| ギターの先生から不思議な話を聞いた。数年前に理工系の優秀な学生が教室に習いに来ていたことがあり、レッスンが進んでいくうちに、左手で第1弦の第1フレッドを人差し指で押さえ、第4弦の第3フレッドを中指で押さえ、第2弦の第3フレッドを薬指で押さえて右手で4弦・2弦・1弦・3弦・2弦・一弦と弾き、続いて中指だけを離して同じように弾く。この簡単な中指だけを離すという動作が彼には3ヶ月経っても出来なくて、先生が「あなたは、ギターを止めた方が良い。」と言ったらしい。すると彼は「本当に止めてもいいんですか?」と言って教室に来なくなったそうだ。彼は半年後にぶらりと教室に現われ、その後の生活のことを先生に語ったそうだ。先生のダメ出し以来、人生が一変したらしく、目の前が明るくなり、初めての彼女ができ、猫背が改善し、きつい近眼が治ったというのだ。競争に勝ち抜いて来た彼には、それまで途中で諦めるということは絶対有り得ないことで、ギター教師からの一言によって初めて人生のギブアップを経験したらしく・・・諦めるということを知って、肩から力が抜け人生がうまく回り始めたと言いに来たそうだ。それ以来、先生・生徒の関係ではなく、友人としての交流が続いているらしい。 よく出来た話に思える。この話の本質をどうとらえるべきか・・・諦めるということも時には大切だとくくるか・・・入りすぎた肩の力を抜くことで新しい未来が見えるとくくるか・・・近眼が直ったなんて関係ないのと違う?と思うか・・どう考えるかはあなたにおまかせします。 |
| ローストビーフを作ってみた。ブロックの肉を近くのスーパーで探したが、この近辺の人に需要がないようで売っていない。仕方ないから安いシチュー用肉の小さな塊で代用することにした。家のオーブンは壊れているので使えない。だから全面にタレ(オリーブオイル・ワインビネガー・塩・胡椒・ローズマリー)をさっと浸けてフライパンで表面に焼き目を付けた後に、クッキングホイルに包みジッパー付のフリーザーバッグに入れストローで空気を抜き沸騰しない温度で約10分湯せんする。それで冷まして出来上がり・・・肉が堅く味が薄かったが、初めてにしては、まぁーまぁー、ぼちぼちの出来。65点くらいの自己評価。次回の料理時には、味を浸み込ませるために前日から浸け込み、もう少し焼き色を付けようと思う。それと湯せんの時にクッキングホイルで包むのは止め、タレを浸み込ませたペーパータオルを使用するつもりだ。それらの修正をおこなえば85点くらいはとれるかな・・・オーブン無しで肉も高くないものを使用するとすると充分合格点。 たまにする料理、改善を繰り返す料理は刺激的で・・・楽しい。ただ毎日やりたいとは思わない。毎日料理をする人は大変だ。 |
| “フェアトレード”に関わるある東京本社の会社の人たちと話をする機会を持った。そもそも私は“フェアトレード”という言葉の意味を知らなかったので、別れた後で調べてみた。すると下記のような説明があった。 “フェアトレードは、世界から貧困をなくすことを目指す活動です。弱者(発展途上国の人々等)の作り出す安全な商品を公正な対価で取引することで彼らが安心して働ける場を作り出し、貧困から抜け出す手助けをすること。フェアトレードは、寄附ではありません。途上国の人たちに支払うお金は、商品の代金であり、賃金なのです。”とあった。ネットで出会った人たちの会社を検索してみると、社長がイギリス人の46歳の女性で、雑誌社の社長へのインタビューが載っていたので紹介すると、日本でフェアトレード活動がどの程度認知されているかの問いについて、「日本ではフェアトレード商品を購入することで後進国の人々を支援するという考えはまだ薄く、商品そのものの素材、色、デザインが良くないと買おうとする人が少ない。」と答えていた。私も理解が無かったから大きなことは言えないが、このような動き運動は日本では世界から遅れて東京で認知され、東京から数年遅れて関西で知られるようになる。この流れは20年前に関西ではまだ知られていなかった“再生紙”と言う言葉がやはり世界から遅れて東京で情報に敏感な人々に認知され始め、ひょっとすると10年くらい遅れて関西の一般人にも知られるようになったと思う。 縁あって知り得た人々・運動・活動のことを、今日を機会に理解を深め、少し世界標準で考えられる人間になるように心がけたいと思う。世の中の流れは思っているよりも健全である。 |
| マダムに勧められて最近、玄米ご飯を食べることがある。精製米に比べて堅いから必然的に良く噛むようになった。玄米を食べるようになって、普段食べているものに堅いと感じるものがないと気がつく。三食、飲み込むように食べている。現代人が噛まない食生活のために顎が発達しないと聞いたことがあるが、私も少しそんな気配があるし、今から生まれてくる子供は益々顎がなくなっていくんだろうな・・・もしかしたら百年後くらいには歯も退化してなくなるかも知れない。何度も噛むことによる微妙な味の変化なんて分からなくなって、抽出された瓶に詰められたエキスだけが味の決め手の料理ばかりになって・・・世の中表面的に美味いものが多すぎる。噛んで唾液と絡んで溶け出してくる本来の素材の美味さを誰かが人類に残していかないと、どれだけ美味いエキスを口に入れようが、心から美味しいと思う感動がなくなってしまうように思う。物の本来の美味さは噛むことによって感じるものだと思うから、舌でばかり味わっていたら自分の味覚がいつの間にか無くなってしまうような気がする。そう思った私は、今はまだ稀に食べる玄米ご飯が食卓乗る回数を徐々に増やして行きたいと思っている。 マダムから玄米の食し方を教わった。玄米に少し小豆を入れて前日から水に浸けておいて、当日普通の炊飯器で炊くと美味いらしい。美味く作るコツは充分参考にして玄米ライフを楽しみたいと思っている。 |
| 先日、ラーメン屋でラーメンを食べた。普通ならそれがどうしたと言う話だが、私にとっては一大事であって・・・。腹が減った時、家で素のインスタントラーメンを食べることはあっても、この5年間外食でラーメン屋に入ったことがなかったのだから・・・。手術後、体重と血圧のコントロールが必要になり、こってりラーメンのカロリーを考えるとついつい店の前を避けて通っていたわけで・・・実際今でも朝食は、生野菜と果物だけを塩もドレッシングも全く掛けずに食するだけだし、昼は、一週間のうち5日は日本蕎麦だけの日々である。(夜は何でも食べるが、減塩は心がけている。)それが、この間はとんこつラーメンと焼き豚丼のセット定食を食べてしまった。さすがにラーメンの汁は少し残したが完食、身体に悪そうな食事はなんておいしいのだろう。昼から腹十分目の一日であった。節制も飽食も浸ってしまわないような生活習慣を心がけ、どちらもそこそこ楽しんだほうが生きてる・・・って言う感じだな。 おいしいものはほどほどに、楽しい事もほどほどに、辛いこともほどほどに、我慢するのもほどほどに、いろいろなことをバリエーション豊かに経験する人生が最高だな。 ラーメンを美味しく食べるために、しばらくラーメン屋には近よらないようにしようと思う。 |
| 今日、ギター教室に行って、右手親指の奏法について教わった。親指は主に第3弦から第6弦を弾くことが多く、高音部を弾くことは先ずない。親指で第4弦を弾く時には、軽く人差し指に当てるように弾き少し溜めを作った後に人差し指と中指の高音部はその反動で弦から手が離れる途中で弦を弾くというよりも当たるような感覚の奏法を教えられた。第5弦を弾く時は第4弦よりも、もっと溜めを作った後で高音部を弾く・・・第6弦は第5弦よりももっと大きな溜めを作る・・・自分で奏でる低音が身体の中心に響いてくる感覚を得た。先日の智内さんのピアノコンサートでの本人の自己紹介を思い出した。「自分は10本の指を使える人より情感のある音を出せる・・・。」と言うあの話だが、私はあれからずっと考えていることがあって、ピアノにおける自分の中心から左側は低音域の音が弾きやすい。だから彼の奏でる音は必然的に低音域が多い。智内さんのあの話の意味には、低音域が人間の情感に訴える音で、高音域が人間の脳に訴える音・・・という意味があるのではないかと感じていたもので、ギターの先生にその話をしてみた。すると先生の顔がにわかに微笑みに変わり、「なるほど!」と、刺激を受けてもらえた。そんなことを理解して楽器を演奏すると、より良い演奏ができるかも知れないと思った。 こんなことに気が付いた自分が、好きだ・・・。 |
| “幸せのちから”と言う映画をレンタルして観た。ウィル・スミス主演のクリス・ガードナーと言う冴えないサラリーマンが不運続きで事業がうまくいかず奥さんは愛想をつかして家を出てしまい、我が子を愛している彼は二人で生活を始めると言う実話をもとにした物語だ。ウィル・スミスの実子が映画のなかでも子供役で出演しており、ハッピーエンドを予感させ、その通りのラストであったが、今日は映画の出来不出来の事ではなく、ホームレスになった二人が僅かな身の回り品を持って路上を彷徨うシーンで息子が父に語ったショートストーリーを書いておきたい。 「お父さんこんな話を知ってる?1人の男が海で溺れていて、近くを通った船が助け揚げようと近づいたが、男は『いえ結構です。私は神を信じているから・・・』と答えた。しばらくしてまた船が通りかかり、引き揚げようとしたが、また『いえ結構です。私は神を信じているから・・・』と答えた。そのうちにその男は死んでしまい天国に行ってしまう。そこで神がその男に言った。『私が二度も助けの船を出したのに、お前は言う事を聞かなかった。馬鹿者!!』と・・・。」 小さな子供が、親に分かったことを言い、親が真面目に聞いている・・・このシーンが面白く記憶に残った。私も、子供の話をまじめに、まともに聞けるだろうか、我が子から教えられることもあるんだろうな・・・我が子も神の言葉で語ることがあるのかな・・・ |
| 先日、小学校の同級生とランチした。家は近いのだが、かれこれ10年振りの出会いであろうか・・・彼はテニスのレッスンプロである。日焼けした真っ黒な顔は見るからにスポーツマンだと分かる容姿・・・同年代の男性に比べて私自身若いと自負しているが彼には叶わない。先日3回目の結婚をしたらしく幸せそうであった。昔から彼は、あまり頭は切れるタイプではないが、気立てが良くて純粋だった。2回の離婚の相手にも、結婚生活でこんな素敵な女性といっしょになれて、なんて幸せなんだろうと心から思ったという彼の言葉に嘘はないように思う。 何度も恋ができるなんて羨ましい。私なんぞ1度の離婚で幾つものトラウマができて・・・フィルターをかけて女性を見るようになって、心をうまく晒せないような気がする。 いろいろ考えすぎるようになると人は純粋とは言わなくなくなるのだろう。かといって経験を重ねた人間に馬鹿になれ、考えるな!と言っても、なかなか難しいだろうし・・・自分は出来ない。 考えすぎずに、少しは衝動的行動が恋するには必要なんだろうな。 自然に、そんな風に振舞えたらいいな・・・なんて思うが、やはりなかなか難しい。 自分の未来が経験の積み重ねに制限されることは他にもあるんだろうな。考えても仕方ないな。もう他の事を考えよう・・・ |
| スポーツの祭典“オリンピック”よりも、多くの人が観戦すると言われる“ワールドカップ”・・・スポーツの王様と言われるサッカーの試合がテレビで毎日放映されているから、サッカー好きでない私も最近観る機会がある。不思議に思うことに、接触プレーで後ろから突いたり、足を掛けて倒したりするラフプレーでのファウル・・・良く見ていると10回に1回くらいは、倒された方が接触していないのに地に伏して相手が悪いと審判にアピールしているように見える。自分のチームが敵陣近くで有利なフリーキックの権利を得るためだと動機は分かるが、何万人もの(テレビやネットで観る人のことを考えたら何億人)観客証人の面前で嘘(演技している)をついているわけで、選手も審判も観衆も、それを公然と容認している。その証拠に嘘の演技をした者が制裁を課されたところを見たことがない。かえって味方は嘘が通れば倒れ方が上手かったと小気味良く喜ぶ。スポーツがフェアプレー精神が基本だとするとサッカーはスポーツではない。サッカー好きの人たちはワールドカップがあるからオリンピック種目にサッカーが入る必要はないと言うが、私には入れない理由があるように思う。軽い意味でなんでもありのゲーム、ルールにない曖昧なところが沢山あるゲーム、演技力が勝敗を握るゲーム・・・サッカーはスポーツというより“ゲーム”と考えた方が正しいように思う。 私はサッカーをけなすつもりは全くない。ただ世の中の多くの人々はフェアプレーの精神よりも、求めているものは演技ありの勝敗であって、興奮できるゲームが好きで、興奮するためにフェアプレーは返って邪魔なんだと思う。今日は私の“サッカー感”を整理して明日からは、勝つためなら少しなんでもありのグリーン上で繰り広げられるサッカーゲームを楽しもうと思う。 (翌日確かめてみたら、あまりにもひどい芝居にはペナルティーがあるらしい。そりゃそうやろうな・・・) |
| ロケットは、第二次世界中のドイツでミサイル兵器として実用化され、その研究開発の実績を持つヴェルナール・フォン・ブラウンが戦後アメリカに移住し進化発展させる。同じようにドイツの技術がソ連に渡り米ソのロケット開発競争へと続いて行ったと聞く。世界のロケット開発・・・その起源はドイツと言って間違いない。唯一違う流れで開発を進めたのが日本の科学者糸川英夫であり、彼のチームはペンシル型ロケットという独自の推進姿勢制御の技術開発を進め大型ロケットの開発へと経験を積み重ねた。昨晩、我が国はサッカーの日本代表の戦いに一喜一憂していたが、もう一つ我が国の未来にとってとても重要な出来事が起こっていた。日本のロケット開発の祖・・・糸川博士の名前をとった小惑星“イトカワ”から帰還した惑星探査衛星ハヤブサ(糸川博士は日本の名戦闘機“隼”の開発にも関わっていた。)から放たれたカプセルが無事地球に帰って来た。想像力に富み、夢のある、日本人にしかできない発想が成し得たミッションの成功である。比較できないことかも知れないが私にとって、サッカーでの勝利よりも日本と言う国の勝利として誇らしく思えた。おそらく世界中・・・サッカー好きの科学者でも、そう賞賛したに違いない。 昨日は、日本に生まれて良かった・・・と思う一日であった。深夜までサッカー観戦して、今睡魔に襲われている私はそう思う。 |
