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からあげ日記

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2010-02-27

親になる前に・・・

カテゴリー: 日記
最近、若い親が子供を虐待したり虐待死させる異常ともいえる事件が多い。

よくよく見ると、貧困層に多い。
お前ら、なんで子供を産んだんや。SEX出来るだけで充分やん。


この国は資本主義で、いくら「友愛」を掲げても、すべて競争だ。
一般的には小学校から勉強でがんばるか、スポーツでがんばるか、
文化面でがんばるか、その結果の第一段階が中学校に現れる。
その次が高校、そして大学。


上に上がるほど 「目の荒いふるい」 でドンドン振り落とされる。

落ちたものは「負け組み」と成るが、社会に出るまでに中学、高校、
大学と、複数回のチャンスがあるから、敗者復活も充分に考えられる。

でもほとんどの人は、いったん 「ふるい」 から落とされるとそこで諦めてしまう。
敗者復活は負けたものにとって、精神的にかなりの負担がかかるし、
次の復活戦までに3年間もあるからだ。

中学受験で芽が出なければ、高校の受験まで。
高校受験で志望校に入れない場合は、大学受験まで。
実績を積んでも、その間は負け組み扱いだ。

1つの例として勉強面でがんばるパターンで見てみると、滑り止めの高校
にいくしかなかった場合、敗者復活を目指してなんとかそこでがんばって
成績を上げても、目指す大学に合格するまでは・・・・・・・・・・・


滑り止め(負け組み)の高校に通ってる学生扱いと言うことだ。



とくに高校からは教科の内容も深くなって、志望校に入ったものの、
授業についていけずに落ちこぼれる者も多数いるから大学受験での
敗者復活を目指すのは相当大変だ。

これは入試科目3教科以上課す偏差値65付近の大学を目指した人ならわかると思う。


あまりの大変さに途中で嫌気が差して諦めてしまう。


そして、「ふるい落とされた」事や諦めたことを突っ込まれないように
もっともらしい「言い訳」を考え出す。



そうやって、学生のうちからドンドン「負け組みの思考回路」が出来上がってくる。



最後は社会に出るわけだが、困難を乗り越えられない「負け組み思考回路」の
持ち主は仕事が続がず、転職を重ねることが多くなる。

この国の社会制度でそこそこ充分な生活ができない人間のほとんどが
この「言い訳」ばっかり考えて困難から逃げてきた「負け組み思考回路」
の持ち主ではないだろうか?

そう言う「負け組み思考回路」の持ち主は自分自身を見つめ直すと言う行為はせず、
悪いことは他人や社会や国のせいにしがちである。

こう言う人間同士がくっついて出来た家庭の子供はかわいそうだ。
子供の将来を考えた結果、相当な準備をして生まれてきたとは考えられないからだ。

生まれて根っからの悪人はいないし、根っからのバカもいない。
子供の将来のために投資すると言う意味で教育、文化、スポーツに
ある程度のお金をかけて、家庭内でも子供と一緒に成長する気概が
親にあれば、「負け組み思考回路」なんて出来ないはずである。

でも、子供にそんなにお金をかけられないし、一緒に過ごす時間もない。

そのどちらか一方ですら出来ないなら・・・


「産むな」と言うことだ。


負け組みの思考回路的遺伝子を後世に残すなと言うことだ。


学なし、文化、スポーツ面での教養も実績もなし、もちろん手に職なし。
そんな子供が将来、使い捨てのように社会で扱われるのを見るのは
うんざりでしょ。

子供は親を選べない。

子供が欲しいと思ったとき、感情や世間体を優先するんじゃなく、
自分は親になるのに文化教養面でも経済面でも相応しい人間なのか?
自問自答してからにして欲しい。

「出産」は、子供はいろんな可能性に満ちているにもかかわらず、
産まれた家庭環境によっては、子供の可能性をすべて摘み取ってしまう
犯罪にも似た行為になるって事を考えてからにしてほしい。


2010-02-25

僕の卑しいこころ。

カテゴリー: 日記
人間は中身が大事。誠実で勤勉、喜怒哀楽を出来るだけ抑えて
冷静に振舞う。目先の利益に走らず、先を見通す・・・

共に助け合い、協力し合ってお互いを思いやれる。

そう言う人なら、外見が好みのタイプでなくてもいいじゃないか。

本来はそうでないといけない・・・・・

しかし、僕の場合はいつまで経ってもなかなかそうは成らない。

僕は卑しい。年齢を重ねるごとに外見 (はっきり言って顔) が
めちゃくちゃかわいい人にテンションが上がってしまう。

キャバクラ嬢のような人間にはときめかないが、頭の回転が速く
気も利く、その上やさしくて上品、それでかわいい・・・

もうそう言う女性に出会うと、めちゃくちゃテンションが
あがってしまう。その日一日が幸せで溢れてしまう。


何でなんやと考えてしまう。なんでこんなに単純なんやろ・・・


頭の回転が速くて、気も利く、物腰穏やか・・・もうそれだけで充分やんか。
それは努力とか住む環境とかで備わったものやし、それこそが人間の価値やん。


そこに顔なんて関係ないやん。そやけど、顔が好みじゃなかった。
同じ雰囲気なら、どうしても隣のかわいい人が気になって気になって仕方なかった。

顔は人為的に操作するしか変えることは出来ない。
誰もが、アイドル顔になりたいって一度は思うけど、
翌日起きたらそうなっていた・・・って事は絶対ない。

そんなところに焦点当てるより、自分の将来のために
コツコツと努力している懸命な姿のほうが美しいやん。
「痛み」がわかる人の方がすばらしいやん。

人として接するならめちゃくちゃ尊敬できるし、
かなり年下の人だけど憧れてしまう。

でも、女性としてみたらときめかない。

ホンマに僕は卑しい人間だ。

いままでかなり痛い目にあってきたので、顔だけかわいい人には
ときめかないが、中身が良くても、その上、外見まで好みで無いと納得
出来なくなってきてる・・・

お前は何様や! 僕はなんでこんなに卑しいんやろ・・・

どうやったら、こう言う自分を変えれるんやろう。


そんなことを考えたら落ち込んでしまった。







2010-02-24

バブル期のある自動車ディーラーの対応。

カテゴリー: 日記
こうやって、気楽に時間を気にせず日記をつけれる事を感謝感謝の日々。

もう、昔のようなハツカネズミが車輪の内側を果てしなく走り回るようなことは・・・・・

しなくていいんですね。 そんな日々に感謝感謝。そして、感謝。

さて、例の日本一の自動車会社のディーラーの話なのですが・・・
僕は正直、この自動車メーカーは常用車として使用するなら
世界一のメーカーだと信じて疑わない。

故障もほとんど無く、内外装のデザイン、消耗品の耐久性、日本人が望む高級感、
日本人が好きになる様々な気遣い(オプションになるけど)

どれをとっても価格からみるとコストパフォーマンスでは頂点だと思う。

それだけに、国内シェア50%を超えるのも仕方ないと思う。

しかし、車を操る楽しさはホンダの方がいい。BMWはもっと楽しい。
だから僕には乗用車でなく、常用車(ただの移動手段)なら最高だと思う。

ただ、車種は日本人の所得階層別にレクサス、マジェスタ、クラウン、マークXなどなど
その性格がはっきりしているのが難点か。


結局、車の車種=その人の経済力と言うか、
値打ちみたいに決め付けられてしまう。

今のカローラなんかは本革シート、木目調パネルもあり
内装の雰囲気はマークXと変わらない高級な感じだ。

でも「カローラは平社員の車・・・」みたいな。

カローラセダンでボディー剛性をドイツ車並みにして
ブレーキやサスペンションなどの足回りをロータス並みにして
400万超えの少量生産の高級版があってもいいのに、作らない。

コンパクトボディーでも高級な車種はBMWやBENZ,Audiにはあるのに。


また、マークXは、高級車といいながら、「男の真ん中=庶民」向けの車なんです。
給与所得者の500~600万円クラスまでの人が無理なく乗れる車。

その延長線上に、いつかはクラウン。(夢で終わるかもしれないけど・・・)


男の頂点は、レクサス、マジェスタ。なんです。
しかしなんで、3000ccや4000ccを超えないと頂点になれないのだろう・・・


それを裏付けるかのようなことがずいぶん昔にあった。
当時はまだレクサスが無くセルシオが登場する前のバブル真っ只中のころ。

労働者が、残業残業の残業手当で太った給料で少しでも上流階級に近づいたと
錯覚をするために、マークⅡ、クレスタ、チェイサーといわれる車が馬鹿ウケした。

オートエアコン、ボタンを押し続けなくてもワンタッチであがる運転手側のウィンドウ、
電動格納ドアミラー、オートロックなどなど。

当時は、その装備の豪華さに所有する喜び、感動 (俺もここまで来たか!みたいな) を
この自動車メーカーは与えてくれた。

でも、その喜びは、錯覚だった。上には上があり、労働で見れる夢は
マークⅡやクレスタまでなんだよ・・・

と、ディーラーは教えてくれた。


あるとき、ボンボンの友人がモデルチェンジしたソアラを買ってもらうことになり、
その友人が所有するクレスタに同乗して、2人で販売店へ。
当時の新型は初期型の次の2代目ソアラで、内外装のデザインは日本車では最先端。
エンジンも3000CCのツインカムターボでこれまた最先端。お値段485万円だっけ?(消費税がまだ無い頃)

ソアラの販売店は盛況で客はみんな先代のソアラかクラウンなどの当時の頂点車ばっかりだった。
その中にクレスタで乗り込んでいった僕たちは少々浮いていたのかも知れない。

「ソアラが欲しい」と友人が担当の営業マンに告げると、開口一番「このソアラという車は
性格上、優雅に乗っていただきたいし、そう言う人にふさわしい車です」

まだ、カタログを開きもしていないし、値段の話もしていないのに、

「値引きは一切いたしませんし、大衆車のような値引きどうのこうのという車じゃないんです」

「今お車は、クレスタなんですよね。正直いって、あまり無理して購入されなくても
いいんじゃないんですか?あのクラスならマークⅡもありますよね?
その辺でいいじゃないですか」


あまりに客を馬鹿にした態度に友人も僕も憤慨してさっさと出て行った。

他の客にも若いやつはたくさんいたし、友人も僕もそれなりのカッコして伺ったのに、
乗ってる車見て判断しやがって・・・

友人はそのディーラーでのやり取りを父親に話すと、「日本で一番と思っていたが、
トヨタはやめなさい」 と言う事になり、

これまた当時おお流行のBMW E30 320iクーペを買ってもらう事になった。
もちろん、そのBMWでソアラの販売店へ。

「これ、父に買ってもらいました。この前の事を父に話するとトヨタはやめろということになって。
でもよかったですよ。僕はBMWが欲しかったし、あなたとのやり取りが無ければソアラになってましたからね」

やり返したった!!

労働者がクレスタ、マークⅡで上流階級と勘違いしてと馬鹿にするなら
お前らディーラの営業マンも所詮サラリーマン。扱ってる車が頂点でも
所有できるほどの給料はもらってないんだろ?勘違いするなよ!


そんなこんなで、ブルーカラー、ホワイトカラー関係なく、年収1000万に
満たないサラリーマンに上流階級なんて存在しないので、勘違いはナシよ。

謙虚に日々感謝感謝。
2010-02-21

こんなんでも日本製(MADE IN JAPAN)

カテゴリー: 日記
品質が良くて丈夫。しかも価格に関係なくそれぞれの価格帯で高性能。

ものづくりニッポンの製品だ。そこそこの耐久性と精度の高い部品を使用して
大量生産でコストを下げ、それなりの製品が出来あがる。

部品に関しては、自社生産と外注(下請け)とに分かれる。
とくに外注品には、徹底した単価切り下げが求められる。
いわゆる大企業における下請け泣かせだ。

ひとつの製品が出来るまでに何分かかるか?それによって一日の生産数が
決まってくるので、製造ラインの配置、組み立て方、検査の方法など稼働率80%
以上を目指して徹底した効率化が求められる。

ラインのどこかでトロトロ作業してしまうと、そこで組み立て途中の製品(通称ワークと呼ぶ)が
止まってしまうので、作業者みんなが後工程に迷惑をかけないように自分のところの工程は
必死で作業する。
熟練工に成れば成るほど1つの工程が複雑になるが、慣れてくるとそれも不思議なもので
質量転換の法則というか、生産ラインの工程上の計算ではそれほど余裕が無いサイクルタイム
にもかかわらず時間が余るようになってくる。

このとき、人間の順応に対する能力はすばらしい!と誰もが感激するみたいだ。
○○電器(電機)の製品をこんなに短時間でこの工程を作業できるのは俺だけだ!

・・・みたいな。


しかし、企業も馬鹿じゃない。計算上のサイクルタイムでは余裕があると見ると、
もっと時間を縮めて生産数を増やそうとする。まさに、いたちごっこ。
行き着くところは、作業者の体力の限界まで。

「あぁ~野麦峠」は大正の昔話ではなく、大量消費が続く資本主義が崩壊しない間は
現在もそしてまだこの先も続くのだ。

稼働率において、組み立てライン工程で問題がない場合は「作業者の熟練」という努力で
解決できるが、加工機や部品の精度不良で組み立てや、性能に問題があった場合は
どうしようもない。

ラインが止まると生産数が落ちる。生産数が落ちると、月産計画を修正しないといけない。
修正すると納期が遅れ、上から文句がでたり、様々な問題がおこる。仕方なしに少々の
寸法不良や検査ギリギリの性能なら、「とくさいひん」として製造して出荷してしまう。


大量生産品には、そう言うことがつき物だ。
よく言われる「当たり外れ」がこれだろう。


今、問題になってる自動車メーカーも「とくさいひん」として出荷はしていないだろうけど、
ここでは内容は話せないが、作業者に事情を聞くと、よくまぁ~そんなんで今まで
欠陥車両が続出しなかったのが不思議なくらい。さすが世界の・・・だ。人間の管理の仕方と
製品の管理、検査の工程がよほど抜群だったのだろう・・・と感心してしまう。

(もちろん、それ以外に力関係もあったでしょうが)

それに比べ旧財閥系の自動車メーカーは20数年間も欠陥が出続けているのを
知りながら隠して出荷(販売)し続け、人身事故も多数起している。
ある雑誌には、これだけの欠陥車を世に出しながら、会社自体が存続できるのは
おそらく日本だけだろうって記事もあった。


製造業の現場で直接労働する作業者は正社員(高卒)、期間社員、派遣社員関係なく
時間に追われ、良品生産数に追われ、問題が起こればすぐに改善。効率や品質向上を求めて
提案やQC活動・・・

それでも、不景気になると、リストラ、配置転換、契約更新打ち切り・・・

こう言う現状だ。


そこまでいじめられても製造業にしがみ付くしか方法のない人は多い。
結局、学なし、自らお金を稼ぐ手段なし、親の資産なしの、いわゆる経済弱者は・・・・


いじめられるしかないのだ。


学なくして労働している世のお父さん、お母さんたちは必死でがんばってるんですよ。

これからも定年までそう言う報われない生活がずぅ~っと続く・・・



でも、そんな姿見て、子供が将来を明るくなんて見れないよね。

そうは言っても、そんな家庭に生まれた以上、スカ引いたと思って
そこは気持ち切り替えて生きていかなきゃならない。


生まれる前から親を選択することはできないのだから・・・・・


バブル絶頂期は豊かな国といわれたけど、
こんな労働や家庭も日本製の特徴だ。







2010-02-20

こう言ってしまうと・・・

カテゴリー: 日記
先ほど、yahooの見出しの中に、「こう言う女性は結婚できない」っていうのがあった。

はっきり言って大きなお世話。とりあえず自分の信じたやり方で努力してダメなら
べつに1人でもいいじゃない。

なんか、結婚せな不幸みたいな?感じになってる。



結婚して、1人の時より不幸になった人も多いのに。


「離婚」がそれだよね。結局、1人に戻ってる。

1人に戻れたのならいいが、子供が出来ての離婚は大概、
女性の方が子供さんを引き取る場合が多いし、「養育費なんか、
よう払わん」ボンクラの元亭主ってのも多い。

・・・・・となると、女で一人で子供を養うわけだ。

そうしてこれまた大概、新しい貧困のはじまりになる。


この後は嫌なことばっかり想像してしまって凹むので、この辺でやめとこ。


そんなんやったら、べつに一人でもええやん。


そう言うことを言ってしまうと、なんでここに登録してるんやろ?
・・・ってなるから、そう言うことは言わんとこ。








2010-02-17

抜け出せてよかった。

カテゴリー: 日記
この季節になると嫌でも思い出すのが大学入試。

落ちたらお先真っ暗・・・その悲壮感で1月~受験が終わる
3月までなんともいえない悶々とした日が続いたのを思い出す。

この試験は選別の試験。

ブランド大学に群がる受験生に対して、この大学にふさわしい学力があるのか無いのか?
入学試験というフィルターで「ろ過」され、基準を満たしたものだけがパスできる。

今は大学全入時代というが、それは低学力でも入れるお粗末な大学の話。

早稲田、慶応、上智はもちろんのこと、関関同立や明治、青山、立教、中央、法政。
国立大学ならセンター試験75%以上の得点で2次試験に文系でも
高2までの数学を課す大学は少子化の今でもなかなか入りにくい。

難しいからこそ価値がある。

もちろんそう言った大学出身者は社会や経済に大きく貢献してきた歴史と実績もある。
単純に入試問題が難しいだけではないのは当たり前。


一般的に、手に入りにくい物事に対して人々はそれなりの価値を見出だすものだ。

それがプレミアであったりブランドって言葉になる。

よく言うブランド物もそうだ。貧乏ではなかなか手が届か無い。
(一般的な)人が簡単にいくらでも手に入れられるならブランド力はない。

いくら品質が良くてもお値段が手ごろで年収400万以下の世帯でも難なく買える・・・
となってくると、なかなかステイタス見たいなものは感じられないからだろう。


ユニクロのジーパンがそう。プレミアムジーンズは、かなりいい素材らしく、
あるブランドジーンズでは2万円ほどで販売しているような生地を惜しげもなく使用して
お値段4000円くらいらしい。すばらしいと思う。


でも・・・


確かに物はいいけど、ユニクロはユニクロ・・・
部屋着(大量生産品)って感じしませんか?

ブランド物を日常的に手に入れられるようになったとき、
やっと庶民から抜け出せたような気がした。


人間に話し戻して、

いくらブランド力のある大学出ててもリストラや就職難に遭い、
年齢別の年収で平均以下なら、中卒でも年収1000千万円超えの方が、
そう言う大卒より経済的な実力は上なんですよね。


どこの学校を出ようが、社会に出てからが本番の勝負。
そこで生きがいを感じながら、収入も同じ世代よりも上。
だったらそれで十分。不自由なく生活できてるならそれでいいと思っていた。


でも、やっぱりちょっと違う。


大卒でも今後も平均以下の収入しか得られないなら中卒年収1000万以上
の方がすごいと思うけど、年収が均衡してくると、大卒の方が何か人間の
質的な良さを感じてしまう。

雰囲気、文化的教養、物事のへ取り組み方、言葉の発し方、話の聞き方、人との調和・・・
数えだしたら限が無いけど、僕は大卒の方が良く感じてしまう。


先に出てきた有名な大学を卒業していない大卒女子でも、結婚希望の
条件で、年収が高くても中卒や高卒を希望しない人が多いのは、ある
程度の年収があれば、後は人間の質を求めるからなのだろうか。


お金がそこそこ稼げて、人柄の良さはあって当たり前、その上、
学力も人間の質の重要な条件であり、ブランド力になっているのだろう。


これを上っ面だけ見ているという人がたくさんいるけど、そう言う人ほど学力の低い、
或いは学歴の低い、年収も500万円以下場合が多かった。
あくまで僕が出会った人たちの経験ですが。

仕事が終われば、パチンコや飲み屋、競馬や風俗・・・
創造していく文化ではなく、時間・金を浪費する頽廃的に日常を過ごす人たち。

なんか、教養というか文化というか、そんなかけらも無い余暇を過ごす人が、
特に高卒の製造業に勤めている人には多かったような気がする。

大学時代のアルバイトと資格取得するまでの生活のつなぎのアルバイトで出会った人たちだ。
その中には、リストラや工場閉鎖で、もしかしたら派遣村直行の人もいるだろう。

不景気の度にリストラや配置転換を気にして、ビクビクしながら上司の顔色見て、時間に追われ
生活に追われ、住宅ローンに追われ・・・それでも○○電器(電機)、○○自動車等の社員だと
言う事だけで不思議なエリート意識をもって生きてる。


ただの製造要員なのにね。


今、本当に抜け出せてよかった。そんな世界から抜け出せて本当に良かった。
これからは自分ブランド力を高めるためにがんばろう。











2010-02-06

変わったのかなぁ・・・

カテゴリー: 日記
久しぶりに中学生の頃の歌謡曲を聞いてみた。

今聴いてみると歌詞の内容のほとんどが恋愛ものだ。
しかも、アメリカンな雰囲気ではなく、昭和の日本人を象徴するような
イジイジするものから、ちょっとドロドロしているもの、暗いものなど・・・


好きならはっきり「好きっ!」って言えよ。
それでダメだったらきっぱり、あきらめる。

そこにたどり着くまでに考えすぎて
いろいろ振り回されてたら疲れるだけやろ・・・


見たいなツッコミをついつい入れてしまった。

最後に聞いたのは、オフコースの「Yes,No」って曲。

歌を聴きながら、こういう純粋というか、単純に「好き」って言う
思いが強すぎて、思い切って「告白する」勇気が無い情けない
時期もあったなぁ~・・・って。

また、このころは、初めて付き合った女性と
絶対一緒になるものと信じて疑わない時期でもあったなぁ~・・・。


そんなこんなで、あれからもう30年が過ぎようとしてる。
容姿も心もあの頃からだいぶん変わったってしもたんかなぁ・・・。
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