acchan.com恋愛お見合い - 無料の婚活サイト  どなたもログインしてません  

ハン日記

 
2009-06-16

TVが見れなかったのでコンピュータの仕事

カテゴリー: 日記
前にも少し書きましたが、私はTVを殆ど見ないのです。見ても朝の出勤前で時刻がでている朝ズバを30分くらいかな。(今月になって、見たことないですけど)

なんで見ないのかは、中学時代まで逆戻ることになりますが、TVを見る事の興味の優先が低いというところでしょうか。(TVのメカニズムは興味あったので知ってますけどね^^)

今と違って、大抵の家庭ではTVは1台か(あっても2台で)、一般の家庭では自分のTVがある時代ではなかった時代です。

小学生の時は、そこそこアニメ主体をTVで見ることが許されたのですが、小学生6年後半~中学生頃からTVを自由に見せてもらえなかったのです。

親父のせいなのです。まず漫画(いまではアニメといいますね)は見るな、TV見る暇あったら勉強しろでした。(義弟にあたる家庭がそうゆう方針だったのを聞いて、影響されただけなんです)

(この頃、主体性の無い親父の言動に失望し、早く働いて家を出たいと思うようになった)

おかげで、TVは見ないで、もっぱらラジオを聴くようになりました。

特に海外放送を受信するのが楽しみになり、BCLを趣味としていました。(放送局へ聞いたよって受信感度等マトメた報告書を送付すると、ベリーカードという受信確認証が送られてきます、それを集めるのです)

次に、性能の良いラジオが欲しくなり(買ってもらえませんでしたからね、要求したこともありませんが)電子部品に興味持ち、ラジオ等を作るようになりました。

ラジオの知識は、中学でありましたので作れましたが、電子回路全般はまだ理解していませんでしたから、ラジオ以外は雑誌の回路を見て勉強しながら作っていました。

また、作るための部品は、金がないので、あちこち捨ててあったTVや電気器具から、取り外していました。(その時、不注意から付いた半田ごての火傷の跡が、まだ手の甲にあります^^)

そして、この頃にBCLをやっていた人の大半は無線に興味がいき、無線=通信がきっかけで、コンピュータへの道へと向かいます。(コンピュータ(当時計算機)やIT(当時はない)って産業名はまだ無くて、通信産業だったのです、電電公社(現NTT)が主体の産業ですので通信産業という名目もありませんでしたが)

私の場合、TVが見れなかったお陰で、コンピュータの仕事の世界に入ってしまったって訳です。

機械いじりが好きだったという、性分もあるかとは思ってます。

例えば、時同じ頃、ラジオでなく、車をいじる環境があったなら、その関係の職についていた可能性が高いかもしれません。

(無線について)

無線は高校に入って、アマチュア無線の資格(電話と電信級)を取りました。このに頃モールス信号を覚えたお陰でしょうか、まだなんとか判ります^^

(高校は工業ですが、今でも行って本当に良かったと思っていますし、ある面、感謝してます。しかし、当時は働きたかったので受験は適当。ちなみに学力的には当時工業の一番人気の電子科でしたが余裕もありすぎ、だけどTOP合格にとんでもない奴がいた^^)

しかしながら、無線機は買えなかったので、自身では何もできなかったです。

代わり無線関係で集まる場所には、コンピュータ(今のPCの形はしてないよ)がありまして、電子関係興味あったためかな、それで遊んでいました。(高校3年では部活サボってまでやってましたね → でもこれが大きなきっかけで、今の自分があります)

無線機は、高校3年の時、部活も引退した夏休みにバイトしてようやく購入しました。

一番安い無線機になるのですが当時5万です。(翌年就職した時の初任給が9万(手取りは7万)だったので如何に高かったか)

半年しか、その無線機は、当時この故郷では使えなかったけど、無線を通じて大勢の友達できましたね。

就職で故郷を離れるとき、船で出発したのですが、無線の仲間に電波が届かなくなる最後まで、見送っていただいた記憶は、いまだに忘れていません。(戻ってきてたけど、連絡が付かないのが残念)