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藻莉日記

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2010-07-05

次にやること

カテゴリー: 日記
次にやることが決まらない。

 腱鞘炎で、いろいろ学校とか編み物とかできなくなって、次は、じゃあ、話したり頭を使うことをやろうかとぼんやり思ってはいるけど、
 まぁ、ゆっくり考えようか。

 昨日、パズルの本を見つけて、それでも買ってみようかな。

 話し方教室や、英会話や、歌を歌ったりとかやってみたいけど。ダンスも。 それも合わせて考えるとして、何か仕事とかにつながることはあるのだろうか。
保険の営業とか、ファイナンシャルプランナーとか、カウンセラーとか。
 何かそういうことのトレーニングをやってみながら、実用的なことを考えていってもいいかもしれない。
頭を使いながら人と話すことを考えている。
アドバイザーみたいな。

 いろいろ、人と会話するトレーニングをしながら、そういうことをできないか考えてみてもいいかもしれない。

 最初からいきなりは採用されないことは知っているので。
まずは、お金を出したりボランティアでもいいからやってみて、自信を得たり、人に言えるようになってから。

 勉強やアートと違って、人との会話は、やればやるほど上達するもので、しないと衰えるし。
子供のころ環境が変化に富んでいる人はけっこう若いうちから会話が上手な人が多いし、そういう環境に恵まれなかったり仕事も技術の人は育たなかったりするけど、その人なりに会話すればするほど上達する気はする。
 お笑いの人とか、全く上達しない人もいるけど、やっぱりお笑いやアナウンサーとかは、才能もいるようだ。

 普通のしゃべる仕事だったら、普通がいいし、
うまくなりすぎて技巧的になるとかえって信用を失うこともある。

 人柄や内面が出ることが多いから、きちんとした真面目で信用できる人だったら、だいたいそのまま普通に話すほうがいいと思う。
表面的にやるよりも、内面や自分の生活をきちんとすることから始めたほうがいいと思うし、そのあたりが誰にでもできるわけじゃなくなるような仕事の種類もある。 福祉とか、教師とか、やっぱり、技術だけで小手先にやろうとしてもうまくいかないのはそれだと思う。

 政治家もそうだといえるかも。

 なんかでも、ぼんやりそう思うだけで、具体的にはあまり浮かばない。 長くああしようと考えていたことがまだ、忘れられず、なんとかならないかと思っているようだ。
2010-07-06

ニーチェの言葉

カテゴリー: 日記
ニーチェの言葉という本が流行っているらしい。サッカーの長谷部?が紹介してて、立ち読みしてみたんだけど。

 おもしろい一文があった。

 人生がうまくいかなかった人が、不満分子となって、暴れる。

 なんか、上から目線っぽい言葉だから、ニーチェってお金持ちだったかな、とも思うんだけど。当たってるなーと思った。

 昨日、チャットで、来週選挙のせいか、いろいろ社会への不満をぶつけている人がいて、聞いていたんだけど、その人なんかも不満分子だろうなと思う。人のこと言えないのだけど。

 私は、みんなの党が気になって、友達とか入れるとか言ってるし、岡山は小さな政党から無視されているから衆議院のときも、その友達は入れようと思ってもみんなの党なかったし。笑
 こういうとき、親がいたら、大正生まれで政治についてよく知っていたから、ああ、あいつは戦争のとき戦地から飛行機で逃げた人だ、とか、ああ、あいつは、企業献金を裏で渡したのに公にしたやつだ、とか、詳しかった。いっつもあいつはああだこうだと親は言っていた。笑

 渡辺さんのお父さんのことを、親ならよく知っているようだったが、
なんとなく、見るからに怖い感じのつらがまえだし、なんだろ、この人と思うのだけど、栃木県の人にネットで聞いたら、わかるかなーと。
私も、岡山出身の議員の経歴はある程度わかるし。
 そしたら、ウィキペディアに詳しく書いていた。笑

 なんか、過去にしたあらゆることが書いてあるから、投票する前にウィキペディアで調べたほうがいいかもよ。

 まず、ウィキペディアに、どこかの政党色はないか、調べてから信用したらいいと思うけど。

 不満分子の話しなのだけど、私は、なんだかネットでいろいろ不満分子の人からいじめられる傾向に今まであったようだ。
それが不思議でしかたなかったのだけど、なんとなく、今日、今までわからなかったことがわかったような気になった。

 私は、体制側の幸せそうな資本家に見えるのかもしれない。
彼らの、ドンキホーテにとっての水車なのか。

 実際は私は、ただの田舎ものなのだけど、田舎物というのも、彼らにとっては保守層の一員だろうし。
それに、親が報道関係だったから、どちらかというと、報道というのは、革新の味方をするように見せているだけの保守層のいちいんだし。

 ただのにぎやかしだ。

 とにかくいろいろ不満分子の人が、私を見つけて、いろいろ私に意見を言ったら、社会を倒したような気になるらしくてメールをいろいろ送ってきた。
 私もまた、にこにこして知らずに人に近寄るところがあるので、彼らもいったんは仲間と思ったのに、違うじゃんって言いたいのかもしれない。
ニーチェの言葉の中に

 人が自分の意見を聞いてくれないときは、その意見に反対したいのではなくて、あなたの話し方や、あなた自身が気に入らないからが大半だ。だから、話し方をよく考えて相手が聞くような姿勢で話せば、聞いてくれるのかもしれない。

 私も、その人が聞きやすいように言葉をもっていけば、もっといろいろ話を聞いてもらえるのかもしれない。
2010-07-06

結婚とは何なのか

カテゴリー: 日記
昔はいろいろ経済的にも家庭的にも恵まれなくて困った人も、
結婚で救済されたり、養子に入って家業で仕事を得たり、家族も得たりしたものだけど。
今は、結婚したとしてもなんとなく別々に分ける人もいたりで、
そういう恩恵にめぐまれなくなってきている。

 不満分子も救われなくなってきている。

 結婚とは、それぞれの家庭的にめぐまれなかった人には暖かい家庭を、仕事に恵まれなかった人は縁故を、与えるものではなかったかしら。

 純粋な愛だけはあげるけど、他のものはやらんという人は、自分は純愛だと言っているだけのケチだ。

 また、相手がほしいのは自分ではなくて、親が好きなんじゃないか、とか、いろいろ思うのも・・・。と、やっとわかった。

 自分のもっている自分自身だけでないものを相手に分けて、
相手からも分けてもらうことが結婚なのかもしれない。

 そういうものも出していかないとな、と、思う。

 よく、女性は、なべかまだけ持って嫁ぐ、とか言うけど。
体力や、家事能力のある女性は、それでもいいみたいだし。
それだけでも十分相手や相手の家族を支えられる。充分だ。

 それから、悪いところも分かち合うことにはなるのだろうけど。
悪いところもそれでずいぶん和らぐのだろうけど。

 結婚している女性は、だいたいの人が、そういう、夫というか、男性がもっている、割りとワルっぽいところを受容して、ちょっと、
大人、というか、私から見たら穢れたっぽく見えるのだけど、それも、実は、結婚には必要なのだろう。だんだんとそうなるのだろう。

 私は、そういうのをさほど知らないので、けっこう子供っぽいのだろう。

 また、男性のほうも、奥さんの、なんか、女性ならではの貧欲さというか、何かを受けて、男のおばさんみたくなるのだろう。

 なんかでも、お互いに補い合ってうまくいっている男女ははたからみるといいものだ。中身は知らんが。

 50代ぐらいは、なんか、ぎとぎとしていやだけど、
60代の近所のご夫婦とか、もう、枯れていて見ていて気持ちがいい。

 また、20代、30代も、ういういしいし。

 50代は、なんか・・・。 いろいろ大変な時期の気もする。
それを乗り越えて、の、落ち着いた60代の夫婦になるのだろうなー。

 未婚の50代はまた、どうなのだろう????



2010-07-09

ふたりのネットともだち

カテゴリー: 日記
なんか、ふたり、心に残るネット友達がいて、
誕生日も近いし、自分に似てるな、と思った人達なんだけど。

 ふたりとも母親と近い感じがした。私もなんだけど。

 仲がよかったり、よく喧嘩してたり、だけど。
両方あるけど。 どっちにしても近いような。
メールで母親の悪口とか書いてきてたので。

 私がそのとき、かなり前になるけど、オフ会で失敗して、さんざんだったので、なんか用心深かったので会うことはなかったのだけど、
ふたりとも田舎の人だし、安心できる似た者どうしの気もするし、
本当は会っても何も問題はなかったような気もする。
ただ、遠距離だし、そのまま別に何もなく、通り過ぎていたかもしれないが。

 そのふたりには、私も、思ったこと何でも言って、でも、受け入れてくれて、それは、ふたりとも尊敬できて、私は、無条件にほめることができたこともあると思う。
私は、ちょっと、きかんきな妹、っぽくて、尊敬できる兄や姉に甘えている感じで許してもらえたのかもね。

 尊敬できる点は、ふたりとも福祉関係やボランティアに関心があり、真面目で人にたまにだけど注意できる点かな。
それから、しっかりしていて、おかしな人を避けたり用心深いところかな。
それから、ふたりとも別に大胆でなくてわりとこじんまりしているところ。驚かされることがない。

 いっぽう、うまくいかなかった人達は、
面白いけど、真面目でなくて、笑いころげて、びっくりさせられて、
自立心と反抗心おおせいで、動きが激しく、親とかバカにしていて、

 最初は面白いのだけど、うまくいかないと、悪い部分が出てくる。

 現実では、ちょっと面白いけど、実は、家とか仕事とか真面目で保守的な人もいる。だけど、やっぱり、表面だけ真面目で実は奔放、みたいな人は、うっかりしていると、釣り込まれる。

 地味でも面白くなくても尊敬できて真面目な人がやっぱり、付き合うにはいいし、あとあとも困ったことにならないし、
また、だんだんと気を許しあって結局は面白いこともある。

 でも、忍耐がいる・・・。

 
 ネットとか、面白くないと切れがち。
また、現実でも、仕事が一緒とか、何かないと、なかなか真面目で大人しい友達はできないし。

 やっぱり、表面的に優しかったり面白い人とついつい、つきあうことが増えてしまう。

 だから、ひとり、真面目ないい友達に出会ったら、がんばってやっていけたらいいんだけど、
また、そういう人は、自分からは自信がなくてあまり接触してこないから、こっちばっかりがんばるのも疲れてくるし。

 あ、また、ニーチェを立ち読みしたのだけど、

 若いうちに、何も実現しない、同じような人達とつきあっているとだめになる。早く、実行力のある先に進んでいく人達と友達になれ、と、書いてあったが。

 でも、真面目で信頼できる穏やかな人たちと友達になるのはいいことなんでないかなぁ。
 ただ、保守的で親に頼っている人達の中にいると、自分もそういう人種なら問題ないが、そうでなくて自分は開拓していかないといけない立場の場合は、まずいことになるかもしれない。

 そのあたりが、楽しくて動きの早い人達は、仕事や開拓面では進んでいるし・・・。

 しかし、男どうしなら、開拓者はいいかもしれないが、異性の場合は、やっぱり、ニーチェの言っているようにはいかないかもね。
2010-07-27

介護について

カテゴリー: 日記
このあいだ、介護を16年やったという人がいたので友達になってみたのだけど、あっという間に破綻した。

 けっこう、自分と同じような立場の人のほうがもめやすく、全く違う人間のほうがやりやすいのかも。

 やっぱり、介護問題となると私もひとこと言いたいし、そうなると、どっちが上とかいう話になってしまって感覚が違うともめちゃうのかも。
とにかく介護とか、大変な話だから、そういう話は信頼できる長年の友達以外には話さないほうがいいかもしれない。

 何にしても、福祉関係の話はもめがちだ。特にいっしょうけんめいやっている人ほど、やっぱりひとこといい勝ちだしね。

 そのとき、私がかちんときたことは、
亡くなった親を私がまだ、考えたり思っていることに関してだ。
なんか、それに関して、あきれた。私は親のことは、慣れちゃって、無感覚になっているの、ということだったけど、
その人の親はまだ、施設にいて生きているらしい。その感覚の違いもあるだろうけど。たぶん、死んだとしても、16年も介護したあげくだと、満足して、あまり、後悔したり考えたりしないと聞いたこともある。
 だからといって、人のことばかいにしていい話ではないと思う。

 福祉や介護をがんばっている人の中に、がんばるあまり、他の人をばかにする人がいるのは間違いない。

 昨日、広島の被爆者の話が強烈だったので、夢の中で、近くで原爆が爆発して、逃げる、という夢をみた。

 その人も、いまだに、死んだ弟や妹のことを深くもうしわけないと考えていると聞いて、やっぱりそういう人もいるんだと思う。
私も、同じように、後悔や申し訳ないと思っているのだけど、
やっぱり、人には言わないけど、それなりにそのときにいろいろなことがあって、それを聞いたらああ、と、思われるけど簡単には言わないことがある。 何かあるなと察して、聞かずに理解する、というのも必要なのではないかと思う。

 そういう私も、表面だけ聞いて、いろいろ違った理解をすることもあるとは思うけど。

 そのとき、相手が傷ついたり、何かのしぐさを見せたら、あ、何かあったな、しまったと思えるのは、やっぱり、ネットとかでは無理だ。

 やはり、ネットでは、軽い話しかなかなかできないのだと思う。


 とにかく、介護問題に関しては、私はいろんな思いがあって、それらを現実的に行動していくということを、いっぺんには無理でも、少しずつやらないと、生きていけないのだから、
私はやるしかない。
ずっとその周辺に近寄ったり、ときには休んだりしていくことが、すっかり刻まれたライフワークになっているので。

 それこそ16年介護した人とかは、案外、逆に満足、あるいは嫌になって、二度と近寄らないのかもしれないし、また、いつか戻っていくのかもしれないし。
ただ、私は、まだ、足りないという思いが残っていて、もっともっとというこの思いを、他の誰かの役にたちたいという思いに変えていけたらいいのにと思うのだが。

 そうは簡単にいかないだろうけど。 まず、生きて行かないといけないし、また、自分自身もいろいろ体も本調子でないし。
ただ、すこし現実的になってみると、ぐんぐん体の調子がよくなってきた。
2010-07-29

携帯電話

カテゴリー: 日記
最近は携帯電話を使ってPCのインターネットは使わない人が増えてきたので、ちょっと携帯電話を無料でもらったのを契機に試してみたのだけど。

 お高くてびっくり!!!!!

 でも、便利さにびっくり。

 ブルーレイとか、デジタル化をしたので、お金がなくなってしまい、しばらく携帯電話は止めることにした。
確かに便利なツールだけど、お金かかりすぎ。

 なんか、若者が、携帯料金を払うためにいろんな本とかCDが売れなくなって日本の文化が滞っているという記事を読んだけど、さもありなん。
 私も携帯電話を使っていた4ヶ月、すっかり服も買えず旅行もできなかった。

 携帯電話も、テレビのような広告媒体に変えたら、無料になってよくなるとは思うが、テレビ局がいろんなことを独占していてできないのかもしれない。
PCネットも最初は高かったけど安くなって、いろいろ広告は画面に踊っているけど。

 それから、ドコモのフォーマはもしかしたら、きれいなメールが書けるかもしれないけど、ソフトバンクとか、一部の携帯電話では、やっぱりきちんとした手紙文が書けない。
それが、文系の私にはちょっとものたりない。

 でも、ずっと腱鞘炎だったので、携帯メールうちは助かった。
それが、タッチパネルだと、もっと腱鞘炎よけにいいらしいが。

 ちょっと試していろいろやってみたのだけど、もう少し距離をもってやっぱりいろいろ手紙とか、書きたいし、いろいろ問題もある気はする。

 携帯依存については、すっかりPC依存やら、他の依存をいろいろやったので、私は免疫がある程度できているかもしれないが、いきなり子供が携帯電話をもったら、そりゃ依存はするかも、とは思うが。
でも、昔も、カード依存とか、依存になったことのない若者が社会に出たとたんいろいろ買ってしまったりとか、いろいろとにかく若者は一度は社会に出ると依存症には一度はなるので・・・・。

 現代文明社会と依存症は、切れないのかも。

 田舎も田舎で、家族依存やら、あるけど・・・。
まぁ、都会みたいに単体でみんな行動しているほうが普通じゃないのか。
2010-07-31

自由になるということ

カテゴリー: 日記
自由になりたいと思っていたけど、
なかなか自由になるのは難しい。

 こだわりや義務感や、周りの意見とか聞いていたらいつまでたっても自分の好きなことはできない。

 でも、その、周りとか、家族が、大事で、自分のやりたいことより優先するのだったら、それも、自由に自分のやりたいことをやっているってことだと思う。

 家族もいないのに、いないものや、たまに出あった人とかの意見に左右されるのは、自由でない縛られた人間ということになる。

 見回せば、かわいそうな犬も猫も人間もたくさんいるし、
それらに同情していろいろ迷っていては、やりたいことはできない。

 でも、今、縁があってうちにきた犬猫は大事にしてやりたい。

 今はここでしばらくがんばって、いずれは引っ越してやりたいことをいっぱいやるのが夢だ。

 本当は、3年前に、その時期がきていたのだけど、
仕事の後片付けやら、いろいろまだ迷いがあった。
 今も、まだ、早いようだ。

 5年後ぐらいとめどをつけて、そのためにがんばっていこう。

 5年間は、将来のためにゆっくりとしよっと。

 5年後はいろいろ忙しくなりそうだ。今から体力はつけておかないとね。 英語の勉強とか、料理の勉強とか、必要なものもありそうだし。

 偶然いろんな家族が助けてくれたりで、自分の思い通りに10代からやりたいことをやれる人もいれば、
やっと50代でやりたいことをやれそうな人間もいる。
全く、若い頃から好きなことができた人がうらやましい。
だけど、やりたいことがさほどない人もいるようだし、
また、やりかたがわからない人もいるし、
死ぬまでやりたいこともできない人もいることを考えたら、
まだ、いいのかなぁ。

 また、とっくにやりたいことをやってしまって飽きて、もう、いいって人もいるみたいだし。

 だけど、いつまでも、私にはやりたいことがあるのだと、言い続けて夢を見続けるのはやめ。
やりたいことがあって、やってみたけどだめだったと、言いたい。
2010-07-31

読書

カテゴリー: 日記
仕事も一段落、学校も、まだ始まらないし。

 猫ちゃんが心配だけど。

 ちょっと合間に読書、それも夏休みの読書を、久しぶりにやってみようかと。

 夏休みという長い時間に、ひととき夢の世界へトリップ。

 いろいろ、読みたいものがあって、本屋を今、探しているところなのだけど。
萩尾望都のバルバラをいっきに読んでみたい気もするし。

 そうそう。萩尾さんは、ある年に作風が変わってちょっと奇人変人奔放になったと感じたのだけど、その年に海外で交通事故で死にそうになったらしい。それで、性格が変わったようだ。

 以前は静かに語らない中に、情熱を秘めているところがあったのだけど、一気に全部を出してきた感じで、戸惑ったことがある。
神秘性がうせてしまった。
萩尾さんの読本が出たので、それを先月買って読んだらそう書いてあった。
これを機会にまた、萩尾さんの漫画を読み直してみたい。

 それから、ダルジールシリーズの最新刊が出ていた。
ちょっと、翻訳文が難解なのだけど、イギリス文学の引用とかあって層が深いのでまた、読んでみたい。
また、避暑地での殺人らしいので、夏休みにあっているし。

 東野の、マザーグースの殺人も、どうやら避暑地の殺人らしくて、そういうのも面白そうだ。

 ミステリーには、安楽椅子、避暑地、館(ゴシック)と、いろいろジャンルがある。その中でも避暑地、は、クリスティが、ご主人が海外転勤が多いとかでインドやオリエント急行を舞台にしてたくさん書いている。 ホームズもあるね。

 私は館、が、一番好きなのだけど。クリスティも多いし。

 館、では、絶対秘密の閉ざされた部屋が出て欲しいし、避暑地、では、絶対観光案内が出て欲しい。風光明媚な景色の描写が。

 安楽椅子では、小道具が出て欲しいし。

 なんか、私も、昔、神戸の異人館を舞台にゴシックミステリー、それもアリスがらみのを書いていたことがある。笑

 物語、歌、マザーグース、アリスネタもあるね。ミステリー。

 なんか、中島梓が死んでしまったらしいのだけど、
けっこう年が近かった気がする。
憧れというか、うらやましくてしかたない人だったのだけど・・・。

 本当に自分の好きなことを若いうちからいろいろやっていって、うらやましいなぁと思っていた人だったが。

 あと、踊る大走査線読本を読んで、湾岸線を味わってみたい。
なんか、踊る以前に、湾岸が気に入ってしまって、よく東京に行っていた。ビーナスポートとか。夜景がきれいで。
 いろいろ場所を知っているところの話を読むのも面白い。
それから、いろいろ、パソコンやネットがらみの話が出てくるので、深く意味を読んでみたい。
わりと、警察ものでは、そういう新しい技術を勉強するのが好きなので。

 殺人犯のトレースとか、SFが先駆者だけど。

 それから、アリエッティの、絵コンテ集も欲しかった。

 ノートンの小人シリーズは、子供のころはまった。
面白かったけど、ちょっと暗い影があったような。

 いろいろ欲しいのだけど、結局は、レースやイギリス関係の書物を優先して買ってしまって、いっこうに読書ができない。

 あ、よしりんの新刊も出ていた。立ち読みすこししてしまった。

 ネットへの批判が書いてあった。
ネットのアクセス数はかなり少なくて、自分の読者のほうが多い、つまり、物言わぬ、ブログ書かぬ、ツィッター書かぬ人間のほうが大多数で、ネットで物言う人は少数派だ、ということだった。

 面白かった。

 それから、なんか、新しいファンタジー漫画が創刊してたけど、
ちょっと、パソコンで書いたような漫画だった。
文章も、漢字が書けなくてもブログだとすらすら書けるけど、
漫画も、背景が書けなくてもパソコンだと描きやすいのかも。

 構成やデザインができてなくても硬質な線が出てしまって、上達するまではかえって見にくい気がする。

 でも、ちょっと、書いてみたいかな。

 スキャナーがほしいな。
まぁ、まずは手書きだよね。

 来週は猫の手術を考えないといけないし。

 手術するかどうかはまだ、未定。
本当に治るか、手術のリスクとか、調査してから。

 麻酔で死ぬ小動物もいるみたいだしね。

 なんか、近所の犬の叔母さんが同じ手術をしたらしいけど、
結局元に戻っちゃったので、二度目の手術はやめたらしい・・・。
それらを考慮すると、考えてしまう。

 猫に何かあると、私にもさしつかえがあるから、簡単に手術すればいいとは限らない。
 料金も、一万五千円ぐらいかかるようだ。

 治ってくれるのならいいんだけど。

 できたら学校が終わってからがいい。
学校が始まる前に猫に何かあったら、学校どころでなくなる。

 それか、学校は気がまぎれていいのか・・・。
いや、以前、それで簿記学校で全然頭に入らなかったこともある。

 仕事だけは、勉強と違って気のまぎれになるんだけどね。

 勉強や読書は、気持ちが落ち着いていないとできないものだ。
2010-08-02

カテゴリー: 日記
猫が一時持ち直した。

 気を緩めないどこ。

 去年も一時的に今より軽くひどくなったのだけど、そのときは毎日お刺身で乗り切った。また、今日から毎日お刺身だわ。

 そういえば、母も、病床にあったとき、毎日まぐろのおすしを食べてたっけな~。

 いろいろ犬や猫の面倒を見たり、両親もだけど、看病とかお見舞いとかしているうちに、病気に少しずつ詳しくなっていく。
これが、子育てしている母親だったら、子供をふたりぐらい育てたらだいぶ、育ててない人と違って詳しくなる。
私も、何も犬も猫も飼っていない人よりは生き物に詳しくなる。

 そういうの、子供のころから、弟や妹の面倒をみたり、祖父母と多く接しているうちに、育っていくのだろうけど、
最近は転勤族やら離婚やらで全く生き物に接せずに育つ人がいて、
感覚がない人がいるようだ。

 全くわからないわけだから、いきなり子供でもできたら大変だろう。気の毒に思う。

 母性は、生まれつき持っているものではない。
パンダだって、人工保育で育ったパンダは子育てができない。

 家族や親族や、弟や妹や、祖父母や、近所の人と、両親も、子供もみんなで暖かい雰囲気の中で育つもので、
離婚してたり転勤ばっかりしていたらなかなかはぐくまれない。

 離婚しても、転勤ばっかりでも、親が早死にしても、いろいろ、叔父や叔母や近所の人やら先生やら、誰かがはぐくんでくれた場合は、また違うようだけど。
そういう出会いに恵まれなかった人もいるのかもしれない・・・。

 とにかく、猫や犬を最後までがんばって育てていくことは、
いずれは福祉の仕事にも役に立つし、
犬や猫を最後まで育てる人でないと、福祉なんかできやしない。
(か、どうかは一概に言えない? どうだろう。私としては言いたいけど。)

 これが、一般の会社だと、犬や猫なんかほっておいて仕事しろということになる。

 なんか、ベッキーのお父さんが、動物や困った人が、学校や会社の行き帰りにいたら、遅刻していいから助けなさい、と、言ったらしい。
すごいなーと思った。そんなお父さんがいたらいいのに。
けっこう、そんなのほうっておいて受験がんばれって親が多くない?

 その場合は、親が病気になってもほうっておいて、仕事する子供になるだろう・・・。

 役者は舞台で死ぬ、ということもあるけど、
舞台というか、大事なのは芸術やら、仕事なのか、家族や、生き物なのか・・・。
例えばバイトが忙しくていろんなものを見捨てる、というのはバカくさいし。でも、親の老人ホーム費を稼ぐためにお見舞いはなかなか行けなくて仕事している、というのはいい話だし。
 でも、子育てや、学費稼ぎで忙しくて親はほったらかしという子供も最近は多いようだし・・・。
 また、子供に、自分のことを考えて人生をぼうにふって欲しくない、と、強く望む親もいるようだ・・・。だが、親を見捨てて子供が好きなことをしても、子供は幸せになれるだろうか?一蓮托生でないのかなぁ。

 まぁ、私は、側にいる動物を大事にしてやろっと。
2010-08-03

カテゴリー: 日記
猫 一進一退

 どうも気持ちが落ち着かない。

 全体的には一時よりいい気がするが。

 気がめいって、ネットに逃避していた。

 なんか、いろんな人がいた。

 驚いたのは、すべての願いをかなえたような人がいたのだけど、
その人もいろいろ悩んでいたことだった。

 ピアノの先生で、東京の大学へ通わせてもらっていて、私から見たら、垂涎、というか、すべての願いを手にした気がするのだけど。

 私は傷だらけで底辺でいろいろ、さまよっていたぶんだけ、ちょっとしっかりしてるのかな~。

 仕事とかの面だけどね。
全然、やりたいことと別の人が嫌がる仕事を地道にずっとやっていて
給料も安いし休みもないし、さんざん。

 次の人生はやりたいこと好きにやろうと思ってはいたけど。
それもまた、いろいろあるのかなぁ。

 まぁでも、そろそろ、やりたいことやらせてもらわないと。
もう、先ないじゃん。笑

 やりたいことは半分にして、やりたくないことを半分やるといいという教訓をずっと実践していたんだけど、それは続けるとして。

 やっぱり、支えというか、ふたつないと人間しっかりしないもんね。

 世の中には、全部、やりたくないことをやっている人もいるらしいし。それはちょっと・・・。
なんでか理由は不明。

 友達の話では、家族とか、親戚じゅうの期待を背負って、やめるにやめれないんだと。
 半分は理解できるけど。

 とにかく、今年が勝負どきだなぁ。また、怠惰に逃げるか、それとも、冒険に出るか。また、周囲に引きずられて妥協となるか。
おだてられて妥協ってこともありうる。
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