残念そうだった…と。

それを聞いた時、ふわっと心の中が温かくなるのを感じました。
好き放題に書いてしまったので、褒めてもらえるとは期待してなかったし、
自己満足でも十分でした。
でも、たった1人、自分の正直な感想を気に入ってくれた人がいた
ということが、すごく嬉しくて励みになったのです。

この時に強く思ったことがあります。
大勢の人の評価や賞なんて、どうでもいい。
たった1人でも本当の理解者がいてくれるほうがいい。


この経験を最近になって思い出しました。
人生のパートナーにも、と言うより、人生のパートナーだからこそ、
世間一般で言われる「良い人」ではなくて、
自分の変わった部分も受け入れてくれる本当の理解者が
必要なんだと改めて気づきました。
あっ、もちろん受け入れるっていうのは、我慢してとか
イヤだけど遠慮してではなくて、心から面白いとか
「そういう所があっても平気」と思えるってことです。
珍しモノ好きのオタク系の人が合うのかもしれません。
何となくですが。

2017年11月05日

実は型破りな私

カテゴリー: 私のこと
大昔の話になりますが、大した取り柄もなかった小学生時代に
読書感想文コンクール入選の常連になっていました。
ずば抜けて文才があったからではありません。
書き方のコツが分かってたのです。
「こんなふうに展開させて、こう結論づけたら印象良いはず」
「審査員(大人)は子供のこんな純粋な感想を喜ぶよね」という感じに。
今思うと、とても可愛げのない冷めた子供だったと思います。

6年生になると、さすがに飽きてしまって、書くのがイヤになりました。
でも宿題だし、先生たちは私の感想文が入選すれば学校の
手柄になるので、絶対に提出しろと言います。
私は締め切りの前日まで葛藤した挙句、課題図書に対する批判を
詩にして提出しました。

読書感想文なのに詩の形式にするというのは、当時としては
かなり掟破りだったのではないかと思います。
しかも「ストーリーが面白くない、登場人物は好感が持てない」など
課題図書を思いっきりコキ下ろした内容。
それを読んだ担任の先生は、かなり落胆したのでしょう。
クラスのみんなの前で憮然として「これじゃあ入選には程遠いだろうね」と
言い放ちました。

だけど一方の私は、そんな先生の嫌味が全く気にならないほど
清々しい気分で満足していました。
その本の感想を書こうとした時、ストーリーに対するツッコミが
次々と湧き上がってきたので、「あ、これを詩にしたら面白いだろうな」と
思いついたのです。
そこからは、一気に書き上げました。

従来の感想文のルールを無視して自分の好きなように
自由に書いてる時、この作業を初めて心から楽しめたのです。
形式から外れがちな傾向は、この経験から強まったような気がします。


長くなったので、続きは この次に。
2017年10月06日

広がるストライクゾーン

カテゴリー: 私のこと
私は男性に対して強がってしまう傾向があるせいか、
どうも姉御肌タイプに見えてしまうようで
今まで私に好意を持ってくれた男性は、
甘えたいタイプの人が多かったように思います。

確かに姉御肌タイプってカッコいいですが、
常に自分がしっかりしなきゃと気を張ってるのは疲れます。

なので次に お付き合いできるなら、安心して甘えられるような
頼もしくて男らしい人がいいなと密かに決めていました。

ですが最近 知り合った男性のお陰で、その考えが
変わりつつあります。
その方は近所の商店街にある手作り豆腐店の店主さんです。
年齢は60代後半~70代前半でしょうか。
いつも満面の笑顔で現れて、豆腐のことだけでなく、
身の回りに起きたことなどを話しかけてくれます。
どのお客さんに対してもそうなのでしょうが、
楽しませよう、笑ってもらおうという気持ちが伝わってきます。

年上の男性に「かわいい」と言っては失礼かもしれませんが、
その屈託のない笑顔に不覚にもキュンとしてしまうのです。
この方は、きっと甘えるタイプでもないし、かといって
頼もしくて男らしいタイプでもないだろうなと思います。

でも、すごく和ませてくれ、心地よい気分にさせてくれるので
こんな人もいいなと考えるようになりました。

2017年09月11日

もっと重視すべきこと

カテゴリー: 私のこと
時々、本当に自分に合うのは どういう人なのだろうかと考えています。

私は冷え性で寒がりなので、部屋を冷房でギンギンに冷やさないと
ダメだという人とは同じ空間にはいられないと思います。
さらに極力 添加物を避ける生活をしているので、残念ながら
ファストフード店、コンビニ、ファミレスなどの飲食物を好む人とは
一緒に食事を楽しむのは難しそうです。

そのため、極端に暑がりで、食生活に気を配らない人だと合わないと
決めつけていました。
私にとっては とても重要なことだと思えたのです。
でも最近は、そういったことは本当に相手を好きになれば、
ちょっとした工夫で何とかなるものかなと感じるようになりました。

もちろん体質や食の好みが似ているほうがストレスが少なそうですが、
それよりも もっと重視すべきなのは、やはり一緒にいて精神的に
楽かどうかということでしょうか。
それは生活習慣や好みとは別の要素であるような気がします。

では、どんな人が自分にとって楽なのか? 
今さらですが、そのことをもっとじっくりと掘り下げる必要があるなと
思っています。
2017年08月19日

ありがたい存在

カテゴリー: 私のこと
時々、ボランティアの延長で日本語に興味のある外国人に
日本語を教えています。
あまりよく知らない国からメールが来た時は特にワクワクします。

驚いたのは私に質問してくる人たちの年齢層です。
20代前半の男性が圧倒的に多く、たまに10代もいます。
同じく50代の友人には40~50代からのメールが多いそうですが。

外国人(と一括りにしてはいけませんが)には、日本人よりも年齢や
性別の違いにオープンな人が多いような気がします。
例えば20代の日本人男性が英語を学びたいとします。
教えてくれる側にも若い人たちがいる中で、敢えて50代の外国人女性に
コンタクトを取る人たちは、一体どれくらいいるでしょうか。

単に日本語や文化について聞くにしても、年齢が近いほうが
趣味の話もできて楽しそうなのにと、私自身も最初は思いましたが、
今は全く壁を感じません。
すごくしっかりして自分を持っている人たちなので、
かなり年下だということを忘れてしまいそうになるほどです。
知識も話題も驚くほど豊富なので、逆に私のほうが教わることが
多かったりします。
それでも時々 子供っぽさが垣間見えるので、そんな時は
母親のような気分も味わえます。

仕事が忙しくて引きこもり生活になりがちな私に広い世界を
見せてくれる。そんな人たちの存在をありがたく思います。
2017年07月03日

苦手を平気に変えるには

カテゴリー: 私のこと
恋人や結婚相手候補に求める条件は、自分にないものや
コンプレックスを補える要素であることが多いそうですね。
例えば過剰なほど容姿にこだわる人は自分の容姿に自信がないとか。

では、「こういう人はイヤ」という場合はどうでしょう。
これは自分が苦手なことや、自分の中にある嫌いな部分では
ないでしょうか。

私の場合、苦手なタイプとして「強引な人、優柔不断な人、
駆け引きをする人」を挙げています。
これは自分次第で変えられるかなと最近は思っています。

まぁ、最後の「駆け引きをする人」は私が駆け引きできないから
苦手なんですが、これは苦手のままでいいでしょう。
そもそも駆け引きをしようとする人は、相手より優位に立ちたいと
考えてるんだと思います。
そういう人と対等な関係を築くのは難しいですね。

私が強引な人が苦手なのは、断るのが苦手だからです。
そして優柔不断な人が苦手なのは、自分も優柔不断だからです。
ということは、ちゃんと私が断れるようになれば、
優柔不断な自分を変えていけば、相手がそうであっても
気にならなくなるかもしれません。

相手が強引でも、ノーと言えたら無理に合わせなくて済むし、
はっきり意思表示できたら相手の優柔不断に振り回されずに済みます。

自分が苦手だと思ってる部分が気にならなくなれば、もっと相手の
魅力的な部分を見る余裕が生まれるかもしれませんね。


2017年07月01日

大人とは

カテゴリー: 私のこと
今月は誕生月です。
1年の半分が終わっただけでなく、また1つ年を重ねると思うと
焦ります。
年を取ることよりも、この年になってまだ自分が描いていた理想の姿に
なれていないことのほうがショックです。

50代と言えば立派な大人で、一人の人間としてある程度
完成できてるはずだと思っていました。
実際は幼い頃の気持ちや短所をそのまま持ち続けている、
大人の皮をかぶった子供です。

時々 海外の人たちとメールのやり取りをするのですが、
ほとんどが20~30代なのに、教わることも多いし、
その人たちのほうがずっと大人で人間ができてる気がします。

きっと、いつまでも自分を未熟だと感じて生きていくのでしょうね。
とりあえず、いい影響を与えてくれる人たちが周りにいるので
それに倣って言い訳せずに、いろんな角度から関心のあることに
挑戦していこうと思います。

2017年06月25日

臨終の思い

カテゴリー: 私のこと
会社勤めをしていた頃、いわゆる霊能者という類の人に
見てもらったことがあります。
同僚2人が「本当に当たるから!」と警戒心でいっぱいの私を
無理やり連れていってくれたのです。

見た目はごく普通のサラリーマン風な霊能者さんに開口一番に
「あなたは気が多いな~。すごくムラがあるよね」などと
気にしていたことをズバズバ言われ、同僚は大笑いしてました。

その方は私の前世も見てくれました。時代は幕末の世で
関西の裕福な呉服店の娘で両親に溺愛されていたのだそうです。
なかなかの器量よしだったようで、求婚の申し込みも多数あったとか。
でも病で若くして亡くなったそうです。
未婚のまま死んだということは下手すれば10代だったかもしれません。

霊能者さんは「臨終の思い」がとても重要だと言いました。
つまり前世の自分が死に瀕して何を悔やんだか、何を果たしたくて
今世に生まれてきたのかが分かると言うのです。
前世の女性は周囲にちやほやされながらも孤独で、たった1人の男性に
心から愛されたかったと思いながら亡くなったそうです。

今の私とは大違いな人生なので、とても自分の前世だとは
信じられませんが、同じ女性として共感するところはあります。
この前世話がデタラメであっても、もし臨終に後悔するくらいなら
少しぐらいは出会う努力をしてみようという気になれたので
聞いて良かったと思っています。

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