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Phantom's Toy Box

~中身不明のおもちゃ箱~

 
2011-05-09

珈琲の香りと人類の進化の話

カテゴリー: 日記
ものすごいウンチクが飛び出て来るんじゃないか?と思わせるタイトルですが、そんなものは出てきません。期待した方、ごめんなさい。今のうちに謝っておきます。

僕が毎朝出勤して最初にするのは、珈琲を淹れることです。
そしてその珈琲は、ドリップ式でないとダメです。なぜなら、僕は珈琲を飲むのが好きなわけじゃなくて、珈琲の香りが好きだからです。
珈琲の香りに包まれていると気分がリラックスして、今日も一日頑張ろう!という気持ちになります。

ところで、珈琲というものは、生のままで豆を食べるものではありません。口に入るまでに、収穫して、精製して、乾燥させて、焙煎して、挽いて、熱湯を注いで、と多くの手順を経て美味しく飲めるようになりますね。このように、生では食べられないけれど、手をかけてやれば美味しくいただけるようになる食べ物に出会うと、僕は思うのです。
「どれだけの時間と犠牲の上にこの食べ物はできたのだろう。」と。

きっと初めて珈琲豆を食べた人は、「こんなものは食べられるものじゃない。」と思ったことでしょう。そして、一緒に暮らしていた同じ部族の仲間たちには、「珍しい豆を見つけて食べてみたけど、食べられなかったよ。」などと伝えたことでしょう。きっと長い間、珈琲豆=食べられないもの、という認識が広まっていたに違いありません。やがて人類が火を扱えるようになり、たまたま火で生豆を炙ってみた人がいたか、山火事などで燃えた豆を手にした人がいたりして、火を通すといい香りがするようになることを学んだのかもしれません。でも香りがいいだけで、食べても苦いだけだったことでしょう。これに熱湯を注いで飲む、という発想に至るまでには、まだ長い時間が必要だったのではないかと思います。

珈琲の場合は、正しくない手順で口にしても美味しくないだけで済みますが、毒性のある食べ物の場合は深刻です。今のように科学が発達していませんから、食べた人が犠牲になって、誤った食べ方を経験して、少しずつ正しい手順を学んでいったのでしょう。毒があるとわかっている食べ物を、食べ方を変えるにしても、敢えて食べようとするそのスピリットは尊敬に値します。このようなスピリットこそが、人類の進化を支えてきたのではないかとさえ思うのです。