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空蝉残日録

自分自身に、その日に起きた様々な、出来事や、感じた事などを滲み出して行きます。

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2010-06-10

フレーフレー女中?

シリーズ、その2です!

この話は、約四半世紀前 つまり今から約、25~27年位前になりますが……。

私が知人と一緒に、東京の中野区方南町にある、
スナックへ飲みに行った時の事なのですが!

因みに、スナックと言っても、その店は巷にあるファミレス程の広さはありました。

そして、約一時間位経ったでしょうか?

隣のボックス席から、
あれっ?どこかで聴いた様な声と、その喋り方?

えーと、誰だったかなぁ?と思い、何気に隣の席を見てみたら、何とそこには
学園ドラマで有名な、
『中村雅俊』さんが座っていたのでした!


そして、その他には業界関係者らしき、男の方と、かなり綺麗な女性がおり、よく見たら奥様の、五十嵐淳子さんでした!

そして、そのスナックには2時間程度、中村雅俊さんはおりましたが殆ど、彼が話をしており、連れの男性は楽しく笑っておりました。

そして、私も何気に耳をダンボにして、話を聞いてみたら、中村家では当時サイン会ごっこと、言うのが流行っており、朝中村さんがリビングルームに居ると子供達が手に、紙とペンを持って来て「パパ!サイン頂戴」と言って、駆け寄って来るそうな……。


何でも、彼の自宅の前に、大体いつもファンが居て、それを子供達が観ていて
、その真似をしているのだそうです。

それともう一つ、
中村雅俊さんの故郷は、宮城県の女川町と言う海辺の町ですが、彼が中学生の時に通っていた中学校が、
『女川第一中学校』と言う名称の学校だったそうです。

そして彼はバスケットボール部に所属しており、
ある時対抗戦があり、
他の中学校と試合をしていた時に、同じ学校の生徒達が応援で来ており、
その生徒達か゛フレー、フレー女川中!
と大きな声援で叫び始め、何度か応援する内に、
フレー、フレー、女川中!から…フレー、フレー、女中!

になり……?


当時まだ、多感だった中村さんは凄く恥ずかしかったそうです!(笑)

と言う様な、お話をしておりました。


そして、中村さんが席を立った時に私は握手をしていただき、少し話しをさせて貰いました。

今でも良い想い出ですね!
2010-06-05

子供の頃の謎々

カテゴリー: 日記
自分が小学生の時にクラスで流行った、謎々です!
『鉄100㌔と綿(わた)
100㌔どっちが重い?』

と言う謎かけですが当時、余り思考力がなかった私は、すかさず「鉄100㌔だよ、決まってんじゃん!」と答えて、周りのクラスメート達から冷ややかな視線を浴びていました……。


それでも、私は答えである、『どちらも同じ重さだよ』と言う意味が、
やはり余り、理解力がなかった私は、クラスの中で一番の知恵者である、
学級委員の所へ行き、
その解答を易しく、解りやすく教えて貰い、
彼曰く『それはね、体積の問題なんだよ!』

私は余計混乱したが、
よ-く考えて、やっと理解した。が、「誰だよ、こんな変な謎々考えたの!」と心の中で叫んだ。

(笑)

さて、長い前置きになりましたが、

時々想う事がありまして、
このまま一人暮らしで生きて行った方がいいのかな? と思ったり又、

このまま独りでは淋しいし、誰か気持ちが通い合い、好きな人と一緒だったら人生が楽しいだろうし、仕事の励みにもなり、色々な意味で人生のプラスになっていく事だろう。
と、想ったり


勿論、ウェイトは後者なのだが…。


まるで、人生の謎々だな…解けるかな?


又、学級委員に答えを聴きに行きたいな……。




2010-06-03

人生の踊り場…

カテゴリー: 日記
自分は今47才ですが、
人生の節目って、例えば20才、30才、40才、50才……
と言う様な年齢に於いて、その時に見合った、ふさわしい、位置と言うものが、あると思います。

あと3年で、私は50才になりますが、その時の自分の位置は例えるならば、
(階段の)゙踊り場"に差し掛かっていると思う…。

なぜなら、その踊り場に立って下を見てみるといま迄の自分自身の人生…生きて来た過程が観えるだろうし又、上を見てみると、
これから先の残された人生をある程度予測出来るだろう……


これ迄の自分の生きて来た、若しくは経過して来た時間を思う時、

自分の人生の残りは、まだまだある!

と言う概念ではなく、又マイナス思考でもなく、
もうあと残された時間は多くはないと思っていた方が、
何か日々を大事に、
暮らして行ける様な気がする……。
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