珍しく遅い時間帯に電車に乗りました。 ほろ酔いの乗客の酒臭さが気になっていたところに、 何と向かい側の端に座っていた若い女性が勢いよく戻しました。 強烈な音と臭い… 大惨事です。 周りから小さな叫びや「ウエッ」という呻き声が上がり、 何とも言えない険悪な空気になりました。 もらってしまいそうになるので、うつ向いたまま見ないようにして 別の車両に移動しようかと考えていた時、 「気にしなくていい」と力強い声がしました。 思わず顔を上げると、声の主は女性の隣に座っている男性でした。 見た感じ、職場の先輩のようです。 女性はかなり酔っていましたが、自分のしたことは分かってるようで 小さな声で恥ずかしそうに「ごめんなさい」を連発していました。 隣の男性は女性の肩に手を回して、もう一度 「大丈夫。ジロジロ見てる奴らなんか気にしなくていい」と さらに大きな声で言いました。 カッコいい…と思ったのは私だけではないはずです。 男性の一言で「恥ずかしい人」は、その女性ではなく、 ジロジロ見ている人たちに変わりました。 連れの女性が公衆の面前で戻したりしたら、ほとんどの人が 恥ずかしいとか迷惑だと感じてしまうのではないでしょうか。 そんな中、相手を守ろうとする男性の態度は素晴らしいなと感心しました。 「全世界を敵に回しても僕だけは君を守る」というようなセリフが ありましたね。 いつもは強い女でありたいと思っている私ですが、 あんなふうに守ってもらえる女性は幸せだなと羨ましく思いました。 そんな男性に出会えたら素敵ですが、まず私自身が 守りたいと思ってもらえる女性になる必要がありますね。 うーん、「守ってほしい」というと語弊があるかな。 「味方でいてほしい」のほうが、しっくりくるかもしれません。 |
知り合いの30代独身女性Aさんとお茶しました。 30代といえば一番婚活に熱い世代のようですね。 Aさんは、婚活セミナーなるものにマメに出席して あちこちのお見合いパーティーに出かけ、 週末は次々と新しい人と会うなど、ありとあらゆる機会を利用して それはもう精力的に活動しているようです。 やはり生涯の伴侶を選ぶわけですから、そのくらい真剣になって 当然なのかなと納得するものの、そこまでするの?と 圧倒される部分もありました。 中でも驚いたのが相手に求める条件を100項目書き出したということです。 「100項目?」と思わず裏返った声で聞き返しました。 何でも相手の人柄だけでなく、容姿や習慣や癖など細かく、例えば 「1月生まれである」とか「歌が上手」など、第三者から見たら どーでもいいよね?と思うことまで設定するのだそうです。 実際に100項目作って、それにピッタリ合う人が見つかったという女性が 何人もいるというのだから驚きです。 でも、そんなにガチガチに決めつけちゃって大丈夫なのだろうかと 心配になります。 7月生まれや音程を外しても相性の良い人がいるかもしれません。 年齢と共に考え方も変わるし、人に対する好みも変わるので 後になって、もっと本質的な所を見るべきだったと後悔しないでしょうか。 たまに2本立ての映画を見に行きます。 そのうちの1本だけに興味がある場合、もう1本はついでに 見ることになりますが、そのついでのほうが感動した、面白かったと いうこともよくあります。 個人的には、そんな発見もあったほうが楽しい気がします。 |
最近になって、ようやく恋人やパートナーがいたら 楽しいだろうなと思うようになったものの 今のところ、ここに登録して気ままに日記を書いて 頂いたメールに返信してるだけで満足してしまっています。 前日に書いた30代の女性Aさんに呆れられ、 「待ちの姿勢じゃダメですよ」と言われてしまいました。 ごもっともですね。 振り返ってみても、交際に至ったきっかけは全部 相手から積極的にアプローチしてもらったからでした。 その人のことが好きかどうかもよく分からないまま、 まぁこれだけ思ってもらってるなら…とOKしていたのです。 我ながら呆れるほど受け身だったなと反省しています。 自分からアプローチできる女性は素敵だなと思います。 もし先に相手から好意を示してもらったとしても 今度お受けするなら「私もあなたに興味があります」と 言いたいものです。 |
以前、何度かイタリア人、スペイン人、ポルトガル人など いわゆるラテン系の男性にアプローチされたことがあります。 あちこちで日本女性はモテると聞いていたので 勘違いして舞い上がることはありませんでしたが、 こちらが赤面してしまうほど情熱的に褒めまくってくれるので 口説かれた末にお付き合いしてる日本人女性が何人かいたのも 納得できました。 周りにキレイな女性はたくさんいたのに、まるで私しか見てないかのように 無視しても全く気にするふうもなく、いつも笑顔で話しかけてくれました。 その当時は勉強に一生懸命だったので、正直うっとうしかったのですが もう少し観察していたら彼らから多くを学べたかもしれないと思います。 一番感心したのは、その気はないからとお断りした時も 「分かった。残念だけど君の幸せを祈ってるからね」と 爽やかな笑顔を見せてくれたことです。しかも、しばらくは 「どう?気が変わった?」と声をかけてくれました。 日本人からしたら「軽い」と感じますが、そのお陰で私も イヤな気分にならずに済みました。 相手に罪悪感を抱かせない軽さは優しさのような気もします。 私もそういう軽さを持っていたいと思います。 例えば断られても、それは単なる相手の都合や好みであって、 自分の人格を否定されたわけではないので 気にせず「自分の良さを分かってくれる人を見つけよう、 人生を楽しもう」と思えるとパートナー探しも楽しめますよね。 |
「この教材を使えば3ヵ月で英語がペラペラ!」とか 「このジムに通えば1ヵ月後にはマッチョに!」など とても魅力的な謳い文句がありますが、いずれも当然ながら 「効果には個人差があります」という但し書きが 漏れなく付いていますよね。 男女関係にも同じことが言えると思います。 世の中には恋愛マニュアルのような物が存在していて 「デート〇回目には、ここまでOK」などの目安まで 書かれているようです。 でも「個人差」の部分を無視して、マニュアル通りに突っ走ったら 効果がないだけではなく、相手の気分を害してしまったり 傷つけたりという可能性もあるかもしれません。 英会話教材を買うだけではペラペラになれないし、 ジムに入会しただけで適当に運動してもマッチョにはなれないように メールや会う回数と親密さも比例するとは限らないのではないでしょうか。 大切なのは、相手の関心や好意は現在どのレベルなのか、 どの程度 信頼関係を築けているのか、 さらに親しくなりたいなら、そのために必要な要素を ちゃんとクリアしてるのかなど 独りよがりにならず、自分と相手の距離感を 見極めることだと思います。 |
知り合いの子供や子犬を見ると、「かわいいね」と近づいて 頭を撫でたり抱っこしたりする人がいます。 子供や子犬にも撫でられる時と相手を選ぶ権利があることを 思いやれる人はどれだけいるでしょうか。 女性に対しても同じです。 それほど親しくないのに、さりげなさを装って体に触れてくる人がいます。 自分のほうは気持ちが盛り上がってるかもしれませんが、相手の女性は どうなのでしょう? 周りの女性に聞くと、普段は礼儀正しいのに唐突に触れてくる男性も いるらしく、肝心な所に気配りができないのは残念なことだと思います。 中にはスキンシップ好きの女性もいます。 話してる最中に、特に好きではない男性にも気軽に触っています。 そういう女性なら、早い段階で触れられることにも抵抗がないかもしれません。 でも、そういう女性ではなく、正式に付き合ってもいないのなら、 「今の時点で触れてもいいのか」 「その女性にとって、自分は触れても許される相手なのか」を 意識するのは大切なことだと思います。 警戒心の強い女性だったら、早すぎたボディータッチのせいで 嫌悪感を持たれる可能性もあります。 人によっては難しく感じるかもしれませんが、相手の表情や態度を見て 尊重すれば、自ずと分かってくるはずです。 男性だって、どの女性から触れられても嬉しいわけではないですよね。 |
30代の頃、すごく好きだった漫画のことを職場の飲み会で話していたら、 同僚のA君が「僕も大好きなんですよ」と嬉しそうに隣に座ってきました。 でも久しぶりに思いっきり語れると喜んだのも束の間、見事に話が 噛み合いませんでした。 私とA君では感じ方や着眼点が全く違ったのです。 お互いに思い入れのあるシーンを語るのですが、全く共感できなくて 何て返していいのか分からないので「へ~」と言い合うだけ。 まるでテニスをしてるのにボールを打ち返すこともなく、 ただ相手のコートに一方的にサーブを打ち込んでるような 空しい会話でした。 大好きな話題なのに、これほどまでに盛り上がらないとは(苦笑) その時、たとえ趣味や好きな作品が同じであっても、 話が合うとは限らないということを学びました。 (A君とは今でも年賀状を送り合う、良き友人同士です) 逆に全く興味のなかった世界のことを語ってくれた人がいたのですが、 それにハマったきっかけや思い入れが面白くて、すごく話が 弾んだこともありました。 趣味が同じだと、それだけで親近感を抱いてしまいがちですが、 好きな対象その物よりも、それに惹かれる感性に共感できたり 面白いと思えるかがポイントなのかなと思います。 |
以前、東日本大震災がきっかけで関係を修復できた夫婦と、 逆に壊れてしまった方々が結構いるらしいと話題になっていました。 大変なことが起きた時、人の本性というか、真の心の在り様が 見えてくるものですよね。 人生のパートナーを選ぶなら、容姿や職業じゃなくて 何よりも逆境の時に どう考えて行動するだろうかという所に 注目したいものです。 ネイティブアメリカンの女性詩人 オリア・マウンテン・ドリーマーの 有名な作品「誘い(いざない)」から、特に共感する箇所を抜粋します。 ***************************************** あなたが何歳なのかは興味がない 私が知りたいのは、あなたが愛、夢、人生の冒険のために なりふり構わず、バカみたいに必死になれる人なのかということだ あなたの人間関係や経歴には興味がない 私が知りたいのは 燃え盛る炎の真っただ中で 怖じ気づくことなく 私と共に立っていられる人なのかということだ あなたが どこで何を誰から学んだのかは 私にはどうでもいいことだ それよりも全てが崩れ落ちる時 何が あなたを内側から支えるのかを 知りたいのだ **************************************** まさに外側から見える装飾(条件)ではなく 本質に目を向けているのですね。 |
「結婚なんて焦らないで ゆっくりでいいからね」が口癖だった母は、 私が40過ぎた時は「条件を付け過ぎたらダメよ。普通の人で 良いんだからね」と言いました。 でも「普通の人」って、どういう人でしょうか? 例えば「清潔感」を例に挙げてみます。 あまり気持ちの良い話ではないですが、 デパートや駅のトイレで結構な割合で、きちんと手を洗わない人を 見かけます。 片方しか洗わない人、指先だけ湿らす人、まったく洗わずに去っていく人。 ほとんどが20~40代の、バッチリとメイクして、ヘアスタイルも きれいに整えた、おしゃれな感じの女性たちです。 手を洗わないような人たちには見えませんが、メイクと髪形に 気を使いすぎて手まで気が回らなくなってしまったのでしょうか。 特に凝ったマニキュアをしている人は、剥がれないように注意するので 手を洗うのが雑になってしまうようです。 他人が手を洗おうが洗うまいが、私には関係ないことですが、 あの人たちはトイレから出て、ろくに手を洗わずに 家族、恋人、友達のために料理をしてるのかなと思うと 衛生面で心配になります。 初めて手を洗わない人たちを目撃した時は目を疑いました。 家庭でも、幼稚園でも小学校でも「石鹸で手を洗いましょう」と言われて 育ったので、少なくとも日本人はトイレに入ったら必ず石鹸を使って 手を洗うものだと信じていたからです。 それが私にとっての「普通」でした。 お付き合いする相手が、きちんと手を洗う人かどうかは、 敢えて聞かない限り、だいぶ親しくならないと知る機会がないですよね。 せっかく仲良くなってから、そんなことで気まずくなったり、 口論になったりしたら悲しいなと思います。 |
「自分が相手に何をしてあげられるのか」 これは仕事においてもプライベートにおいても 常に必要な視点ですね。 分かってるけど忘れがちなこと。 自分の存在をアピールするために、 そして自分を選んでくれた人を幸せにするために 私ならではの「できること」に さらに磨きをかけようと思います。 |