修学院に高校の同級生K君という知り合いがいた。高校時代から五木寛之に憧れていた彼は、早稲田を3年間受験した。文学部を始め、法学部、商学部、政経学部など毎年いくつかの学部を受験したが、2浪で諦めて、京都の同志社に入学してきた。修学院の駅から東側、川沿いの坂道を登って300mも行った辺り、左手奥に修学院小学校に通ずる小路の中程に彼の住んでいたアパートがあった。何度も出かけて、呑みに行ったり、いっしょにアルバイトに行ったり、徹夜で麻雀したり、よくつるんで遊んだ。二浪したことで同期の学生となじめないところもあったように思う。 そこから坂道を倍ほど行ったところに、修学院離宮がある。残念ながら、いまだに中には入ったことがないが、何度か外から眺めて様子を伺ったことがある。東門の前に木造で茅葺きの小さなボックスがあって、皇宮警察の警官が座っていた。薄紫の制服は、普通の警察官の厳めしさはなく、何かほのぼのした雰囲気さえあった。 桂離宮は、一般公開されていないが、修学院離宮は春と秋に公開されることもあるし、20人程度の団体で、見学希望を出すと、一ヶ月程で許可証が発行され、中を見学できる。学生時代、何度かそういうチャンスもあったのだが、その頃はそういうものにあまり興味もなかったし、ものぐさからか実際に見学したことはない。 北西側からは、農道が離宮の中まで続いていて、庭や植木の整備など、近くの植木農家が請け負って手入れをしているようで、軽トラックがその道を中に入っていくのが見えるし、取り立てて柵がある訳でもなし、なだらかな丘の上のお庭。のどかな別荘という佇まいの趣きがある。まあ一度は中に入ってみたいものだと思っているが、まだそうはやる気持ちにはなっていない。奈良の正倉院の宝物もそうだが、宮内庁所管の物は、文化財保護法の対象外であり、重要文化財や国宝にはならない。はっきりした規定があるわけではないが戦前からの慣例でそうなっているらしい。 |