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ともだち塾の文芸日記

 
2009-03-30

カテゴリー: 日記
  鯰   高村 光太郎

盥の中でぴしゃりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。
暖炉に入れる石炭が無くなっても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食うか。
檜の木片は私の眷属、
智恵子は貧におどろかない、
鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓に黒金の覆輪があり、
そうしてお前の楽天にそんな石頭があるというのは、
何と面白い私の為事への挨拶であろう。
風が落ちて板の間に欄の香いがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
研水を新しくして
更に鋭い明日の小刀を瀏瀏と研ぐ。



 彫刻家、「智恵子抄」などで有名な、高村光太郎の詩だ。
 高村光太郎には、同じ鯰という彫刻がある。
 彫刻の鯰は、刃あとは鋭いのだが、全体の印象は、まさに鯰のヌメッとした感触を感じさせる、彫刻の傑作だ。

 「鯰」の詩は、中学生から高校生には、ぜひ読んでもらいたい詩と思う。
 漢字の読みも難しくて、一気に読み下すことはできないかもしれないが、詩の内容としては、中学生や高校生に難しいものではないはずだ。

 漢字の一字一字は読めなくても、漢字のかたちをみれば、なにを表しているのかは、想像できるだろうし、まず読んでみてほしいと思う。

 日本語は難しい。とくに、漢字を憶えるのは大変だとよく言われるが、私はそうは思わない。
 漢字は、とても論理的構造的にできていると思う。魚がつく漢字は、それこそ魚に関係あるものだし、木がつく漢字は、樹木に関係あるし、「さんずい」があれば、水に関係ある漢字とわかる。

 いま学校で勉強する教育漢字は、すべて読めて書けるようにならなければいけない、となっている。
 そんな馬鹿なことはない。読める漢字がずっと多くて、なぜいけないのだろうか。
 漢字の、構造的なことを知れば、子どもたちは、もっともっと漢字を読めるようになるはずだ。

 それなのに、国語の教科書に出てくる順番どおりに、一つずつ、漢字を読ませ、書かせ、憶えさせるようなことをしているから、子どもたちは、漢字が嫌いになるのだ。
 こんなことでは、子どもたちに直接教えている先生も、たまったものではないはずだ。
 さらに問題なのは、先生が独自の方法で教えようとすると、「学習指導要領」違反だと言って、先生方を規制することである。

 詩から離れた話になってしまったが、「鯰」の漢字を見ていて、漢字についての考えを書きたくなった。
 この文章も、漢字が多いな・・・。