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あっちゃん日記

acchan.comの代表のあっちゃんです。
皆様に素敵な出会いをご提供します!

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2011-05-03

acchan誕生秘話【最終話】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
誕生秘話もついにこれが最終回です!

・・・・

数ヶ月ぶりに彼女から、公園に呼び出されました。
そして、そこに彼女はいました。
彼女の顔を久々にみて本当にうれしかったんだと思います。
とにかくおおハシャギの1日でした。
会えただけでもうれしかったのに、その日は彼女がお手製弁当まで作ってきてくれていました。
ほんとおいしくて、もうこんな幸せな日がずっと続けばいいとそう思いこんでいました・・・。
そう・・・勝手に思っていました。

そして帰り際、彼女から言われました。「ねぇ、別れて欲しいんだけど・・・」。

!!!「ガーーーーーーーーン」!!!

もう頭の中で大きな鐘が鳴り響いたような感覚でした。
真昼間のいい天気なのに、目の前が一瞬完全に真っ暗闇になりました。
何が起こったかもう一度冷静になって彼女の話を聞くと、そうですやっぱり遠距離になってからなかなか連絡がとりにくくなり、そのうち近くで新しく好きな人ができてしまったそうです・・・。
しかももうその彼とはもう付き合い始めていると・・・。
まぁ遠距離恋愛の経験者なら皆さんわかりますよね。やっぱそういうことって現実に起こるんですね。
とにかく彼女の意思は固く、もうどうやっても今日で別れたいとのことでした・・・。
そこまで決心しているのであれば、自分には何もできませんでした。まったく無力です。
結局その日はどうやって家に帰ったのかよく覚えていません。

・・・そして、家では片づけを始めました。
彼女との思い出の品が部屋に飾ってあると吹っ切れないと思い、もう思い出の品は全て処分しようと決めました。
いっしょに撮った写真やお土産の置物、そして毎日つけていた日記、全部処分しようと片付け始めました。
すると彼女からポケベルが・・。思い出の品は大切なものなので捨てないで送って欲しいと。
よくわからない人です。いわれるがまま箱に詰めました。

それからベットに横になり、隣の窓から夜空を眺めていました。
雲ひとつないきれいな星空です。
そんな空を見つめていたら、急に涙が溢れてきました。
彼女の前でも一滴も流さなかった涙が、後から後からあふれ出てきます。
もう一人の部屋で安心して泣くことができたのでしょう。
自分でもこんなにも涙が出るのかと思うほど泣き続けました・・・。
もう自分には一生楽しいことも、明るい未来もなく、ただ暗く沈んだ世界しかこの先はないと思いつめて泣き続けました・・・。
もう完全に抜け殻で、生きたまま死んでいるような気分になっていました・・・。

・・・そう何時間たったのでしょう、不意にベットから星空を見上げました。
すると!なんと!そこには今までに見たこともないような信じられないほど長く、眩しく光る流れ星がありました!
自分は田舎でもよく物理部の連中と流星群の観測を徹夜でしていたんですが、そんなときにみた何百という流れ星よりも大きくて眩しくて空の端から端くらいまでの広がりをもった流れ星でした。
それを見た瞬間ひらめいたんです「あああ、たったこの一瞬先にも今までの生きてきたものよりも素晴らしいものが待っているかもしれない。ここで諦めちゃいけない、もっともっと素敵な未来が待っているはずだ!!」
そう、勝手に心の中で感じました。
するとさっきまでの脱力感がうそのようになり、急に体の中からメキメキと力が湧いてきました。

そこで思ったんです。「もしかしたら自分のようにちょっとした行き違いや理想のずれからカップルにならない人はたくさんいるんじゃないか。だったらそういう人を結びつけるようなものがあってもいいんじゃないか」そう、これがacchan.comのルーツだったのです。

実はその頃1996年はWindows95が発売されはじめた年でした。
そのため自分もWindows95を買って、初めてインターネットに触れた年でもありました。
その頃のホームページというと本当に何もなくて、mixiもGoogleも楽天もありません。
あるのは、企業のホームページと掲示板くらいでした。
しかもどのページをみてもつまらなく、自分のいいたいことだけを勝手に宣伝しているページばかりでした。
実はこの頃、自分の大学時代のオタク友達はもう自分のホームページを持っていました。
当初はまだインターネットにつなげるWindowsパソコンがなかったので、大学院のUNIX機上でMosaicブラウザーを使ってつくっていたようです。
そんな友達のページもやっぱりつまらないものばかりで、また見たくなるようなページは1つもありませんでした・・・。

そんななか、この人と人を結びつけるホームページというのは、「毎日新しい人がいるので毎日来たくなる」、「俺が更新しなくても勝手にみんなが更新してくれる」などのメリットがあるのではと感じました。(そうですこれはCGMの原点でした)

それから一気にゴールデンウィークを使って開発を始めます。
実はいつも忙しくて残業ばっかりだった会社ですが、久々に彼女に会えると思って無理行ってGWを連休にしてもらっていたのでした・・・。
しかしGW早々に彼女に振られてしまって休みの予定が全て完全に白紙になっていたのでした・・・。
そのため思いっきりプログラミングに専念することができました。(^^;
プロバイダーのホームページ領域3MBを使って、結局5月1日に開発を始めてから3日で完成したのが「あっちゃんLove2お見合い」だったのです。(サイト開設当初はこんな恥ずかしい名前でした・・・)
しかし、3日で作ったからといって侮ってはいけません。
ちゃんと会員登録できますし、しかも今と同じように身長や年齢、都道府県などの条件を入れると相互マッチングするものだったんです。
当初からこの基本的な仕組みは変わっていないんです。

そして5月3日にスタートした時、そこには自分で登録したテストデータが10件くらいしかありませんでした。
そこでオタク友達に連絡して「こんなの作ったから登録してみてよ」と伝えます。
すると何人かのオタク友達が登録してくれ、プロフィールに書いてある特徴からすぐに「ああ、こいつこんなに見え張っちゃって」とかわかったものでした。
しかしそのうち何日か経つと、ぜんぜん知らないプロフィールの人が登録しています。
どうやらオタク友達の友達らしいのですが、ああそんな人も登録してくれたんだと思っていました。
そのうち、よく見ると女性も増えています!しかも本物っぽい。
もう誰の知り合いかわかりません。
そうしているうちにどんどん登録者が増え・・・。

・・・・

そう、これがacchan.com誕生の瞬間だったのです。
そのときはまさかこんな小さなホームページが何十万人も使われるとは、しかもそこから何万組ものカップルが生まれるとは全く想像していませんでした。
今から思えば、あのとき彼女に振られて、あの時あの流れ星を見て、あの時休みを取っていた、これらは全部必然性があって起きた事なのかなと思います。
自分には辛いときではありましたが、そのおかげでたくさんの皆さんの幸せのお手伝いをさせて頂けているというのは本当にうれしい限りです。

とにかくこれからも一人組でも多くのカップルが生まれるよう、日々努力して参りますので今後ともよろしくお願いいたします!
ありがとうございました!
2011-05-03

acchan誕生秘話【大学編4】

カテゴリー: acchan誕生秘話
皆さん、ありがとうございます!
実は今日をもってacchan.comは15周年となりました!
今日のサイトがあるのはご利用頂いている皆様のおかげです!
本当にありがとうございます。
では、誕生秘話もいよいよ佳境に迫ります!

・・・・

アルバイト漬けだった学生時代も大学4年生になり、もう残りわずかとなってきました。
就職先をどうしようか悩んでいましたが、そうですこのときは氷河期の始まりでした。
本当にどこに葉書を送っても無しのつぶてで返答ありません。
もうだめかと思っていたところ、やっといくつか書類選考を通ったところがでてきました。
そのうちの1社の説明会に行ったとき、筆記試験がありました。
普通の数学や物理の問題ならまだ平気なのですが、なんとそこは小論文です・・・。
一番苦手な国語でした。(^^;
さて困ったなぁ、しかもお題は「5年後の自分」です。
もうこうなったらこの会社は諦めるとして、書きたいことを書こうと綴り始めました。
そうです、このときから5年後は1999年だったので、これは世紀末ということで人類滅亡からどうやって生き抜くかを書きました。もう半分やけですね。(^^;

そうしてここは諦め、次の会社を目指して頑張っていた頃、ここから連絡が。どうやら通ったようです!
そんなこともあるのかと次の役員面接へ。
そして言われました「君、小論文に何を書いたか覚えている?」「あ、いえ・・ええとすみません。」どうやらそれを気に入ってくれたようです。(^^;
変わった人もいるもんです!
そして結局ここへ入社が決まりました!ホッとした瞬間でした。


そして4年生も終わりに近づいてきた冬、ついに出逢ってしまったんです、本当に好きになってしまった子に!!!
その子のことを思うと本当に辛くて、もう心がはちきれそうでした。(皆さんもそんな思いのときはありますよね!)
でも、もうこのときはだいぶ人間に近づいてきていたので本気で何とかしたいと考えるようになりました。
そして、ついにシフトが同じとき、帰りに呼び出して告白してしまいました!
結果は・・・即答もらえませんでした・・・が!あとからOKもらえました!
あれのときは本当に嬉しかったですね。
日々の生活が何から何までキラキラ光り輝いているような毎日にかわりました。
しかし、それから間もなくして大学卒業となりアルバイトも終了し、自分は社会人として遠くはなれた社員寮に引っ越すこととなりました。
これが苦難の始まりでした・・・。


それまで彼女の家とは電車でも10分くらいのところだったのですが、自分が引っ越した先はかなり遠く、彼女と会うためにはドアツードアで2時間くらいの距離になってしまいました・・・。
当時は携帯もなくポケベルくらいしかもっていなかったので、これではなかなか連絡が取れない。
しかも彼女の家は自宅なので電話もままならない。(当然お父さんは自分の存在を知りません)
もう話したくても会いたくてもぜんぜん思うようにできなくなってしまいました。
そういえば当時のポケベル、数字だけでなくカナも送れる様になりました。このとき最初に顔文字をポケベルで送ったのは自分じゃないかと勝手に妄想していました・・・。当時、バイト先の女子高校生にそれを見せたらみんな驚いていましたので。(^^;

結局あまりに連絡が取れないので、交換日記を始めることにしました。
まぁ交換といいながら自分だけが勝手に書いてたまに見せてあげるだけの日記ですが。(^^;
その日記をあとから読み返すと、週末彼女と会えたあとは本当にうれしくて何ページもびっしり楽しかった思い出が書かれていました。
そして月曜日から「早く会いたいな」とか「来週はこんなところに行こうかな」とか。
もうとにかく毎日待ち遠しくてたまらないというような日記でした。(^^;
ほんと恥ずかしいですね。
たぶん、書いて間もなくだったらとても人にはいえないようなことだと思うんですが、もう15年も前なのでだいぶ吹っ切れましたね。

・・・しかし、やっぱりこういう生活には限界がきやすいようです。
自分はとにかく会いたくて会いたくてたまらなかったのですが、徐々に彼女の行動がそっけなくなっていきます。
それでもたまたま忙しいだけなのかな?と思って自分はぜんぜん相変わらずの毎日を過ごしていました。

ああそうそう、ぜんぜん会社のことを書いてなかったですね。(^^;
会社では新入社員として研修をへて、無事配属先も決まりました。
システム開発の会社だったのですが、その中でもパソコンのセットアップに関する部署に配属となりました。
会社でも1年目からバリバリ仕事をこなして・・というかとにかく遅くまで頑張っていました。
そして週末も彼女に会えるときは朝早くから起きて会いに行って体にムチ打っているような状況ですごしていました。
それでも会えるだけで本当にうれしかったんです。

それがついにおかしくなります。
彼女から「ちょっと冬の試験になるからしばらく会えない」といわれます。
まったく無頓着の自分は、まぁそういうときもあるかなと思い、会えない毎日も日記に早く会いたいと勝手に毎日妄想ばかりを書いていました・・・。

そんな彼女から数ヶ月ぶりに「今度、公園にいかない?」と言われ、喜んでOK返事を伝えました。
そう、それが今から15年前の4月29日です。
久々に彼女と会えるうれしさからウキウキ気分で家を出て待ち合わせの公園へ向かいました。

・・・・

そろそろ文字数の限界のため切り上げます!
続きは乞うご期待!
2011-04-27

acchan誕生秘話【大学編3】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
また最近止まっていました誕生秘話について再開させて頂きます。
実は今日リリースさせて頂きましたが、間もなく5月3日でacchan.comは15周年となります!
ほんとそういう意味では感慨深いものになりますし、逆にちょうど15年前に何があったのかまた思い出しながら綴りたいと思います。

・・・・

大学2年も終わりになると、マックの厨房ではだいぶ頼れる存在になっていました。
そのうち、社員から「スイングマネージャーをやってみないか?」と言われ、即、引き受けました。(^^;
もうここまで来たらさらに上を目指して見たいという思いがありました。
しかし、この社員、本当に怖い人で、間違いや失敗をすると平気で店内で殴ります。蹴り飛ばします。目の前にお客様がいても関係なしで「ゴラァーテメー何やってんダァ!」と怒鳴り倒します。
そんな状態でしたが何とか数ヶ月のトレーニングの後、無事マネージャーに合格です!
やっぱり厨房も楽しかったですが、前にでてお客様と接するのはもっと楽しいですね。
マックのスイングは普通のアルバイトなのに、やっていることは正社員とぜんぜん変わりません。
場合によっては新しくきた社員よりよっぽどテキパキ働きます。
しかも自分は朝番ばかりをやっていたので、そのうち朝専門のマネージャーになってしまいました。(^^;
週5日、AM4:30入りです。平日だけでなく、土日も祝日もお盆もクリスマスも正月も休みという休みは全部入れていました。
そのうち社員も朝番にこなくなって店を明ける専門のマネージャーになっていました。

でも、そうこうしているうちに好きな子ができたんです!
そのうち思いがどんどん強くなって、何とか伝えたい・・でもとても告白なんてできない・・、そうだ!ラブレターにしよう!
もう単純な考えです。当時はメアドもまだないですからね。(^^;
なんとか思いを綴って、でもさすがに手渡しは恥ずかしくてできないと思い、彼女の靴ロッカーの隅にそっと置いておきました・・・。

そしてそれから数日後、彼女と同じシフトになってドキドキしながら反応を見ましたが全く何もありません。
好きなのか嫌いなのか、無視なのか・・・。
結局、何も聞けないまま何日か過ぎ去ってしまいました。
もう恋愛は何て辛いんだろうと思ったとき、不意に彼女のロッカーをみたら、なんと!俺の愛のラブレターがロッカーの奥にぐしゃぐしゃに土まみれになって入っているじゃないですか・・・。
それに全く気づかなかった彼女って・・。
しかしもうそのときには時遅しで、自分の熱もほとんど冷めていました。
読まれてもいないのに、もう振られた気分でした。
結局何も告げられないまま、彼女はアルバイトを卒業していきました・・。

そんなことをしているうちに始まったんですあのマックのキャンペーンが。
そうです100円マックです!
今だとかなりのアイテムが100円で売っていますが、それまでは確かハンバーガー210円だったのが、ある日から半額の100円になったんです。
もうこのインパクトは絶大で(というか宣伝のし過ぎで)、もうお店は毎日パニック状態です!
いつもはマネージャーがお客様の流れをみて事前にハンバーガーをいくつか作り置きしておくんですが、せいぜいお昼のピークに「12バーガープリーズ」っていって作るくらいなんですが、もうその100円マックが始まってから「ハイ、スタート!」って掛け声です。
スタートがかかったら12バーガーx2台フル稼働始まりです。
もうオーダーを止めることはありません、奥の厨房は延々とハンバーガーを作り続けます。(確か3分くらいで12バーガーできたと思います)
そしてできあがったハンバーガーを手前のカウンターでラップするのもマネージャーの仕事ですが、もうどんどん上がってくるハンバーガーを山のようにラップしていく状態です。
慣れないマネージャーがやると、厨房から湧き上がるハンバーガーの山にラップが追いつかずに溜まっていきます。(^^;
ある意味厨房のスタッフもそうやってマネージャーいじめで楽しんでいるようでした。
(もちろんハンバーガー以外のオーダーも大量に入ってくるので、マネージャーは各種バーガーのオーダーを出しながらラップし続ける状態です)
しかしお客様もお客様で、3時ごろとかもうお昼のピークも終わった時間のなのに、不意に来た主婦の人が「ええとハンバーガー60個」とかそういうオーダーを普通にいってきます。(^^;
もうお客様1人がきたら「ハイスタート!」って感じでした。

そんな過酷な(楽しい?)職場をすごしているうちに、いろんな人の人間観察ができるようになってきました。
「この人はこの人のことが気になっている」とか「この人とこの人は付き合っていそう」とか。
勝手な妄想のようですが、100人くらいいるアルバイトの相関図までかけるくらいになっていました。
まぁ自分につながる相関図は書けないのですが・・・。

もうずっとマックの話ばかりですね。
正直この時期の大学のことはほとんど覚えていないです。
授業は1年で単位を取りすぎたせいで全然楽になってしまったので、その分平日もガンガンアルバイトを入れてもうそればかりの毎日だったと思います。(^^;

そういえば、このころオタク友達からのススメで新しくパソコンを作りました。
今だとパソコンというとPCになると思いますが、当時はまだまだ国産のパソコンが全盛だったと思います。
とりあえず、秋葉に行っていろんなパーツを買ってきて組み立てました。
OSはSlackwareというLinuxディストリビューションです。
確か1993年頃に入れていたのでそういう意味ではだいぶ早かったかもですね。
(しかもPentiumの整数演算問題のにあたりました・・)

そんなオタクな趣味もしているうちに、マックで面倒な仕事を引き受けました。
順番で回ってくる担当の仕事ですが、倉庫の資材管理です。
当時のマックには、カップやストローなど大量にある資材の管理をするツールがありませんでした。
というかパソコン自体もDOS画面の発注システムくらいしかありませんでした。
そのため納品されて、日々消化されていく資材を管理するのは人間が数えていたんです。
カップが残り1ケースなので3日しか持たないとか、それぞれの資材ごとに「カン」で予測して追加発注していました。
さすがにこれの担当になったとき何て原始的なことをしているんだと思い、久々にオタク魂に火がつきます。
バイトが終わって家に帰ってから早速開発にとりかかります。
しばらくして完成すると思ったより出来がいいものができました。
今の在庫数と、前回の数を比較して、今後の予測率を指定することで必要な発注を全部の資材で出すというものです。
これにより人間がする作業は現在の在庫を数えるだけになりました。これは結構好評で自分がバイトを終了するまでずっと自分が担当することになりました。
(しかも自分がバイトをやめたときはこのパソコンごと後輩に安く譲りました)
これをやったことで、将来の目標がはっきりしました。
「ああ、俺はやっぱりパソコンを使う仕事があっている」と。店長の誘いのマック社員はお断りしました。

・・・・

結局また途中で終わってしまいました・・・。
そろそろ結論が出るかなぁ。
2011-04-06

acchan誕生秘話【大学編2】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
ここ最近止まっていました誕生秘話について再開させて頂きます。
いつも長くてすみません。

・・・・

オタク街道真っ只中だった大学1年生も、3月になって終わろうとしていました。
春休みだったので、実家に戻りアルバイトを始めました。
近所のお菓子工場でのアルバイトです。
以前にも何度かお世話になっていたので仕事はぜんぜん慣れていました。
しかし、この工場、食品を扱っているので衛生面はちゃんとしていて専用のエプロンにマスク、帽子をかぶっての作業です。
また、アルバイトの学生も多く、春休みの期間は半分以上が学生でした。
そこで出会ってしまったのです、かわいい女の子に。
・・・というか勝手に憧れていただけではありますが。(^^;
まぁ、今から思うとどうしてそこまで勝手に思いつめたのか不思議ではありますが、ある意味ゲレンデマジックというか、マスクマジックがあったかもしれません。
思ったんですが、マスクと帽子をかぶると目しか見えません。
しかし、目だけで見るとみんな素敵な女性に見えてしまうんです。
ゲレンデでゴーグルをしてさっそうとスキーを滑るとみんなかっこよく見えたのと同じじゃないかと勝手に思っています。
結局その短いアルバイト期間では自分の気持ちも打ち明けることができず、そのまま東京へ戻ってきてしまいました・・・。
しかも、苦労して稼いだお金で買ったのはアニメのLDコンプリートボックスです。(5万円位?)
今だともう完全になくなってしまったLDですが、当時はビデオテープと違って鮮明で劣化もしないということでオタクの間では必須のアイテムとなっていました。
しかし、自分はアニメのLDを買ったのにLDプレイヤーは持っていませんでした。(^^;
どうしてもLDの初回特典が欲しくて、見ることもできないのに買っていました・・・。

そんな春休みを過ごして2年生が始まると、なんと!オタク友達の1人に彼女ができているじゃないですか!
これには衝撃を受けました。
この年になるまで女性とまともに話したこともなく、しかもよくよく考えたら同年代の男女が知っている当たり前のことを全くしりません。
今はやりの映画や、音楽、ドラマ、有名人・・・何もかも全く何も知らないまま今まで生きてきたんです。
オタクなパソコンやアニメに関することは本当に詳しいんですが、それ以外のことは全く何も知らないということに気が付きました・・・、遅すぎですが。(^^;

そこで、心機一転、「よし!人間になろう!」、そう心に誓うのでした。(部屋に飾ってあった全てのポスターも剥ぎました!)
しかもちょうどいいことに1年生の頃は授業に忙しくて(オタクに忙しくて)全く時間がなかったのですが、2年生になって授業が一気に少なくなったので時間にゆとりがでてきました。
何をしたら人間になれるんだろうと考えた結果、オタク友達がファーストフードでアルバイトして彼女を見つけたとのことだったので、自分も真似してみることに。
ここなら「普通の男女」がたくさんいるんじゃないかという浅はかな考えでした。(^^;

近所にファーストフードのお店がいくつかあったのですが、せっかくやるなら一番有名そうなお店にしようとマックに応募してみることに・・・。
すると、面接にも合格し、いよいよアルバイト開始です!
今まで工場では何度かアルバイトをしたことはあるんですが、サービス業は初めてです。
しかも後から知ったのですが、マックは他のファーストフード店よりかなりきつい・・、というかマックだけはいつも混んでいて常に忙しいというお店でした。
そんなお店に入って、奥の厨房で毎日汗だくになりながら、ハンバーガーを作る毎日でした。

しかし、最初はきついと思っていた仕事も慣れると逆に楽しくなってきます。
マックは本当によくできていて、入りたてのアルバイトから徐々にスキルを上げて上の階層に上がることができます。
確か、トレーニー → Cクルー → Bクルー → Aクルー → トレーナー → スイング → Aスイング → マネージャ(社員) → シニアマネージャ → 店長 のような感じでした。
一番下のトレーニーから上の階層に上がるにはそれぞれ決まった試験があって、それをパスしないと上がれません。
逆に上に上がるためにやらないといけないことがはっきりとしていて、しかも全部が完全にマニュアル化されているので非常にわかりやすく目標を立てやすいというのがありました。
焼くものの温度や時間だけでなく、1ポテトに振る塩のグラム数まで決まっていました。
マニュアルどおりにやれば、いつどんなアルバイトが作っても全く同じものが出来上がるようになっていたのです。
ただ、あまりのきつい仕事内容だったため、軽い気持ちで入ってきた人はすぐにやめてしまいました。そのため残った人は根性のあるツワモノばかりで、だからこそ強い連帯感と信頼感のある職場でした。
当初の目的は「人間になって彼女を作る」だったのですが、次第にアルバイトの面白さにひかれてすっかり仕事尽くめの毎日となってしまいました。(^^;

そんな中、大学のオタク友達の中で、サークルを作ろうという話がでてきました。
オタク友達の中にもバンドをやっていたりして、ちゃんとしたまともな男子もいました。
その人たちが主流になって活動するサークルを作るのでいっしょにやらないかとのことです。
とりあえず、時間にはゆとりがあったので、いろいろ手伝いをすることに。
まずは、新入生の勧誘です。
もちろん自分の学校ではありません、オタクしかこないですから。(^^;
近所の短大や女子大への勧誘です。
しかしオタクっぽい男連中が何だか活動内容がよくわからないサークルの勧誘をしてもなかなか入ってくれません。ライバルもいっぱいいるし、そもそもこの時点では何も活動実績がない状態でした・・・。
でも、そうやって何日か勧誘しているうちに、ポツポツと入ってくれる子が現れました!
しかもそのうち、普通にかわいい子まで入ってくるじゃないですか。
でもそうやって入ってきてくれた子がいても、サークルとしての活動内容はありませんでした。ただ、たまにみんなで集まって飲むだけのサークルでした。(^^;

でも!なんと驚いたことにその中の一人の女の子から付き合って欲しいと言われることに!
自分は全くなんとも思っていなかったのですが、よくわからず承諾してしまいました・・。
でも付き合い始めても何をどう接していいのかわからず、あっという間にフラれてしまいました。(^^;
もうほんとどうしようもないですね。
ただ、後から聞いた話では「あの子は学年で一番かわいい子だったのになんで別れたのよ!」とその子の友達に言われてしまいました・・・。
本当にそうなのかわかりませんが、そういわれてもまだ人間に戻っていませんでしたから~。

・・・・

そうこうしているうちに、徐々にマックでメキメキと力をつけていくのでした・・・(続く)
2011-03-05

acchan誕生秘話【大学編1】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
いよいよ大学編1のお話です。
いつもだらだら長くてすみません。

・・・・

田舎育ちだったあっちゃんもいよいよ東京に上京します。
地元では3階建てのビルでもほとんどないようなところだったのに、新宿のビル郡を見て勝手に感動していたものです。(^^;

しかし、最初に住んでいたところはかなり過酷なところでした・・・。
駅からは5分くらいで近くてよかったのですが、木造フロなしトイレ共同ぼっとん、築40年くらいのおんぼろアパートです。
しかも線路近くだったので電車が通るごとに揺れる・・・、最初は地震かと思いましたよ。
また、広さは4畳半だったのですが、この部屋以前は2畳だったようです!!
だって、部屋が横長で真ん中に壁を取ったような跡があり、照明とドアが2つずつありますから。
そんな2畳の部屋だったのに、備え付けとして木でできたベットと机がありました。
なので以前の人は身動き取れるスペースは50cm四方くらいしかなかったようです。
ある意味刑務所より狭いかも・・・。(^^;
しかも南側の2階だったので日当たりばっちりで、夏は死にそうな暑さでした。
当然エアコンもないのでパンツ1枚になって、タオルを水で濡らして羽織って暮らしていました・・。でも何気に扇風機を併用するとかなり涼しかったです。
さらに冬はどうも寒い・・、寒くて寒くて寝ていられなくて、よくよく見たらなんと窓の周りの木枠全部にぐるっと5mmくらいの隙間ができているじゃないですか!
そこから風がスースー入っていました・・・。
これは寒いわけです。セロテープで全部塞いで寒さをしのぎました。(^^;
そういえば、ここ銭湯が遠い!
歩くと20分くらいです・・・、自転車だとましですがそれでも坂があるので帰ってくる頃には汗だくです。
あ、ちなみにここは寮という扱いだったので家賃は月5千円でした。
素敵ですね。

おっと、家の話ばかりで大学の話を忘れていました。
新入生としてウキウキしながら登校した大学初日。
理系の大学でパソコンをメインに勉強するクラスだったので、当然男女比が崩れていました。
確か9:1くらいだったと思います。
まぁ男子ONLYじゃないだけマシですか。(^^;
そして、あんまり怪しい人と思われないようにおとなしくしていましたが、結局ばれてしまいました。
クラスに集まって100名以上の生徒が順番に自己紹介をしているとき、自分はパソコンを学ぶクラスなので一応自分の所有物くらい話したほうがいいかと思って、こんなパソコンを持っていてこんなプログラムを作ってましたといってしまいました。
自分はたいしたことを言ったつもりはなかったんですが、どうやらみんなの見る目は違ったようです・・・。
後日、何人かと友達になったとき「お前はフツーじゃない!オタクだオタク、よしこいつは今日からタッキーってあだなにしよう!」となってしまいました。(^^;
今ならタッキー翼がいますが、当時は宅八郎だけだったのでどうしようもないですね。
しかし理系のマニアックな連中ばかりがいるクラスだというのに、そんな彼らから見てもオタクの中のオタクとしてタッキーと呼ばれるようになったのはある意味誇らしいですね。(そんなわけはないか・・)

そしてさらにすごいことが。
新入生の勧誘としていろんなサークルの先輩が声を掛けてくる中、ある先輩が不意に肩をたたいて「君、ワープの正式名称は?」と尋ねてきました。
するとつい反射的に「次元波動超弦励起縮退半径跳躍重力波超光速航法です」と答えてしまいました。
すると先輩「おお!こいつ知っている!いいから付いて来い!」と。
そう、これはあのトップをねらえ!で出てくる物理学のお話です。
連れて行かれたのは「電子技術研究部」!ほんと素敵な響きですね。(^^;
結局そのまま入部してしまいました。
高校の物理部に続き、またも同じ波長のサークルに入ってしまいました。
活動内容は「パソコン」「無線」「PA」「アニメ・・」やっぱり切っても切れない内容なんですね。
しかし、ここの先輩は本当にすごかった。
オタクという意味でも自分よりもぜんぜん上だと思うし、パソコンのスキルも並大抵じゃない。
自分も先輩の影響を受けてさらに上へ上へと目指したのでした。
しかも東京にも慣れてくるとついに来ました!夢の秋葉原です。
当時はまだメイド喫茶もパフォーマンスも何もなくて、あるのはパソコンのパーツショップや無線ショップだけです。(^^;
でもそれでもすごく楽しかったんです。
もう毎週のように用もないのに行っていました。
だいたい寄っていく店が決まっていて、どう回っていくかのルートができていたものです。
しかもさすが秋葉原、大学ではめったに会わないレアな部活の先輩も、秋葉原だと何人にも出会います。
待ち合わせをしたわけでもないのに、一通りみんなに会うような時もありました。
ある意味すごいオタクを引き寄せる力が当時からあったんですね。

そういえばこの大学には専用のメールシステムがあったのですが(いわゆるインターネットメールはまだない)、このメールかなり特殊で普通のテキスト以外にコントロールコードをメール文中に入れて送れることがわかりました。
するとテキストメールなのに、画面リフレッシュのコードを混ぜて送るとなんとテキストアニメのメールが送れます!
アスキーアートの文章の後にリフレッシュを入れてぐるぐる目が回るメールを友達に送って驚かれていたのですが、さらにコントロールコードを調べていると自爆コードを発見!
そのコードを受信するとメールボックスが破壊されます。(^^;
自分のメールボックスを一度破壊してしまい、それを冗談で友達に送ったらその友達も当然破壊されて思いっきり怒ってました。
ほんとひどいですね。(^^;

あと当時作っていたのは3Dレースゲームでした。
スーファミのF0って知ってますかね。あれをみて自分でも作りたくなりました。
マップの上から色を3次元に拾ってきてグリグリ動くところまではできました。
後は、当たり判定や音楽をつけたりすればいいとこまできたんですが、なかなか時間が取れなくなってきました。
そうです、あっちゃんは1年生の時、よくわからないまま履修希望として取れるだけ全てびっしり申込んでしまいました。
すると平日は5限まで、土曜日もあって、もう全く自由にできる時間がなくなってしまいました・・・。
どれか諦めればよかったんですが全部にでてしまって、結局1年で60単位くらいとってしまいました。
本来は4年で120単位くらいを取るものだったので、1年で半分を取ったことになり2年目以降が一気に楽になりました。(^^;

それでもこの頃はオタク度が上がっていて、狭い4畳半のアパートなのにアニメのポスターをぺたぺた貼りまくっていました。
そのうち、壁があっという間に埋まってしまったので天井にまで貼り付けることに。
ベットから眺めながら寝たものです・・・。(^^;
そんないっちゃった部屋なのに急に親が遊びにくると!
急いで全部のポスターをはがしてしまいこんだりしてました。

・・・・

そんな生活をしていたあっちゃんですが、2年生になって人生の転機を迎えることに!・・・(続く)
2011-02-25

acchan誕生秘話【高校編2】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
前回に続き、高校編2のお話です。

・・・・

前回お話した物理部ですが、もう一つの大きな活動内容があります。
「アニメ」です。(^^;
もちろん書くのではなく、見て語るです。
この頃から本格的にアニメにはまってしまいました・・・。

その頃、はまってしまったが「トップをねらえ!」です。(エースをねらえではありません)
SFもののかなーりマニアックなアニメです。
でもこの監督は、かの有名な庵野監督です!トップはしらなくてもエヴァンゲリオンは知ってますよね。

この監督、本当にオタク心がわかっていると思います。
このアニメにはまったせいで、声優にもはまってしまいました・・・。
主人公の声を担当していたのが日高ノリコさん、あのタッチの南ちゃんです。
当時、地元で毎週で放送されていたラジオ番組が楽しみで楽しみでたまりませんでした。(^^;
最初は聞いているだけだったのですが、そのうち番組の中でネタを募集するようになり、ためしにネタを送ってみたらなんと読まれてしまいました!(当時は葉書ですよ)
これに味をしめたあっちゃんは毎週のようにネタを投稿しまくります。
するとだいぶコツを掴んでしまい、ほぼ毎週読まれる常連さんになってしまいました。(^^;

そのうち毎回ペンネームをアレンジしてわざといいにくい名前を言わせてました・・・。(マニアックネタばかりをペンネームにしてたんです、ひどい)
そしてこの番組、ネタが読まれると記念にキーホルダーをくれるんですが、それをカバンに取り付けていたところ、最後は30個以上数珠繋ぎになってしまい、何だかわからない塊をジャラジャラつけた状態に・・・。
自分の中では誰も知らないと思って勲章のようにつけていたんですが、後日自分が地元を離れたあと「あのキーホルダーを山のようにつけていた人が最近いなくなった」とラジオで読まれたようで、ある意味知っている人は知っていたんですね、恥ずかしい・・。

そういえば、この日高さんには、一度ラジオ局まで会いにいったことがあります。
1時間くらいかけて最前列で中の様子をみてました。(^^;
最後にサイン会があって、「藤田です」っていったら「あのいつも葉書をくれる藤田さん?」って言われてもうそれだけで嬉しかったですね。
色紙とTシャツにサインをもらって大喜びで家に帰りました。
後日、その大切にしていたTシャツも一度だけ着たことがあります。
なんと、全校のマラソン大会です!
みんなは俺のシャツに何かグジャグジャ書いてあるくらいしか思わなかったと思いますが、物理部の連中にはそのTシャツが輝いて見えたことでしょう。

そうそう、こんなオタクな活動ばかりをしていた高校生でしたが、実は勉強もできました!!
・・・といいたいのですが完璧ではありません。
得意なのは数学と物理だけ、後はぜんぜんだめでした・・・。
だめなほうでいうと社会科関係はいつもテストの点は一桁でしたね。
英語も偏差値30代くらいだったかな・・、国語は20代くらい・・。
社会科と英語は覚えてないと何も書けないので仕方ないですが、国語は日本語のわかるところは全部書いたのに片っ端から×でした。
納得いかなくて何度も先生に文句にいったものです。(^^;
個人的には国語の答えには○も×もないんじゃないかと思っています。
本当にその作者がそれを考えて書いたのかは作者にしかわかりませんし、それは捉え方によってどうにでもなると思っています。

それに対し、得意だったのは数学ですね。
学校は進学校でさらに理系クラスに分かれていたのですが、数学だけは偏差値80くらいでした。
しかも途中から本気モードになって100点を連発する状態に。
たしか6回くらい連続で取ってました。もうそれが全てのように命をかけてました。
98点だと悔しくて涙したものです。(^^;

そうそう、これで調子に乗って全国模試でも力を発揮することに。
マークシートのテストでも100点を取れたんです!
この試験、成績優秀者は後日雑誌に掲載されるんですが、ここですごいことに!
なんと偽名を使って試験を受けていたんです。
そう、その偽名は「ジャンロックラルティーグ」!!
って誰も知らないですね。「ふしぎの海のナディア」で日高さんが担当していた主人公です。(この名前を知っている人は立派な庵野監督のファンですね!)
試験の時、漢字の名前はもちろん本名で書いているんですが、そのフリガナがマークシートになっていたので変えたんです。
普通に人がチェックすればマークシートの名前が異様に長いってわかるんですが、そこは機械、ちゃんと正しくフリガナで印刷してくれました!(^^;

しかし、そんな調子に乗っていたあっちゃんも先生の一言で撃沈です。
「君、数学だけで行ける大学は1つもないよ」
「ガーーーン!」、それは知らなかった・・・。
3年生になってから急いで英語の勉強を始めますが、もうどうしょうもないですね・・・。
結局、大学入試までには間に合わず、何とかいけそうな学校を探して、そこを受けて無事合格です。

そしてもう卒業まで残りわずかとなったとき、物理部の後輩から連絡が。
「先輩のソフトが入選しました!」
なんと!
実は後輩がパソコンソフトコンテストに応募していたのですが、本来は後輩が作っていたソフトを応募する予定だったのですが、応募直前に間違えて消してしまい何もなくなってしまいました。
そこで後輩が「先輩のあのソフト代わりに出してもいいですか?」っていってきて、「いいよ、ただし入選したら賞品半分頂戴ね」って。
そんな冗談みたいなやりとりで応募してたのに、グランプリに入選してしまったのです!!
入選したソフトは「ラインアニメーションソフト」です。(^^;
今だとCGって当たり前ですが、当時は全然なくて、あのTRON(初期版)のような感じの線だけで描くアニメーションソフトです。
3Dではなかったんですが、Flashのようにシーンを定義して、そのシーンごとにこの線がここに動くってのを定義しておくとそれが毎秒60画面でスムーズに動くというやつです。
人がトコトコ歩いたり、イモムシを動かしたり・・、アニメのセンスはうーんですね。
でも中身はアセンブラバリバリで高速化の限りを尽くしてました。
ループ展開して処理ドット数のポイントに直接ジャンプさせるなど。
でも審査員からコメントを1つ頂いて「シーン定義でマウスが使えると良い」とのこと。
当時、学生にはマウスは高くて買えませんでしたから~。(^^;

しかも学校での授賞式にローカルTV局もきて、撮影されたとき背景にはキキのパン屋の看板が置いてありました・・。(^^;
これも自作でオタクのパワーはすごいですね。
さらにスタッフが何か簡単にアニメ作れない?というので即席で作りました。
なんと当時は湾岸戦争真っただ中だったので、アメリカが核ミサイルを撃って爆発させるというアニメです。さらにその後にUFOが下りてきてセリフ(忘れました)をいうというものです。
冗談で見せたらカメラマンが気に入って撮影していき、実際にTVに放映された後はアナウンサーが言葉に詰まって「こうならないことを願いましょう」と言ってました・・・。

結局、賞品としてパソコンと賞金(30万位?)をもらったのですが、賞金は全部物理部に寄付し、パソコンだけもらいました。
そういえば今更ながら思い出しました!
この知らせを受ける前日、実は学校の帰り道にタヌキが死んでいたんですね。(田舎なので・・)
で、そのまま放置しておくのもかわいそうと思って近くに埋めてあげたんです。
この翌日だったので、おタヌキ様がお礼をしてくれたんでしょうか。

そんなあっちゃんも無事卒業し、東京へと上京します・・・(続く)
2011-02-18

acchan誕生秘話【高校編1】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
前回に続き、acchan誕生秘話【高校編1】をお話したいと思います。
(いつも長くてすみません、1回に書ききれませんでした)

・・・・

パソコン少年まっしぐらだったあっちゃんも無事中学を卒業して地元の高校に通うようになりました。

高校は進学校だったので男女比が一定ではありません。確か2:1くらいの男女比でした。
でもその頃は全く恋愛感情などもっていなかったのでなんとも思っていませんでした。(^^;

そして高校でどんなサークルに入ろうかと思ったとき、見つけてしまいましたパソコンがある部を。「物理部」です、いい響きですね。
今から考えると「パソコン部」ってやっぱり当時はマイナーだったんですね。
高校で唯一パソコンを持っているのがなぜか物理の部なんですから。(^^;
しかもその物理部、活動内容が「パソコン」「無線」「アニメ!?」でした。
最後のは全く関係がないですが、なぜか・・というか今の時代もそうですか。
パソコンが好きな人にはアニメ好きが多かったんです。
もうオタク街道まっしぐらです!!
そうそう、オタクってこの頃からでてきた言葉なんですよね。
語源はてっきり宅八郎さんかと思っていたのですがwikipediaをみたら以下のようなことが・・。

秋葉原(電気街)とオタクの関係については、1960~70年代の中学~高校世代のアマチュア無線家やオーディオファン、1970年代になって現れる初期のパソコン嗜好者たちが秋葉原の専門店で、大学のサークルや研究室で、顔見知り程度の愛好家仲間の間で、「お宅はどのようなアンテナをお使いですか?」や「お宅のスピーカーは自作品ですか?」といった会話を日常的に交わしており、1970年代の若年アマチュア無線家の多くが、当時、既に「おたく…」と呼び合っていた。


ああオタクって秋葉でのパソコンや無線だったのね、と知ってある意味すごく納得しました。(ちなみに後述の大学ではオーディオPAを扱い、秋葉に毎週通うようなサークルにいました・・・)

そんなあっちゃんも1つ人間らしいことが。
なんとみんなが嫌がっていた応援団に入ることに!
・・というかクラスで各委員を決めるときに一番誰もやりたがらずに残ったそれにじゃんけんで負けて決まってしまっただけというのもありますが。
これにより、放課後は物理部でパソコン・無線・アニメに励む日々と、応援団として屋上で校歌振り付けの練習を行う日々が始まります。


そういえば当時の無線はすごく楽しかったです。
今だと携帯を普通に持っていますが1990年頃の学生なんて誰も携帯もっていなかったんですよ。ポケベルも地方じゃ珍しくて誰も持っていませんでした。

それなのに物理部のオタク連中だけはポケットに入るくらいの小型の無線機を持って24時間通話無料で話していたんですから。
しかも結構な距離が届いて数十kmくらいは平気で届いてました。
無線の唯一のデメリットは「他人にも丸聞こえ」なところです。(^^;
TVのチャンネルを変えるようにコロコロ回すと他人の話がいくらでも聞けたもんです。
でも話す方も聞かれているのがわかっているのでプライバシーに関することは全部伏字です。
逆にメリットとして、何人でも同時に同じチャンネルに入れること。
みんなで順番に「次○○さんどうぞ」って感じに回していくとみんなで会話ができます。
(同時にしゃべるとグジャグジャになりますが)

最初は部活が終わった後に夜に集まってまた他愛もない話ばかりしていたんですが、そのうちにどんどんエスカレートしていって、カラオケ大会になったり、オカマとして女のフリをしたり・・・もう「みんなが聞いている」を前提に楽しんでましたね。(^^;
オカマの時は久々に会った先輩をだましきることもできました・・、ひどい。


そんなことをしているうちに3年生に。
日頃の「献身的」な部活動が認められたのか、物理部部長になってしまいました。
部長になって最初の仕事は新入生の勧誘でした。
例年、体育館で各部活の内容を新入生に発表する機会がありました。
テニス部は素振り、剣道部は試合など・・ですがさて物理部は何にしようと考えた末、当時みんなで楽しんで実験していた「ペットボトルロケット」をすることに。(空気を入れて飛ばすやつです)
「次は物理部です」といわれたとたん今だとちょっと引いてしまいますが、学生テロのように演出してみんなサングラスに×マスク、軍手にヘルメット、作業服の格好で一気に壇上になだれ込みました。かたやモデルガンでパンパン打ち合って、自分はバズーカ砲の形をしたペットボトルロケットをセットして中に空気をどんどん送り込みます。
通常、各部活の発表の時、体育館の左右に構えている応援団から野次の嵐がくるのですが、自分も応援団です。そのバズーカ砲を応援団に向けると全員引きつった顔に!
そしてついに体育館の天井に向けて発射です!
しかし!!予想外に飛んでしまい天井にドカンとぶつかって新入生のもとへ落下しました。
壇上もずぶ濡れになってすぐにモップ隊が出動です・・・。
こんなとんでもない発表を物理部として行って、当然先生からも大目玉をくらってしまいました。(でも一応物理の実験ですね)

そうして翌日、新入生の部活動初日、数名くらいはくるかなと思ったら、なんと物理教室いっぱいに40-50名くらいの新入生がきて立ち見が出るほどです!!しかも女の子までいます!!
全く予想していなかった状況にこちらが大慌てです。(そもそも2、3年生合わせたって10名もいないんですから)
とりあえず日々の物理部の「楽しい活動」を説明して解散しました。
しかし数日後には予想通り、ツワモノだけしか入部届けを出しませんでした。(^^;

・・・・

そろそろ紙面も尽きてきましたのでまた次回。
(3000文字って結構短いですね)
2011-02-03

acchan誕生秘話【少年編】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは。
前回に続き、acchan誕生秘話【少年編】をお話したいと思います。

・・・・

右も左もわからないままパソコンを使い始めたあっちゃんは、無事中学生になりました。

今まで1人で孤独に使っていたパソコンですが、中学生になるとクラスの中にもちらほらとパソコンを持っているという友達が現れます。
しかしその頃のパソコンはガラパゴスの象徴的なような時代で各メーカー全く互換性のないパソコンを出していました。
FM-7やPC-6001、X1、MSX、ぴゅう太みんなそれぞれ全く違う環境なので友達同士でゲームを借りて遊ぶこともできませんでした・・。
その頃のゲームを思い出すと、惑星メフィウス、ハイドライド、ちゃっくんぽっぷ、ブラックオニキス、テクザー、イース、ザナドゥ、信長の野望、ああ懐かしい。(皆さんもやっていたゲームありますか?)
確か信長の野望はBREAKキーでゲームを途中で止めることができました。
止めるとソースが丸見えで、パラメータを変更して自分を強くしたら全くつまらないゲームになってしまいました・・・。
ある意味これは絶妙なバランスが考えられていたんですね、反省。

そしてその頃になるとBASICだけでは飽き足らずアセンブラを勉強するように。今だとCがありますが、当時はそんなものはありません。一部ありましたが中学生にはとても高くて買えません・・・。(数万円くらい?)
なので1人黙々とアセンブラの本を読みながら試行錯誤で勉強です。
アセンブラのいいところはとにかく速いこと。CPUは2MHzですが、アセンブラはほんとクロックサイクルにあった高速動作で動いてました。
そしてそのころに大好きだったRPGを自作してみようと考えます。
アセンブラとBASICでフィールドマップを移動して敵を倒して武器を買って、最後はボスに挑むというものです。
名前は「NOGARD」・・、つまらなそうなゲームですが、当時はゲーム自体が少なかったので自分で作るしかありませんでした。
そのうち、ファミコンでドラクエが発売されたときも、「俺ならこういうシステムにする」ってさらに改良を加えました。
NOGARDの続編ではチーム制を導入し、戦闘も戦場マップモードになって戦う形にして、武器や魔法にも属性をつけ、頭・腕・体・足毎に体力値も持たせ、BGMや効果音も自分で作って、どんどん本格的な作りになっていきます。
(ゲームを作るときはドット絵のキャラクターエディタとかも事前に作っていました)
そうして「NOGARD」シリーズは結局4作目まで作っていました・・・。
しかも、最後のボスのHPは1000兆くらいにしてましたね。(^^;
ドラクエが発売されるたびにライバル意識で作っていました。

しかし!!
なんとこのゲーム遊んだ人は5人くらいです。(つまらないからじゃないです!)
当時はインターネットもなく、そもそも同じ機種のパソコンを持っている人もほとんどいません・・・。
そのため家で何ヶ月もかけて作った大作のRPGも遊んだのは一部の友達だけでした・・・。
それでもうれしかったというのはある意味すごいパワーがあったんでしょうね。(^^;

また、RPG以外にもアドベンチャーゲームも作りました。(この名前を思い出すのにも時間がかかりました)
勝手に宇宙のどこかの星につれて行かれて、異性人の星で街中や浜辺を探検していくストーリーです。
もちろん完全オリジナル、イラストも自分で書いて(全くかわいくないですが・・)、何十枚もシーンを作りました。
しかもその頃は今のようにマウスもないので、紙に書いたイラストの上にサランラップを載せ、ペンでなぞってそれをTV画面に貼り付けて、カーソルキーでなぞるという作業です・・・。
当然色は8色しかないので、肌色とかは微妙なタイルパターンを研究します。

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こんな感じで色を出すときれいな肌色に見えたりします。(^^;
当時はライバルのアドベンチャーゲームをTV画面の間近で見て、どんなタイルパターンか研究したものです。
進行もコマンドで「ナニヲスル?」って聞かれて「バカ」とか入れるとすぐゲームオーバーにしてました。
このゲームも遊んだのは数人くらいですね・・・。

そんな生活でしたが、中学生の3年生のとき、当時の学校にはパソコン1台はおろか、サークルもなかったので友達とパソコン部を作りました。
数人だけでしたが、ほんと楽しかった毎日でした。

また、その頃はゲームを作るだけでなく、I/Oという本に載っている長大なソースを打ち込んでゲームをすることにも燃えていました。
覚えている方もいるかと思いますが、I/Oは16進ダンプで何十ページもあるようなソースがよく載っています。
しかも字が小さい!
定規をあててもとても指でもなぞれないので拡大コピーをしてからそれを友達数人で分担して入力してました。
16進ダンプの入力には専用のソフトを開発して、キーボードのテンキーをA-Fにして入力する毎日でした。
学校から帰ってパソコンの前でずっと16進を黙々と打ち込んでいる様子を後ろからみていた親はさぞ不安だったことでしょう・・・。
慣れると、だいたいアベレージ256バイト5分でした。そのうちほかの事を考えながらも入力できるようになり、ある意味いっちゃってますね。

・・・・・・・・・

ああ素敵な少年期ですね。
もうだいぶ長くなってきたので今日はここまで。
次は高校編です!(^^;
2011-01-26

acchan誕生秘話【幼少編】

カテゴリー: acchan誕生秘話
こんにちは、今日はacchan誕生秘話をお話したいと思います。

今でこそこのサイトは普通の婚活サイトのように見えますが、このようなサイトになるまでには、長い長い時間と皆さんの協力が必要でした。
どのようにしてこのようなサイトになったのか、自分の記憶をたどりながらお話したいと思います。

・・・・

私ことあっちゃんは、第二次ベビーブームの真っ只中に生まれました。
出身は長野の田舎でほんとのどかな場所でした。
今のようにインターネットもなければ携帯もDSもない時代です。
あったのはゲームウォッチやガンプラですね。
そんな平和な時代でしたが、友達の家に行って衝撃を受けます!
あのセガのマスターシステムやカセットビジョンです!
こんなオモチャができたんだと本当に楽しくてわざわざその友達の家に何度も遊びに行ったものでした。(^^;

そんなときに我が家に一大事が起こります。
なんと親が唐突にパソコンを買ってきたのです!
今でこそパソコンなんてありふれたものですが、当時1983年。
ほとんどの家庭にはパソコンなんてありませんでした。(30年近く前ですよ!)
しかもFM-7という8bitのパソコンです。
当時を知る人ならわかると思いますが、そのころのパソコンにはマウスがありません。
・・・というかフロッピーディスクも、ハードディスクも、USBメモリーも、CD・DVDもありません。
しかもメモリーは32KB!
保存先はカセットテープ!
モニターはなくて家庭用TVに映し出す!
うーん、すごい。ワクワクしますね。
今のパソコンより唯一優れている点は「起動時間が1秒!」ですね。
iPadより早いです。(電源を入れてから使えるまでですからね)

そんな当時としては本当に珍しかったパソコンですが・・・やはり珍しすぎたためか親は早々に使うのを辞めてしまいました。
それを小学生の自分が見つけちょっとずつ触ってみることに。
電気を入れてもReadyと表示されてちかちかしているだけでうんともすんともいいません・・・。
当時のパソコンはWindowsのようなものではなく真っ黒画面に英語の文字が少し出ているだけ、そんなもの小学生には全くわかりません。
・・というか、そもそもその頃の小学校では英語をまだ習っていませんでした。
なので画面のアルファベットでさえ読めない状況でした。
そんななか、親が1冊の入門本を買ってきてくれました。
BASIC入門のようなものでアニメのキャラクターが説明しながらの本です。
これによって目覚めました!!
全く英語も読めなかった自分ですが、両親や姉に「このアルファベットを大文字にするとどれになるの?」とききながら初めて作ったプログラム「Hello World」です。(^^;
当時はそれが画面に表示されただけでも本当に嬉しかったものです。
これは今の時代でも同じですか。

そしてその本を読むうちに IF という命令文で分岐ができることを知ります。
そこで簡単なじゃんけんゲームを作ったりしてました。
そのあたりから一気にパソコンの世界にのめりこみます。
ただ、クラスや周りには誰一人パソコンを持っておらず、親も使い方がわからないので自力で勉強するしかありません。
(当然インターネットもありません)
なので、パソコンの本が欲しいと親に頼んでOh!FMという本を買ってきてもらいました。
これは本来は小学生が読む本ではないと思いますが、これしかなかったので1人で読んでプログラムの勉強をすることに。
その本にはゲームプログラムがついていて、当時は印刷されたプログラムを手で打ちなおすということをしていました。
そういったプログラムを入力しているうちに「あれここ間違えてないか?」と気が付いたり、逆に「ここはこうした方が面白い」と勝手に修正したものです。(間違いをはがきで指摘すると翌月に投稿者として載せてもらったこともたびたびありました)
また、たまに親と町に買い物に行ったときも、勝手に展示してあるパソコンにその場でプログラムを入力して、動かしたまま帰ってきたりしていました。(「ナマエヲイレテクダサイ?」⇒「○○サン、ブー」みたいな。ひどいですね)

こんな小学生だったあっちゃんも無事中学生になりました・・・(次回へ続く)

・・・・・・・・・

最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございます!!
実は、今募集しているシングルママにバレンタインパーティー、男女共若干空きがでました!
弊社のパーティーはすごくアットホームですので、ぜひお気軽にご参加ください!
お待ちしております!
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