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ともだち塾の文芸日記

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2009-03-19

おおきなかぶ

カテゴリー: 日記
   「おおきなかぶ」 

「おおきなかぶ」は、すべての1年生の教科書に載っており、絵本にもなって幼稚園や保育園でも、子どもたちになじみのある作品だ。

 とてつもなくおおきなかぶが、何人もの人物たちが手伝ったおかげで、最後にやっと抜けるというこの作品の展開は、子どもたちが大喜びするものである。

 この作品を、協力のことを書いた作品だと思っている人が多いと思う。

 しかし、この作品の書かれ方を詳しくみると、協力のことを書いたのではないことがわかる。

 もちろん、何人もの人物が登場して、みんなで力を合わせてかぶを抜くのだから、協力という部分があるともいえる。

 しかし、その人物たちが登場するのをよくみると、一人ずつ、それも、おじいさんから始まって、おばあさん・まご・いぬ・ねこ・ねずみと、だんだん小さくなっている。

 では、「おおきなかぶ」の全文を書くので、どんな人物たちが登場するのかをよくみてほしい。

 おおきなかぶ  西郷竹彦・訳

 おじいさんが、かぶのたねを まきました。

 「あまい あまい かぶになれ。
  おおきな おおきな かぶになれ。」

 あまい あまい、おおきな おおきな かぶになりました。

 おじいさんは、かぶを ぬこうとしました。
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
けれども、かぶは ぬけません。

 おじいさんは、おばあさんを よんできました。
かぶを
おじいさんが、ひっぱって、
おじいさんを
おばあさんが ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
それでも、かぶは ぬけません。

 おばあさんは、まごを よんできました。
かぶを
おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを
おばあさんが ひっぱって、
おばあさんを
まごが ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
やっぱり、かぶは ぬけません。

 まごは、いぬを よんできました。
かぶを
おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを
おばあさんがひっぱって、
おばあさんを
まごが ひっぱって、
まごを
いぬが ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
まだまだ、かぶは ぬけません。

 いぬは、ねこを よんできました。
かぶを
おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを
おばあさんが ひっぱって、
おばあさんを
まごが ひっぱって、
まごを
いぬが ひっぱって、
いぬを
ねこが ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」
なかなか、かぶは ぬけません。

 ねこは、ねずみを よんできました。
かぶを
おじいさんが ひっぱって、
おじいさんを
おばあさんが ひっぱって、
おばあさんを
まごが ひっぱって、
まごを
いぬが ひっぱって、
いぬを
ねこが ひっぱって
ねこを
ねずみが ひっぱって、
「うんとこしょ、どっこいしょ。」

 とうとう、かぶは ぬけました。


 そう、このだんだん小さくなっているのが、「おおきなかぶ」という作品の特徴なのだ。

 ふつう、何か手伝ってもらおうとするときに、だんだん小さくなっていくように頼むだろうか。それまでに手伝ってもらっていた人よりも、大きな人・力の強い人に頼むのではないだろうか。

 ところがこの作品では、だんだん小さくなって、最後にはほんとに小さな、とてつもなくおおきなかぶを抜くのには、あまりにも力のなさそうな、ねずみを登場させている。

 しかし、とてつもなく大きなかぶも、この小さな力のなさそうな、ねずみが手伝ってくれたおかげで、やっと抜けるのだ。

 これはどういうことだろう。みんなで抜く(協力)という内容もあるだろうが、それよりも、いちばん小さな力の弱いねずみが手伝ってくれたので、かぶが抜けたということなのである。

 何かをやろうとするときに、どんなに力の弱い人であっても、その人がいなければ目的が達成できない、ということが書かれた作品なのだ。

 こういう考え方を、子どもたちが、この作品から学んでほしい。

 これが反対に、ねずみから始まって、最後におじいさんが登場する話だったらどうだろう。

 やっぱり小さな人ではだめだ、力のない人では役に立たない、という考え方になってしまうのではないだろうか。

 子どもたちに、そんな考え方をする人間にはなってもらいたくない。

 この作品には、もうひとつ大事なことが書かれている。

 おじいさんが、かぶを植えるとき、

  〈「あまい あまい かぶになれ。おおきな おおきな かぶになれ。」〉

と言って植える。

 かぶは、食べ物だ。食べ物としての、いちばんの値打ちはなんだろう。おいしい(あまい)ことである。そのうえで、大きければなおいいだろう。

 だからおじいさんは、値打ちのあるかぶができるように、まず

〈「あまい あまい かぶになれ。」〉

と願い、その次に、

〈「おおきな おおきな かぶになれ。」〉

と願ったのだ。

 そして、おじいさんの願いに応えて、かぶも

〈あまい げんきのよい とてつもなく おおきな かぶ〉

になったのだ。

 そういう値打ちのあるかぶだからこそ、みんなも抜くのを手伝ったのである。

 何かをやろうとするとき、協力することも大事だが、目的が値打ちのあることかどうかを考えることは、もっと大切なことなのだ。

 「いじめ」をするために、みんなで協力してはだめなのだ。

 そういう、自分(たち)が行動するときに、値打ちのあることをやろうとしているのかという考える力を、子どもたちに持ってもらいたいものである。

 おおきなかぶを、みんなで抜いて、楽しかったねよかったねというのは、この作品だけのものだ。

 しかし、

○ どんなに、力の弱そうな人でも、その人を仲間にしなければ、目的を達成できない。

○ 行動するときには、値打ちのあることがどうか、考えることが大切。

というのは、子どもたちが生きていくうえで、身につけてもらいたい、大切な考え方なのだ。
2009-03-19

あなたが好き

カテゴリー: 日記
  あなたが好き   立原 えりか
あなたが好き
生きてるから好き
笑ってるから好き
くすぐったがりやだから好き
くいしんぼうだから好き
ねごと言うから好き
わがままだから好き
わたしより大きいから好き
うそがへただから好き
つめがきれいだから好き
いっしょうけんめいだから好き
愛してくれるから好き
愛してるから好き



 立原えりかは、1937年生れで、「木馬がのった白い船」「でかでか人とちびちび人」など、ファンタジー作品を数多く書いている童話作家だ。

 「あなたが好き」は、黒木瞳の「真心」と、好対照の詩だ。
 作品と作品が、対比している。

 文芸作品を読むとき、同じテーマの作品同じ題材の作品と読むばあいが多いのだが、対比的な作品を読むのも一つの方法である。

 とくに詩のばあい、「真心」と「あなたが好き」のように対比的な作品を読むと、それぞれの作品が照らし合って、それぞれの作品を別の機会に読んだときよりもおもしろさが増す。
 小説などの長い文芸作品では、読み比べるのは大変だが、詩は短いので、読み比べるのに適している。
 2つの作品を読み比べるだけでなく、3つ4つ5つと、読み比べるのも楽しい。

 さて、「あなたが好き」。
 わかったわかった、もういいもういい、「あなたが好き」なんでしょうわかったよと言いたくなるぼど、手放しで無邪気に「あなたが好き」と言っている。

 「・・・だから好き」ということのなかには、それが理由で嫌いという人もいるだろう。
 たとえば、わがままやくいしんぼうなどは。

 でもこの詩は、「好きなのだから・・・でもいい」のではないのだ。
 もうなんでもいいのである。思いついたことばを並べ、それに「好き」をくっつけただけなのだ。

 恋をしたとき、「真心」のように自分のこころを見つめることと、「あなたが好き」のように相手に伝えることの、二つのタイプがある。
 これは、人によって違うばあいもあれば、一人のひとが両方の行動をとることもあるだろう。
 これは、対比なのだ。そして同時に、類比でもある。

 自分のこころを見つめることと、無邪気に相手に伝えることが対比しているし、恋する思いというのは、どちらにも類比しているのである。
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