正月休みも残り一日。 何をして過ごすか。 長崎ちゃんぽんが 食べたくなってきたので それを食べて ショッピングセンターに行って 腕時計を見る。 何かを食べるのと 腕時計を見るのは今日と同じ行動である。 腕時計を見て これがいい、あれがいいと 色々見るのが最近多い。 同じ時計でも お店によって 電飾の違いで 雰囲気も変わる。 安い時計もお店の雰囲気しだいで ゴージャスに見えるから。 明日はどんな時計に会えるだろうか。 街には時計屋だけでなく 雑貨として売られている。 いろいろな時計を 見るのが 残り一日の何パーセントの 時間の使い方だろう。 |
正月のバスのダイヤというのは あってもないようなものである。 寒風吹きすさび、小雨が降る中で 博多駅でバスを待つものの 目的地までのバスはまったく来る様子がない。 いったいどうなっているのだろうか。 一時間に三本はある筈なのに 今日は来るバスはキャナル行きの バスばかりのように思える。 キャナル行きのバスには お客は詰め込み放題で 乗せていくのは 値段が値段で安いからだろう。 正月に外出なんかするものではないな。 寒いからバスセンターの中に入ってみると 目的地行きのバスはバスセンターの中には 入ってこないということだ。 またまた寒風ふきすさぶバス停に 逆戻りである。 かれこれ1時間はヒマをつぶしたようだ。 小雨はぱらついてくる。 バス停にはベンチもないし お腹もすいてきた。 正月に外に出るもんじゃないな。 やっと帰り着いて思う。 |
元旦から呑みすぎである。 ふだんは、一切、お酒は口にしないのであるが 今日はちと呑みすぎである。 モルツ瓶ビール 沢の鶴 一合 マッコリ カシスマンゴー 4杯 ふだんは居酒屋なんか来ないのにな。 ついつい年に一度しか来ない兄と 呑んでしまう。 焼きたてワッフル 揚げたてドーナツ もつ鍋 串五本盛り合わせ ちゃんぽん麺 色々と食べすぎである。 こう食べすぎたら もとに戻るまで時間がかかるのだ。 そろそろと正月気分を抜け出さないと 明日からまた三連休であるが 体調を元に戻さなければ。 食べて、呑んでまでで 歌って踊ってまでは いっていない。 今日の正月は街は 異様にヒトが少ない。 昼間、繁華街を歩いて思ったのは 本屋はなぜか正月から 営業をしている。 新天町で開いているお店は モスバーガーと本屋くらいである。 夜になって居酒屋に入ってみれば まあ満杯である。 昼になぜ本屋は開いていたのか。 人々はヒマだから本でも買って 読むのだろうか。 たしかにこの正月は自分も 昼は本ばかり読んでいた。 でも本を読んでなにか得るわけでもない。 歌って踊ってまでは 達していないけれども とりあえず正月の一日くらいは よかろう。 今年も明けました。 どなたが読んでいるのかわかりませんが 今年もよろしくお願いいたします。 年齢が一つ増えているな。 正月を明けると自動的に 更新されるようだ。 |
歳の暮れも 瞬く間に過ぎていく。 時間は待ってくれない。 来年はどういう年になるか。 振り返ってみると 今年も色々あったけれども それは日記の中にこめられている。 一つ、一つの出来事は 読み返せばよい。 来年の事はわからない。 誰かと一緒になっているような 感じがする。 そういっておけば実現できそうな。 年の暮れの雑感。 |
自分は田舎で暮らした事はない。 田園風景や自然に囲まれた生活は したことがない。 都市化された空間の中で孤独に 暮らしている。 昔からヒトとの結びつきが ない都市での暮らししか知らない。 ヒトとの結びつきは弱くて 隣のヒトが誰なのかも知らないし まったくヒトとの交渉がないから 孤独というか 一人の生活に慣れてしまっている。 学校の友達も卒業してしまえば まったく別れ別れになってしまったし お付き合いというのは 職場のヒトくらいである。 お付き合いというのか 仕方なしに付き合うというのか。 無縁社会という言葉があるけれど そういう中で 縁をたぐりよせる手段として こういうサイトに登録しているけれども なかなか縁はないようだ。 というのが今のところの実感である。 まあこのサイトが本来はそういう目的なのだが もう最近は自分の気持ちを吐露する 場所になってしまっている。 田舎というか 今日はかなりの田舎まで 行ってきた。 見渡す限り田んぼというのか そういう場所である。 無人駅を降りて 少し歩いてみたけれども 印象としては 何にもないということだ。 高い送電線の鉄塔があって 民家が点在していて お寺があって 郵便局があって JAがあってと 本当の田舎ではないけれども 都市に住んでいて 繁華街に ファッション関係や 色々なお店が乱立している場所からすれば 何にもないと言ったほうが正しいように 思える。 コンビニはないし バスはあっても一時間に一本だし 電車は一日に7本だし 一両編成であるし そういうところである。 こういう所では 車なしでの生活は なかなか考えられないだろう。 田舎暮らしには 必要なのは車であって 都会暮らしに必要なのは 自転車のように思える。 無人駅というのか 一日の乗り降りが 10人足らずの所である。 こんな場所に降りてみたが 東京でいえば 昔の二子玉川みたいな所だ。 いまでは最先端の暮らしぶりというように 宣伝されて上質の暮らしがあるように 言われているけれど 実は昔は何もなかった田舎だったということだ。 だんだんと ショッピングセンターが 郊外に進出しているから 田舎の都会化というのか もはや本物の田舎をご近所で 探すのは難しいだろう。 自動販売機もあった。 ただ アスファルトではない 舗装されてない道というのは 自分には田舎に思えた。 |
喉の調子も快復した。 喉の痛みも消えたけれども イソジン消毒剤もとうとうなくなってしまった。 ドラッグストアに行ってみると イソジンと並んで 類似品が陳列されている。 「この値段に注目」と書かれているが たしかに安いのである。 同じ効能で安いならばと思って 買い求めてみた。 値段はイソジンが598円で 類似品が398円である。 家に帰ってうがいをしてみると 後味が違うのである。 同じボビドンヨードでも 味付けが違うのか 香りが舌に残るのである。 まったく同じ味に仕上げてくれれば 完璧な後発医薬品だろうけれど やっぱり違うのである。 最近は医療費節約で ジェネリック品が推奨されているけれども 値段が安くても 味が違えばやはり本家本元を選んだほうが 正解だろう。 たった二百円の差であるから。 薬に味がどうのこうのと言うのもおかしいけれど 口にふくんでうがいをするものであるから。 カプセルとか錠剤で 一気に飲んでしまえば いいけれども 味が左右してしまう場合には ジェネリック医薬品というのか 類似品を選ばないほうが良かった。 喉の殺菌に効果があると言われているが 水でもいいかもしれない。 けれども 喉に違和感を感じた時は イソジンなのだ。 成分は変わらないけれども なんで味付けが違うのだろうか。 薬剤師が居たら どう答えるだろうか。 |
喉の調子はもう回復した。 つい一週間前までの苦しさは もうなくなってしまった。 やはり疲れや無理な飲み会が影響したのだろう。 ゆっくりと休養をとれば治るものである。 喉の消毒に使っていた 明治製菓の「イソジン」を使い果たしてしまったので ドラッグストアに買いにいったが イソジンと似た商品は安い。 イソジンと同じ成分なのに なぜか安い。 これが後発品というのか ジェネリック品というのか バッタ品というのか 類似品なのだ。 イソジン(120ml)が598円で 類似品は 398円である。 試しに買ってみたけれども 口に入れてうがいをしてみたが 後味が違う。 食べるものでもないし 一時的に口の中に香りが残るのであるが 正規品とは まったく味は違うものである。 たった200円の差を惜しむと こうなってしまう。 毎日使うものであるから ケチにならなければ良かった。 喉の殺菌効果は同じでも なんか後味が違うというのは 少し成分が違うものを混ぜているのだろう。 |
今日はまたまた飲み会である。 ラニーバッシャムの話が出たので その本を読んでみようかな。 なんやら成功の秘訣というのか メンタルトレーニングのお話らしい。 本なんか読んでどうするのと 言いたいけれども 目の前に居るヒトがどうも 洗脳されたというのか そのヒトの精神構造というのか 知的構造というのか 脳のありかたというのが その本によって作られたようなものだから その本を読めば そのヒトの事を 少しは理解できるのかもしれないから。 あと リックアンドラックとかいう言葉も 言っていたけれども こちらの話は感動モノというのか 話も出来ない歩くことも出来ない コミュニケーションがまったく 出来ない障害をもった子供と 親が近年発明された 視線入力できる パソコンを通じて 24時間マラソンまで 走るようになったという お話であるけれども このお話も彼の精神構造の中の 一部なのである。 よくわからないけれども 色々なお話が詰まっている 彼はなんかわからないけれども なにかを企んでいるようなのだ。 それが何か尻尾を現さないのである。 尻尾をつかむためには そのヒトの好みを たどっていくより他にはなかろう。 そう考えて いまヒントを探っているところだ。 明日からの限られた時間を 有効に使いたい。 なにせ24時間x7日である。 168時間もあるのだ。 一日普段の自由時間なんて 3時間程度である。 それが55日分もあるから。 |
明日で会社は一応終わりである。 一応というのは、会社が終わったあとに また飲み会らしきものがあるから いつになったら終わるのかわからないからだ。 今日も帰ろうかなと思ったら 読書会をやるので 参加してくれとの要望である。 読書会というのか 自己啓発本を読んで 自分の思うところをめいめいが 述べるということで 結論があるわけでもない。 有意義な時間であったかと言われれば 特に有意義でもないし 為になったかというと 別にたいしたこともない。 その自己啓発本を読んで そのようになった欲しいという 会社の意図が透けてみえるけれども ほとんどのヒトは まあ会社村のいうことであるから 仕方なく参加しているということである。 ふだん、あまり喋らないヒトが いったん喋りだすと 意外な知識をもっていたりとする事に 対しては感心したけれども まあこういう読書会というのか 自己啓発というのは 会社がからむと 趣旨が違ってくるから。 自己啓発というのは めいめいが自分の思うところ 勝手にやるものであるし 強制的にやるものではない。 その点、自己啓発本を 読ませて啓発させようとする 試みはなんとまあ本末転倒というのか アホな事をやるなという感じである。 会社であるから 同じカラーに染めたいのだろう。 会社というところは そんなところである。 とりあえず明日会社に行けば 一週間は会社とおさらば出来るし 自分の本来の姿に戻りたいのだ。 とにもかくにも タバコ臭い部屋に2時間も 居たから 服に匂いがしみついている。 とにもかくにも 会社っていうところは 上司しだいで なんでもありやな。 プロ野球が 監督しだいやと 同じやな。 日本ハムの新監督は 全然、威厳がないな。 そんな事はどうでもいいが。 評論家が監督なんか なれるのだろうか。 なんであんなヒトを 選んだのだろうか。 野村さんがいるではないか。 野村監督の本ばかり 読んでいるから 染まってきたのかもしれない。 限りある人生 有意義にとはいうけれども あと死ぬまで 何日あるだろうか。 365x40=14600日 一日、千円の食費として 1460万円は最低必要なわけだ。 いがいと 三途の川を渡るまでは お金がかかるな。 |
師走は忙しいというけれども 本当に忙しい。 みんな、どこか抜けているのではないか。 平気で色々なミスをしでかすのだ。 なんで気がつかないのか よくわからない。 注意不足というのか 目が見えていないというのか 視力にあった矯正をしていないのか それとも照明が暗いのか 目の前にお金が落ちていても 気がつかないだろう。 今日はなぜか 銭を二回も拾った。 自転車で路側帯を走っている途中に キラリと光るものがある。 よくあることだが パチンコのメダルだろうと 思って 急停車をして 拾ってみたら 100円硬貨である。 そこから また走っていくと 300mくらい走ったところに また 100円硬貨である。 なんで路側帯に 落ちているのだろうか。 落として気がつかないのだろうか。 チャリーンと 音がするはずである。 気がつかないはずはないのだが。 ちょっとした事に 気がつくかどうか。 注意一瞬、怪我一生。 せわしない師走が まだまだ続くけれど 注意深く よく周りを見渡して 行動をしようと思う。 そうすれば またお金が 自然に寄ってくるかもと 思って 今度は財布くらい落ちているだろうと ゆっくりと 自転車を走らせたが 何もないな。 欲を働かせると よくないのだろう。 でもななんで 路側帯に それも同じ位置にあるのだろうか。 |