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ともだち塾の文芸日記

 
2009-03-17

こゆび

カテゴリー: 日記
  こゆび  こわせ・たまみ
こゆびは
ゆびの 赤ちゃんだから
おはしも もてない
スプーンも もてない
こぼしたごはんも ひろえない

こゆびは
ゆびの 赤ちゃんだから
バナナも むけない
みかんも むけない
おやつの おかしも つまめない

それでも こゆび
ちいさな こゆび
ゆびきりげんまん また明日
明日の 約束
ネ できるでしょ



 こわせ・たまみは、子どものための詩やお話しをたくさん書いている。「お話365+1 456月~123月」をはじめ、たくさんの著作がある。
 こわせ・たまみは、とくに「こゆび」のように、幼児から学齢前の子どものための作品を、多く書いている。

 「こゆび」は、1連と2連が、

〈赤ちゃんだから〉〈・・・ない〉

ということばが、くりかえされている。

 〈こゆび〉が〈・・・ない〉でもいいはずなのに、〈赤ちゃんだから〉ということばがあることで、こゆびが何にもできないということが、強調されるのだ。
 しかもそれが、くりかえされていることで、ますます、こゆびは何にもできない、と思ってしまう。

 3連では、そのこゆびが、できることが書かれている。
 こゆびの、赤ちゃん指という条件、小さい指という条件だからこそ、ゆびきりげんまんができるのだ。
 親指や中指で、ゆびきりげんまんをしているところを想像するだけで、おかしくなる。

 1連も2連も3連も、こゆびのことを書いているのだが、1連と2連はできないことを、3連はできることを書いている。
 書いている「もの」は同じでも、書いている「こと」は違う。
 その「こと」の違いが、質的な違いになっているのだ。

 1連と2連の「こと」は、食べることだが、3連の「こと」は、コミニュケーションができる、ということである。

 コミニュケーションのほうが、食べることよりも、質的に価値があるというわけではないが、約束ができると言われたとき、なんだかホッとするような気持ちになってくる。

 詩の書かれ方をみると、約束はできるけれども食べるための動作はできないじゃなく、お箸は持てないが約束はできる、みんんはむけないが約束はできると、なんだかホッとする気持ちになるように、書かれているのだ。

 詩人とは、なんとことばの使い方がうまいのか。